3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

S先生の贅沢な音楽の授業のこと

長い在宅生活で、小学生の息子の宿題を見ながら、

じぶんの小学生時代にどんな授業を受けてきたかなと思い出す時、

真っ先に思い浮かべるのが、千葉の小学校の音楽の授業だ。

 


その学校は、当時にしては珍しく

公立でありながら帰国子女補助クラスがあっただけでなく、

さまざまな研究校にも指定されていたようで、

ある日、音楽専任講師としてやってきたS先生は

それまでの音楽の先生と全然ちがっていた。

 


まるでバレリーナのように背筋が伸びてスーッと歩き、

華やかな声の持ち主であるそのS先生は、

まず、音楽室に机は要りません、とすべて撤去なさった。

(これは噂ですぐ広がった)

すっかり広々した床はきれいに拭き上げられ、

この日から生徒たちは靴下で入室することになった。

 

 

そして

音楽室に入室するときのルールが作られた。

先生のピアノに合わせて、

「歌うごあいさつ」とともに入場するのだ。

 

 

おっはよ~♫ございまーーす♫

おはよう、、ごーーざいーまーすーー♪

 

 

 

スキップもするんだったかな。

戸惑う子も多かったが、私はわくわくした。

 

 

あるときは音楽とともに、みんなで床をごろごろ転がった。

あるときは床に体育座りして、

『グリーングリーン』の1番から7番までの歌詞が書かれた模造紙を見ながら、

みんなで長い長い歌詞の意味を考えた。

先生手書きの歌の本も配られた。

 

 


それと印象的だったシューベルトの『魔王』の授業。

 

 


まずシューベルトの歌曲『魔王』を聴く。

もちろん外国語で何言ってるか分からないので、

S先生はお手製の日本語訳を全員に配った。

 

 

ほほー。

馬上で父親につかまっている男の子に何者かが語

りかける

怖がる息子が父親にそのことを訴えても、

父親は「あれは夜霧だと」ととりあってもらえない

「おとうさん!おとうさん!魔王がくるよ」

取り合わない父親・・・

そして家に着いたとき息子はすでに死んでいた・・・

 

 

ぶるぶる。。

男子がひえ~って顔してる。

なんてこわい話なんだ。小学生にはインパクト大だった。

 

 

 

そして・・・

極めつけはこの授業。

日本のN響とドイツのベルリンフィルが同じ曲を演奏したものを

聴き比べるというものだった。

(残念なことになんの曲だったかは忘れてしまった)

 

 

 

とにかく最初が日本だったのを覚えている。

オーケストラって迫力あるなあ

私は気持ちよく鑑賞していた

 

 

 

続いて、

レーザーディスクが入れ替えられ、

ドイツ版が流れてきた。

 

 

 

はて・・何が違うんだろう?

 

 


♫♫~

 

 

 

ん!?!!

 

 

 

私はびっくり仰天した。

全然違う!

 

 

 

その印象を一言でいうと、

日本は四角くて、ドイツは丸い。

 

 

 

N響は音の粒の一つ一つが全体として縦にそろっている感じ。

整然としたうつくしさ。

 


一方、ベルリンフィルは

一つ一つの音の粒が完全に溶け合っているみたいだった。

だから丸みがある感じ。

なんとも言えない魅力を感じた。

 

 

 

へえ。。

音ってよーーく聴いたら違うんだなあ

どの国の演奏かでこんなに印象が違うんだなあ

面白いなあ・・・・

 

 

 

この授業をS先生がどのようにまとめられたかはまるで覚えていない。

 

 

 

粒がそろっているとか丸いとか、

これは小学生だった私のただのフィーリングなのだが、

とにかく強いインパクトを私の耳に残した。

 

 

 

 

 

「日本とドイツのオーケストラの音がこんな風にちがったんだよ!」

この感動を母に伝えたくて、わたしは家に帰ると、

いつものようにマシンガントークしたのだった。

 

 

 

その後、我が家は岐阜に引っ越すことが決まり、

私はS先生にサイン帳を書いてもらった。

先生はこどもの私にこんな風に書いてくださった。

 

 

 

「久しぶりの太陽のもとで

   智子さんへ

 おだやかで静かでほどよい暖かさでそして心地よい風。

 きょうは何と良い日なのでしょう。

 そんなきょう智子さんとお別れすることを聞きました。

 きょうの陽ざしを智子さんの眼に感じます。

 20年ほど前、ドイツオペラが初めて日本に来ました。

 私はベートーヴェンの「フィデリオ」を観ました。

 その中で歌われた男声合唱のすばらしかったこと。

 世の中にこんなすばらしい合唱があったのか。

 魂をうばわれました。

 たった一回の出合いが私の生命を生かしてくれます。

 カザルスの音楽も ポリーニのピアノも

 ドレスデンの合唱もそうでした。

 音楽だけではありません。絵も本も映画もそして人も。

 智子さんもそのひとり。

 たくさんのいろいろな出会いが智子さんを大きくしてくれるでしょう。

 そういう力を持っている智子さんです。

 たくさんのいろいろな出会いがありますよう祈っています。

 智子さんとの出会いを感謝しつつ

 さようなら」

 

 

 

これを書いてもらったとき、

私は書いてあることの半分も意味が分からなかった。

カザルスもポリーニも分からなかった。

でもなんというのだろう。

流れるような字の美しさと (本当に達筆なのです)

詩のような 決して子ども扱いしていないこの美しい文章から

私はなにか成熟した人への憧れを持ったものだった。

 

 

 

30年前の公立小学校に異文化の風をもたらしてくださったS先生。

贅沢な授業を私は大人になっても時折思い出しています。