読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

電車で見た母娘の姿と、母になった私と娘

高校生だったころ、電車でこんな光景を見た。

 

長い座席に、母親と3歳くらいの幼い子が2組、座っている。

しばらくすると、片方の女の子が何が気に入らないのか、ぐずり始めた。

初めのうち、母親は気にも留めない様子で、

もう一人の母親と話していたが、

女の子のぐずりがなかなか止まずエスカレートしてきたので、

 

「そんなに泣いたらお母さん嫌いになっちゃうよ!」

 

と一喝した。

 

すると、どうだろう。

女の子の表情がみるみる変わり、

 

「お母さん嫌いにならないで!」

「お母さん本当に嫌いになったの?」

「お母さん笑って」

 

と、母親が彼女の方を向くまで、

「嫌いになってないよ!」という言葉をもらうまで、

必死の形相で懇願し続けたのだ。

 

このとき、学生だった私は、母親の顔を覗き込み、

苦し紛れな笑顔すら見せている幼子を見て、胸がつぶれる思いがした。

子どもにとって、愛されているという実感がいかに必要不可欠なものか、

そして、それにも関わらず、「愛」とはその性質上、

自分の意志で獲得することが容易ではない事柄なんだと痛烈に感じたのだった。

 

 

時は流れ、私も母になった。

第1子の娘が3歳になってすぐのころ、

やたらと「ママだいすき!」を連呼している時期があった。

最初は「うんありがと、ママもだよ」と答えていたが、

彼女は、何度答えても何度も同じことを言うのだ。

 

「ママだいすき!」

 

だんだんと確認をとるような感じに聞こえてくる。

 

「ママなんてだいっきらい!」

 

これは言葉はネガティブだが、

全幅の信頼を寄せている人に発することができる言葉だ。

子どもは嫌われないという自信があるから「だいっきらい」なんていうのである。

 

でも「だいすき」ばかり言うのは不安の表れだろうな・・・

だんだんと娘の「だいすき」が重たくなってくる。

娘は「だいすき」を何度も言わなければならないほど不安なのだろうか。

こんなに我慢強く、いい母していると思うのにな・・・

 

「ママ笑って」 

「ママってどういうとき笑う?」

 

こんなことも言うようになった。

え・・・毎朝の「おはよう」からめっちゃ笑っているつもりだった。

でも、娘にはわかっていたのだ。

私が心から笑えていないことを。

 

学生時代も、社会人時代も、

多くの仲間に囲まれていることが好きだった私の生活は、

結婚し、出産し、専業主婦になったことで激変した。

「よいお母さん」になりたい。

そう思って自分で選んだ道だったが、

夫は忙しく、その頃は流産も経験し、

娘と一対一の生活を一人で引き受けているうちに

心身とも疲れてしまっていた。

でも「よいお母さん」でいようと一生懸命笑っていたのだった。

 

娘の言葉に、

高校時代に電車で見た母子の姿を思い出す・・・

 

 

そんなある日、

かつて働いていた会社の同期たちで会うことになった。

同期の自宅に、わいわいと子連れで集まるのだ。

私は心躍りながら娘と久しぶりに電車で遠出した。

横に並んで景色を見ながら話すのは新鮮なものだった。

 

同期の家。

わーげんき?と黄色い声がとぶ。

厳しい研修をともに乗り越えた気心知れた仲間たち。

実に気楽。赤ちゃん~幼児までそれぞれの子どもが自由に過ごしている。

みんなで握った娘の大好きなおにぎりもある!

 

私は久しぶりにほっとした気持ちで、娘から目を離し、

仲間たちとのおしゃべりに花を咲かせた。

 

夫のこと、こどもの成長のこと、

そして、会社員時代の面白い話。

なんでみんなこんなに話がおかしいんだろう。

おかしくておかしくてテーブルにつっぷして涙が出るほど笑った。

 

あーーー楽しかった!!

 

そうやって、帰りの電車に乗り、座席に座ると、

娘が言った。

 

「ママ、今日ママ笑ってたね!」

 

「え?」

 

「ママ今日たのしかったね!!」

 

くまのぬいぐるみと一緒に私のとなりに座ってる娘。

とっても嬉しそうな顔をしているじゃないか。

娘は勝手に遊んでいたようで私のことをしっかり見ていた。

私がげらげら笑っているの見て、よかった!と心から喜んでくれていたのだ。

 

あついものがこみ上げて、目に涙がたまる・・・

 

「だいすき」を繰り返す娘を見てずっと苦しい気持ちだった。

でも今はただただいとおしかった。

 

母子は写し鏡。

きっと娘は日々私が苦しそうで、

そのことをつらい気持ちでいてくれたんじゃないだろうか。

「だいすき」「わらって!」

そうやって私を励ましてくれていたのだ。

  

そう。

こどもはいつだって、ママがだいすき。

ママがこどもの幸せをねがっているのとおなじかそれ以上に

「ママも幸せであること」を願っているのだ。

 

だから言いたい。

Love yourself,ママ!

