3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

となりのロンドン婦人5「今話したくないわ」

少しの出会いが色々なことを気づかせてくれることがある。

ロンドン時代の隣人マルシアおばあちゃんはそんな女性だった。

 

 

ある日、出かけようと玄関先に出ると、

マルシアおばあちゃんの家の前に見知らぬ車が停まった。

誰かしらと見ていると、

一人の女性が出てきて、後部座席の人をサポートしている。

そして後部座席から出てきたのは

包帯をして松葉づえをついたマルシアおばあちゃんだった。

 

 

(なんと!骨折しちゃったの?)

 

 

支えられながら歩こうとするマルシアおばあちゃんに

私はとっさに声をかけた。

  

 

「何があったの?」

 

 

彼女は視線すら上げずに、首をふった。

 

 

「今話したくないわ」

 

 

顔を歪めながら

足をかばいながら慎重に歩く彼女。

 

 

しまった・・・・・

なんてデリカシーがなかったんだ・・

 

 

  

本人は痛みがある上に、落ち込んでいる渦中であった。

まるでミーハー心で声をかけてしまったようで

気まずい思いが残った。

 

 

 

そして、こうも思った。

もし日本人が同じ状況にあったら、

多少よそ行きの笑顔を作って、

「転んじゃったのよ。恥ずかしながら・・」

なんて返答するところだろうな、、と。

 

 

この半年前に家の階段から赤子を抱いたまま落ち、

尾てい骨骨折を経験していた私は

骨折の衝撃と痛み、

その後の生活がいかに不便であるかについて

分かりすぎるほどであった。

 

 

一人暮らしの彼女。

手伝う人はいるのだろうか。

とりあえずあの女性がいつから大丈夫かな。

 

 

あのやりとりがあった手前、

おせっかいなことはできず、

でも気になって彼女の家への出入りを見ていたら、

娘さん風な人が出入りしたり、中年の男性も出入りしていた。

大丈夫そうだ。

 

 

しばらく経ったある日。

宅配便への対応で玄関口に立っていたマルシアおばあちゃんが

帰宅した私を呼び寄せ、こう言った。

 

  

 

 「この前は本当に悪かったわ。あんな態度をして。

 私はあの時、すごくショックを受けていて返事をすることができなかったのよ。

 悪く思わないでほしいの」

 

 

 「いいえ。気持ちはよく分かります。

 ほら、わたしも半年前に骨折したので。

 とても不便だろうと思って。。何かできることはありますか?」

 

 

娘家族や職場の人が来てくれているから

大丈夫だということだった。

  

 

私は、あの時の彼女の態度に一瞬びっくりした。

が、決して不快に思ったわけではなかった。

 

痛い・・

ショックで話したくない・・

 

その心情は、むしろ大きな怪我をした時の「自然な姿」だと思った。

彼女は、自分の気持ちに「正直に」そこにいただけだった。

すぐ人に合わせがちな私は、

その自分の感情に正直な姿にハッとしたのだった。

 

  

そして後日、

私に悪いと思っていたということを

またこうして知らせてくれたことがうれしく。

 

 

つねに自分軸で、正直に言語化し、やりとりする彼女。

自由なコミュニケーションの形を見せてもらった気がしています。