 

いらいらしてしまうとき、もやもやとつらいときは

誰かとつながって、誰かと話して、誰かに子どもを見てもらって、

あなたが心からリラックスする時間をとること。

 

そして、欠点があろうが、家事が滞っていようが、

そのまんまの自分でだいじょうぶだと自信をもつこと。

こどもがあなたを責めているなどと考えないこと。

 

だって「こどもはいつだって、どんなあなただって、だいすき」だから。

 

無条件に愛してくれるこどもたち。

そのことをぎゅーっと抱きしめたら、

あなたとお子さんの心がほどけてくるのを感じるはずです。 

バルセロナは真っ青、ロンドンはコッペパン、パリはいつもグレー

バルセロナ → 常夏

ロンドン → 雨

パリ → 晴れたり曇ったり

 

それが欧州へ引っ越してくる前の、天気に関する勝手なイメージだった。

でも実際は・・・

 

バルセロナ →たいてい真っ青の空、たまーに雨季、冬は普通に寒い。

ロンドン→雨が降るには降るが、大粒ではなくすぐ止む。雨上がりの空が最高。

パリ→基本空はグレー。いつもグレー。そして結構雨も降る。晴れるとおお!と思う。

 

こんな感じ。

 

3月にバルセロナに向けて日本を発つとき、暖かいだろうと思い込み、

冬のコート類を船便に入れてしまい大失敗。

着たいと思っても、2か月間は届かない。 

 

娘の学校のお母さんに

「あなたは今日お店に行くべきね。上着を買いに」

とアドバイスされる始末。。

 

でもあのぴーかんの青空は、

もうそれだけで幸せ!!!っていうくらい本当に気持ちよく、

朝からやる気がみなぎったものだ。

行動を後押ししてくれる天気。

前向きでゆったりした気持ちでいることを後押ししてくれる天気。

天気によって、この国の人たちの性格ができているよなあってつくづく感じた。

洗濯物もあっという間に乾く。

 

ところ変わって、ロンドン。

6月に渡英したところ、口々に「いい季節に来たね」と言われた。

住むことにした家の裏庭は、長らく手入れされていないにも関わらず、

それはそれは立派な赤いバラがポコポコ咲いていた。

ご近所の庭々も、色とりどり。歩くだけで楽しい。

 

イングリッシュガーデンを誇るイギリスだけあって、

雨も植物がよく育つ降り方をしていると思う。

雨は頻度が高いかもしれないが、降水量でいうと東京の比ではない。

霧雨~小雨程度のものがしばらく降ってさっと止む。

この雨と雨の小休止のあいだに、庭の植物もにょきにょき伸びる。

本当にぎょっとおそろしく感じるほどに成長するのだ・・・

 

雨上がりには、クリアな青い空に虹がかかることがよくあった。

濡れた芝生や葉のにおいを嗅ぎながら、ベビーカーを押し、

レトロな住宅街をのんびり歩くのは悪くない散歩であった。

雨雨というけれど「雨上がりの美しさ」というおまけがある国。

 

あと、ロンドンの空は雲が面白い。

コッペパンのような形の雲が、空の低いところにたくさん浮んでいる。

それは脳内イメージの中の、ザ西洋画の空なのだ。

子どもたちが車窓から「絵みたいなくも~」とよく言っていた。

ロンドンの空は見飽きないのである。

 

もう一つ、イギリスに滞在したら注目は、朝の天気予報。

一日の中にすべての天気が入っているといわれているイギリス。

バルセロナの天気予報は、おおむね晴れマークでさっと終わるのだが(笑)

イギリスの天気予報は違う。

もう芝居仕立て。

どこからどう風が吹いて、いつ風向きが変わるのか、

どの時間帯から日が差してくるのか。

雨はどんな種類の雨なのか(雨の英語表現がたくさんある)。

キャスターが膝の上下運動や、両手の大きな動きによって、

全身でイギリスの一日の天気を教えてくれるのである。

 

そして、今日は一日中晴れます!という珍しい日には、

外からの中継も、お祭り騒ぎ。

「見てください!この空を!完全にすばらしい!

 今日は完ぺきな一日になりますよ!!」

と叫びまくるのである。喜びがあふれている。

 

パリ。

パリはいっつもグレーだ。それがパリの基本形。

ここのところ欧州一ひどいと言われている大気汚染のせいでもあるのか、

よく分からない。

空気が流れにくい土地のようで、もやもやーーっとしている。

住んでいるあたりには豊かな緑もないので、

目に入るのは、家々とグレーの空である。

 

どんよりとした空というのは実にテンションが下がるが、

パリのすごさは、このいけてないグレーの空と石造りの建物だけでもなお、

はっとする美しさを感じさせるところだ。

(路上の汚さはおいておいて・・・)

 

日本に住んでいたころ、お天気の悪い日に街中を歩いていて、

おお美しい!と感動するという経験はしたことがなかった。

 

パリの街並みを天気が悪くても美しいと感じるのは、

まさにそれこそ「芸術の力」なのだろう。

 

欝々とした空の下にたたずむ物憂げな彫刻、 

橋げたを支える女神、

連なるアパルトマンに陰影を与える繊細なアイアンの門やバルコニー。

美しいシルエットの堂々たる街燈。

 

お天気がなにか?

そんな感じ。

 

芸術が美術館に入っているのはなく、

街に息づいている。

 

どんよりした空すら、その芸術をより浮き立たせる

「効果的な背景」のようにすら思えてしまうのだからすごい。

 

パリの人が黒ばっかり着るのは、

この街の景観を邪魔しないためなのか?(とすら勘ぐる)

 

 

ただ、こういった天気の問題点は、

陽射しが少ないことによるビタミンD欠乏。

私を含め、お友達もよくお医者さんに指摘されている。

ビタミンは関係ないのかもしれないが、

ロンドンにしてもパリにしても暗い時間が長い秋冬は

とくに気分も滅入る・・・

 

そういえば、バルセロナの海には、

ドイツやイギリス、ロシアから来たであろう人たちが寝そべって焼いていたが、

あれは健康上必要なのだろう。

心と体が猛烈に陽射しを欲しているのだと思う。

 

陽射しの少ない街に来て共通の風物詩は、

太陽がばーっと出ると、

「今だ!」とばかりに誰もが芝生に寝転んで焼く光景である。

 お年寄りは公園のベンチに腰掛け、

若者はできるだけ肌を出して芝生に寝転んでいる。

 

日本人にとっての温泉と一緒だ!と私は思っている。

実際にしばらく太陽を浴びると、体内がほっと充電された感覚があるのだ。

そう、こちらの人たちはお湯ではなく、太陽に癒されているのである。

 

ママだって「私の心」が喜ぶ時間を持とう!それも計画的に。

こんにちは。

パリ在住3児の母、Tomokoです。

 

我が家の末っ子は2歳半。

週2回、現地の託児所に入れています。

 

これは上2人を幼稚園まで手元で育ててきた私にとって、

大きな決断でした。

 

仕事してないし、、、

子守りするのが専業主婦だし、、、

リフレッシュのために預けるなんてそんな、、、

 

私の心には、「しない理由」のオンパレードが。

どこか預ける場所を探すってことすらしませんでした。

 

パリに来て、いい託児所があるよ、と教えてもらってからも、

 

この子はそんなに手がかからないしな、、、

預けてまでしたいことがあるわけじゃないしな、、

 

ってまた「しない理由」を考えて、

自ら一人の時間を持つというチャンスを放棄していました。

 

でも。。。

コーチングの中で、

「急がない、けれど大切」である

「リフレッシュ時間」を持つ効用を教えてもらい、

手始めに、自分の一週間の行動(現状)を書き出してみたところ、

ものすごいショックを受けました。。。。

 

・洗濯機まわす

・朝ごはんづくり

・お弁当づくり

・こども見送り、末っ子と散歩

・洗濯物干す

・スーパーに買い物

・お昼ごはんづくり

・食べさせる

・後片付け

・二回目の洗濯機を回す

・こどもと遊ぶ

・アイロンがけ

・部屋の片づけ

・お迎え

・おやつの提供

・夕飯の支度

・宿題を見る

・習い事の練習につきあう

・夕飯の片づけ

・お風呂へ入るように促す

・歯磨きの仕上げ磨き

・絵本を読みながら一緒に寝ちゃう・・・

・そして遅くに起きて、シャワーを浴びて寝直す

 

ぎゃーーーー

私って完全なる「家政婦&ナニー」??

自分の喜ぶ時間ひとつもない。。。

しかも毎日一緒やん。ってこれ何年もやってきたけど。。。

 

 「自分の時間」とは、

ただ、空き時間にだらだらとフェイスブックを見る、とか

特に気乗りのしないお付き合いの集まりに参加するとかではなく、

 

計画的、意識的に入れる「本当に自分の心が喜ぶ時間」

 

だと私は認識しています。

 

だからその人次第。なんでもいいんです。

私の好きなことってなんだっけ?

一生懸命思い出しました。

 

・美術館や美しい建築を見るのが好き

・インテリア本を眺めるのが好き

・器を見たりコーディネートを妄想するのが好き

・お風呂にゆーっくりつかるのが好き

・教養番組が好き

・カフェで読書と人間ウォッチングが好き

・フランスの家庭料理習いたい

・劇場でバレエや演劇を見たい

・ジョギングしたい

 

出てきた出てきた。

私にも好きなこと、やりたいことあったんだ。

 

ちなみに、「家族と一緒」「こどもと一緒」はファミリータイム。

もやもやするママが持つべきものは、

私の心がよろこぶ「私時間」。

 

もし、幼い子がいて託児所に預けられなくても、

朝30分早起きして、朝からいい匂いの湯船につかっちゃうとか、

寝静まったあとに、お気に入りの映画を見るとか、

土曜日の午前中はパートナーに子どもを預ける日として、

デパートの企画展見てくるとか、ジョギングするとか

そんなのでよいんです。

 

「しなければならないこと」で追われていると、

もう心は機械と化して、人間らしい感性を失っていきます。

 

自分の心が喜ぶ「私時間」。

これを短くても、意識的に入れていくことで

自分の心が潤うのを感じます。

 

そして、できれば思い付きではなく、

計画的に時間をとること。

そうすれば、あそこであれができる!というある種の安心感が

そこに至るまでの時間も充実させてくれるのです。

 

話は戻って、そんなわけで

せっかくのチャンスを使わせてもらおう、と

週2回、託児所に入れることにしました。

 

午前中だけ預ける慣らし期間を経て(私が設定、心配性(笑))

今は週2回、9時-15時で行ってくれます。

 

彼は、家では昼寝なんてしないのに、

託児所では、着替えて、暗くして、お守りのぬいぐるみを持たされて、

各自のマットレスに強制的にお昼寝させられることにより、

今では愚図らずぐっずり寝ているらしいです。

 

この週2回の自由時間確保により、

私の気持ちもずいぶんメリハリが出てきたと思います。

 

たとえば、友人とのおしゃべりだって、

また今度!というあいまいなものでなく、

〇曜日か〇曜日だったらお茶できるよって

明確に言えるんです。

 

ちなみに、昨日は託児所デー。

友人と夢の(!)「子連れじゃない美術館巡り」を決行しました!

一度子連れで行って、大変な目にあったオランジュリーとオルセー。

再訪したかった私も、友人も、

今回はお目当ての見たい作品をゆっくり見れて、心潤って託児所へ。

 

胸に飛び込んできた末っ子は、

「ねんねんしたのー」と自慢げに報告。

「ママも楽しかったんだよ!ありがとうね」って言ったら

うれしそうにギューしてくれました。

 

夕方には、学校から帰宅した上2人から学校の話を聞きつつ、

私は私で、楽しんだ時間を報告。

インターネットで、絵画の画像を見せながら(笑)

 

「今日お母さんね、前見れなかったこの絵を見たんだよ。

 〇〇ちゃんのお母さんはね、これが好きなんだって。

 実物みたらきらきらしてすっごくきれいでね」

 

母親が楽しげだから、子どももへーって嬉しそうに聞いてくれました。

 

「この絵とこの絵を描いた人は一緒なの?」

 

とか質問までくれちゃったりして。

 

子どもの自立までの間に、

一緒に暮らせる貴重でいとおしい時間。

それをもっと単純に喜び、楽しめるように、

まず「あなた自身」を大切にしていきましょう。

 

機械にメンテナンスが必要なのと同じように、

ママにも心身のメンテナンスは必要なのですから。

もちろんパパだってね。

2度目のごあいさつ

随分ご無沙汰してしまいました。

ここのところ、大きな心境の変化があり、

仕切り直しのごあいさつです。

 

以前も書いたのですが、

このブログは、第一子出産とともに仕事を辞め、

専業主婦生活10年になる煮詰まり気味の私にとって、

ささやかな「私として生きる」ための一歩でした。

 

もちろん、単純に、

経験したことを共有したい!という気持ちからでもあります。 

 

フェイスブックでシェアしていただいたり、

応援するメッセージもいただきありがとうございます!

 

ところで、今回、何を仕切り直しするかというと、

書くにあたっての私の気持ちです(笑)

これからは、もう少し自分のことをさらけ出していこうかと。。

母として、女性として、煮詰まっていた心のこと、

そしてそこからどう脱却したのかという話です。

 

結婚生活の前半を日本、後半を欧州で暮らす機会に恵まれ、

3人の子どもにも恵まれ、

そもそも、なにを「もやもや」?なにを「いらいら」?

とお思いでしょうか。

 

必死にスペイン語を学び、

4歳児と0歳児を連れてバルセロナに着いたのは5年前。

その後、小学生と2歳児を連れて、地獄の妊婦引っ越し。

ロンドンにて出産。

テロ直後に、三児の母としてパリに引っ越しました。

 

いやはや。母親とは本当にハードワークですね。

特に授乳期の子どもがいると、もう起きた時点でへろへろ。

そこへ背後から幼稚園児が襲い掛かる、、そんな日常です。

そう。生活のルーティンはどんな街に住んでいようが、変わりません。

専業主婦ですから、まさに24時間子どもとともにある日々。

 

海外の場合、言葉の不自由さも知らず知らずストレスとなります。

また親兄弟などの身内が近くにいるわけでもありません。

(日本でも核家族でそういう状況は珍しくないと思います)

そして、どこにいてもよく働く日本人の夫たち!

ロンドン時代の夫は、月~金で出張、土日に帰宅という生活でした。

これって一緒に住んでる意味あるの?っていう。。。

第3子出産と、3児の育児スタートはそんな環境でのことでした。

 

前向きさがウリの私でも、引っ越し疲れとともに、

もう本当に気力体力の消耗が激しく、

時に異常にいらいらし、時にぷつんと何かが切れて、涙が出てきました。

そんな自分をあの手この手でいなす日々。

 

睡眠重視。

手抜き料理、手抜き家事。

八方美人に予定を詰め込まない。マイペース。

育児だけで凝り固まる脳みそがおそろしく、

授乳しながら、狂ったようにTEDを見ていた時期も。

さらに、断捨離してみたり、こんまりしてみたり。

最大の楽しみは、人と会うことが大好きなのでお友達を家に招くこと。

どれも、その日は楽しい。

 

でも、、、

いらいら&もやもやの根っこは全然消えず、

たまに帰宅する夫とは、ささいなことで口論がたえなかったのです。

それはそれは落ち込みました。

家の中の唯一のまともな会話相手、パートナーである夫と心が通わないなんて、、と。

 (当時の率直な気持ちです)

 

「いつか振り返れば、今この瞬間も幸せだと思うに違いない」

と何度遠い目をしたことでしょう。

 

でも、幸せってそうやって義務感で感じるものじゃないですよね。

どこに住んでる、何を持っている、じゃない。

いかに心が満たされて暮らしているかが重要なんだと

私はつくづく感じていました。

 

夫にいらいらしている自分も嫌。

そのいらいらを娘にぶつけている自分も嫌。

母とのコミュニケーションに振り回されている自分も嫌。

自分の一番大切な人たちにやさしくできない私って何だろう、と

今思えば、自己嫌悪をいっぱい抱えていたのです。

 

いらいらしないで、心から笑って暮らしたい。

 

そんな気持ちが頂点に達したとき、

ある人のサイトにビビッときて、コーチングを受けてみることに。

 

オーストラリア在住のフードコーチ、マーシャン祥子さん

HOLISTIC FOOD JOURNEY

 

そうして、自分と向き合ってみたら、

分かるわ分かるわ、自分のこと。

分かるわ分かるわ、夫のこと。

自分を苦しめていたものの正体※がわかり、

それを笑い飛ばしたとき、なにかがすーっととれていきました。

(※全部自分の心がつくっていたものでした)

 

長年、いかに自分を放ったらかしにしてきたかも分かりました。

自分ひとりで自由になる時間なんてほぼなかったんです。

そしてそんな時間をとることも「できない」し、

「してはいけない」と心の奥底で思っていました。

そんな時間を積み重ねると、自分が何者か?何が好きか?も思い出せなくなるのです。

 

そこそこ波乱万丈な自分の人生を振り返り、

自分の性質や、経験から学んだことを見ていったとき、

 

「私、がんばってきたな」

「私、そのまんまで価値があるんだ」

「私、そのまんまで愛されてたんだ」

 

自分で自分を受け入れられたとき、本当に力がみなぎりました。

「よき母」っていう大蛇のような呪縛があったんだな。

 

そこからの人生の気づきが気づきを呼び、

もう悟りの境地(笑)

まるで憑き物が取れたかのような最近の私です。

夫や子どもを変えたのではなく、自分が変わったんです。

視点を変えると、心がこんなに軽くなるのだと。

 

夫の発言にもいらいらしない!

そして、子どもへのいらいらもほぼなし!?うん。

なんだか大きな器になって、やたらいとおしい。

 

この経緯にまつわる話は、 

このごあいさつには内容書ききれないので、

おいおい書くとして。。 

 

以前、岸恵子さんが

実り多い人生にするために大切なこととして、

こんなことをおっしゃっていたそうです。

 

「心の窓を大きく開けて、外の新しい風をいれること。

 窓は自分で開けるしかない」 

 

このブログでは、ひきづつき、

国内外、通算14回に及ぶ引越し人生の中で培った人間観察力による(笑)

人間エッセイをどんどん書いていきますね。

 

さらに、私の10年間の育児奮闘記、

ここ5年間、バルセロナ・ロンドン・パリという欧州三都市で見てきた

日本とはまた違った「女性」や「夫婦」「家族」の姿も。

 

そして今回、

 

「〈よい母〉より〈しあわせな母〉になろう!」

 

と決意した私自身の心の変化、気づきを

皆さんにシェアしたいと思います。

 

そして、その中の何かが、女性、

とくに、いらいら&もやもやの気持ちを持ちながら

がんばっているニッポンのお母さんたちにとっての

「新しい風」になることを願っています。

 

これからもお付き合いくださいませ。

 

※カテゴリー分けを変更しました。

ご興味あるところから覗いてみてくださいね。 

はじめてのお産 4 出産直後に頭に浮かんできたこと

ついにやりきったぜ・・・

 

おなかに座らされるように置かれた赤ちゃんは、

火の玉のように猛烈に熱くて、

ずしーっと重く、

「いのちの重さ」そのもののようだった。

 

両手を広げて泣くその姿は、

今の今までおなかに入っていたとは思えないほど大きい。

 

私は達成感が勝り、泣いてはいなかったが、

夫は私の頭上で首からぶらさげた白いタオルで涙を何回もぬぐっていた。

実際、痛いのは私だったけれど、

痛がる人を何時間も何時間も見ていなければならない彼もさぞ大変だっただろう。

心なしか、いや、実際夕食食べそこなった夫は、

この一晩中の付き添いで、げっそり痩せたように見えた。

 

赤ちゃんが私の胸にやってきた。

あったかい。とにかくあったかい。

小さいけれど、中身がつまってるという感じで重たい。

無力かもしれないけど、「生命力」のかたまりだった。

 

過呼吸の影響で肺が痛かった。

傷の縫合もいろいろあって・・・・

だが、安堵感でいっぱいだった。

安堵感と、えらく澄んでクリアな頭がそこにあった。

 

出産前までは、赤ちゃんが生まれたら

「わーかわいい!」とか「わたしの子に会えた♪」

という若干きゃぴきゃぴした気持ちになるのかと思っていたのだが、

実際はそうではなかった。

 

はっきり感じたのは、

この子は私の「所有物」ではなく、私とは「別人格」であるということ。

彼女はもうこの世界に出てきて、一心同体ではなかった。

神様に育ててみなさいと授けられたんだな。

一つのいのちを預けられたことに「畏れ」のような気持ちが湧き上がる。

 

そして、しわしわの顔で眠るわが子をまじまじと見たとき。

私は、不謹慎にも、こんなことを考えた。

 

「この子はいつかまた、

 こんな風にしわしわのおばあちゃんになって人生を終えるんだな・・」

 

・・・・でも、そのとき私はもういない・・・・・・・

 

目に涙がたまって娘の顔がぼやける。

この子の人生の始まりにこうやっていることができる私は、

この子の人生の終わりにはこうやって横にはいられないんだ。 

 

涙が何回も耳のほうへ落ちていく。

 

だから私の使命は、

この子が一人でも幸せに楽しく生きていけるよう 

自立させてやることなんだ。

その日まで神様から預かっているんだな。

 

生命誕生の時に、その終わりを考えるなんて変かもしれない。

でもそんなことがふってきたのだった。

 

そして次の瞬間、

この子が生きていく世界がどうかどうか平和であるように祈った。

願ったんではなくて、祈った。

「祈り」という言葉の意味をはじめて分かった気がした。

 

他に浮かんだこと。

「私ってただの動物だったんだな」ってこと。

小難しいこと言ったって、お化粧して洋服着たって、中身は人間という動物。

生命誕生への小さな波、大きな波、すべてこの生身の身体で受け止めるしかない。

私の身体を通してしか生まれられない命。

私の身体でしか育たない命。

生き物の仲間になったシンプルな気持ちだった。

 

そして女性への敬意が溢れてくる。

どんな困難な時代、どんな場所でも産み続けてきた女性たちを

心の底から尊敬した。

 

「あ、戦争って男がするんだな」

 

そんなこともふってきた。 

太古の昔から命がけ産んできた女性たちが、

人が命がけで産んだいのちを奪うだろうか。

 

女性がもっと政治に関わったら、いい世界になるだろうなとか。

そんなことも考えた。

 

体は疲労困憊。毛細血管の先の先までぜんぶ開ききった。

肺も傷も痛い。力が入らない。虚脱感。

でも感覚はむきだしみたいで、頭はクリア。

不思議な感覚だった。

 

部屋をうつり、係りの人が食事を運んできてくれた。

それはそれは豪華なものだった。

左上隅に紅茶プリンが置いてあった。

すごく食べたい。スプーン。

でも腕が一ミリも上がらなかった。。。

 

しばらくして、食べれなかったですねーとお膳は片づけられた。

はじめてのお産 3 やる気スイッチ

いよいよ、分娩台にのり、その時を迎えたときに、

早朝出勤組の助産師さんがわさわさとやってきた。

 

さっきまで助産師さん一人いるかいないかだったのに、

若い方、ベテランそうな方含め、

そりゃもうわっさわさやってきて、笑顔で私を取り囲み、

 

「さあ!がんばろう!」

「大丈夫よーできるできる!」

「あとちょっとよー」

 

とか次々に声をかけられる。 

まっくらで孤独な夜を経て、大注目を浴びる朝。

耐えるのではなく、産むという行為に向える朝。

みなさんのテンション。それだけでもう産まれそうである。

 

はい。完全にやる気スイッチ入りました!!!(笑)

 

よっしゃー!赤ちゃん。あなたもがんばったねえ。

お母さんと一緒に力を合わせてあとちょっとがんばろうね!

 

アドレナリン効果でもう痛いとか全然思わなかった。

どうにか呼吸を合わせていきんでうまく出してあげたい。

それだけだった。

 

「そうそう上手上手」

「いいよいいよ」

 

これって魔法の言葉。

力がどんどん湧いてくる。

 

数回いきんだら、

おなかにベテランらしき助産師さんが乗っている気がした。

吸引しますと聞こえた気がした。

 

フギャー!!

 

グレーのような赤黒いような赤ちゃんが

大きく大きくめいっぱい手を広げて、

私のおなかの上にやってきた。 

はじめてのお産 2 がっちがちやぞー

痛みを呼吸でなんとか流そうとして、深く呼吸をしすぎた。

手がしびれ、呼吸が苦しい。

やばい、これは過呼吸だな。

 

夫にビニール袋をもらうように依頼。

母が昔なって救急車で運ばれたのを見ていたから、

どうすべきかよく知っていた。

自分の吐いた息を自分で吸って落ち着かせなければ。

この人生最大のイベントで、

過呼吸なんかにかまけているわけにはいかないのだ!

 

小刻みに震える手で、なんとかビニールをつかみ、口に当てる。

はああああああ。。。

多少落ち着いたのもつかの間、次は腰が砕けるような波がやってくる。

 

これからが本番というのに、

すでに全身が震えるほどがっちがちであった。

 

なんてこった。もっと上手く産むつもりだったのに。。。

 

ベッド上でどういう体勢をしたら楽なのか?なんてことは

まったく分からなかった。どっち向いても痛い。

どうしたらいいのかわからない。結果、寝っぱなし。

ど素人の夫と二人。

 

ああタイムスリップして教えてあげたい。

バランスボールに座ってみなって。

 

痛くなったら夫の腕とかもうどこかも忘れたが、

ギューーー!!とひねりあげていた気がする。

陣痛とはよくできていて、波と波の合間にしばし生き返ることができる。

でも、もう次の波が来るのが怖すぎた。。

 

こんな風にベッドにずーっと寝たまま痛みに耐えるシーンを見せたら、

私が第三子を産んだロンドンの助産師さんに叱られるだろう。

なにやってるの?寝ててお産が進むと思うの?

Gravity(重力)よ!Gravity!

そう言われそうである。

 

でもこの時の私には、座るとか、歩くとか、階段を登るとかそんな選択肢はなかった。

どうしたらいいのか分からないし、誰もいないし、痛いから動けないし、

という感じだった。

 

波の感覚が短くなり、いよいよという感じで、助産師さんが来た。

 

「うん、いいかんじよーいいよー」 

 

あったかい手で腰をゆっくり、でも強くしっかりさすってくれる。

 

うわわーーー 痛みがひくーーーーー癒されるーーーー

天国だった。

 

今まで夫がそばにいてくれた。さすってもくれた。

今言おう。そこじゃない!

 

なんという違いだろう。

なんという癒しだろう。

この人がずっと横にいてくれたらどんなに心強かっただろう。

安心して泣きたい気持ちになった。

 

夢にまで見た早朝になり、

私は「栄光の分娩室」に移動することになった。

痛みがひいている少しの間にいざ移動だ!

 

よっしゃやったるでー!

立ち上がって数歩歩くと、、、

 

ドッシャーン!!

 

と自分の体内から大量の水分が出た。

それはまるで、体内で水がたっぷり入ったバケツが一気にひっくり返った感じ。

 

破水(ハスイ)

 

そんな基本的な言葉もぶっ飛ぶくらいの衝撃。

な、、なに??何が起こったの?これって大丈夫ですか??

ワ、ワタシ、ダイジョブですか?

まさに腰が抜けそうになり「ああああああ」と声を出したら

それが相当まぬけだったらしく、夫が笑いをこらえている。

おのれー。

 

やっとの思いで分娩台にたどりついき、

寝そべった。

 

そして、助産師さんは言った。

 

「ここに足をあげてください」

 

「へ??」

 

テレビなんかでも見たことのある足を支える台が左右に見える。

でもなんて高く遠いんだ。

もうエベレストみたいに思えるのだ。

 

この状態であんな高いところに足を上げる??

もう泣きたい。

でももうちょっとで毎日語りかけてきた赤ちゃんに会えるんだ。

さあ、登るんだ!!あの足のせ台へ!!!  

はじめてのお産 1 はじまり

10年前の第一子出産。

無痛分娩推奨病院での、自然分娩当日がやってきた。

 

たしか夜9時半すぎに、恥骨上部にぐりぐりくる違和感。

待ってましたとばかりに時間を計ると

うん。めっちゃ規則的。

 

おおおお!!!ついに来るべき時がきたか!!

よっしゃやったるでー!

テンション上がる私(笑)

これから産んできまーす!と食卓でピースサインしている写真も残っている。

若いってすごい。。。

 

こわいと思っていた感情はもうどこかに行っていた。

会社の先輩が貸してくださった本に影響されて、

呼吸をしっかりやって、自分の産む力を信じて産んでみよう。

太古の昔から女性は産んできたのだ。できるできる!

と自分を暗示にかけて、いい調子でこの日を迎えていた。

 

病院に連絡し、夫の車で乗りつけた。

夫もなにやら興奮気味である。

 

おなかの収縮を見たり、

内診を受けたり、

どきどきしつつ、でも冷静で。

静かなる闘志を胸に秘めて。

 

と、この辺で記憶はとんでいる。

 

次思い出すのは、

暗ーいベッドで夫と二人、痛みと闘う図。

そう、まさに闘っていた。

 

どーんと痛みを受け入れ、ふーっと吐きながら受け流すつもりだったのに、

どう大きな心でいても、痛いもんは痛い。

痛みの波と波の間は、次来る痛みを迎える恐怖で体が硬直していた。

首も肩も腕も力を入れすぎてがっちがちであった。

 

以前も書いたが、お世話になった病院は無痛推奨病院。

月ー金が麻酔科医のいる無痛分娩希望者の日。

私が駆け込んだのは、土曜日。

だから言ってみれば営業時間外に来てしまったような感じ。

もちろん、お医者さん、助産師さんいらっしゃいました。

でも手薄だったのかな、、、

 

助産師さんが背中をさすってくれるとか、

歩くように勧めてくれるとかそういうことはなくて、

「痛くなったら呼んでください」とだけ言われて置いてきぼり。。。

ちょ、ちょ、ちょ。

痛くなったらって、もう結構痛いけどどれくらい痛くなったら?

そんな間抜けな質問をすることもできなかった。

 

最終的に出産することになる分娩台のある分娩室の横に、

小さな、その名も「陣痛室」がある。いわば待機場所。

助産師さんからOKでなければ、「栄光の分娩室」へは移動できない。

 

私は陣痛室の硬いベッドに横になったまま、

夫と二人きり。

 

すると、もう一組のカップルがカーテン挟んだ隣に入ってきた。

おお!一緒にがんばる人が来てくれた!と本当に心強く思った。

孤独から解放される!一緒にがんばりましょうね!そんな気分。

 

ところがどうだろう。

しばらくして赤ちゃんの心音がどうのこうので、

帝王切開になることが決まったらしく、さーっといなくなったかと思うと、

次の瞬間、

 

おめでとうございますー♪♪

 

と明るい声が響き渡った。

 

えっ!!もう生まれちゃったの?

がびーーん、、、、お、おめでとうございます、、(涙)

 

人生であれほど人をうらやましいと思ったことはない。

帝王切開だって大変な出産だ。術後の痛みも不自由さもある。

でも、あの時、どうにもこうにも痛くて先の見えなかった私には、

もうゴールを迎えたその女性はまぶしかった。

私も切ってくれー!そう叫びたい気持ちだった。

 

はあああああ、、、私も早くそこにたどり着きたい!!

そうだ、大体こどもって早朝生まれるよな。

きっと私も早朝なんだろう。

 

今なんじ??

 

これ何回聞いただろう。

でもこういうとき時計の針は全然進まないのだ。

バルセロナで食べた高級梅干しが教えてくれたこと

バルセロナで暮らして2回目の夏に、

夫の職場に日本からの出張者が来て、

日本土産だと美味しそうな梅干をくださった。

 

たまーに来る出張者からのお土産は

ときにお茶漬け、ときにラーメン、ときに日本のお菓子。

日本のものが恋しいわれらとしては、どれもとても有り難かった。

特にこどものテンションの上がり方が半端ないのだ。

大体その日のうちに食べてしまう。

 

今回は梅干し。

一粒一粒上品に並んで、とてもよいもののようだった。

 

夫から受け取って、

大事に食べないとなあと冷蔵庫にしまおうとして、

「おいしそうだなあ・・」と梅干を見つめた私。

うん、ちょっと味見してみよっと一粒取り出し、梅干を指で挟んだ。

皮が薄く、やわらかい。

ほいっと口に入れた。

 

・・・うわわわああ・・・・・

 

キッチンの冷蔵庫の前で、タイルに裸足で仁王立ちの私は目を閉じていた。

目を閉じて味わいたい味だった。

ほんのりすっぱくて、遠くから甘みがやってくる。

だんだん甘みがせまってくる。

それだけじゃない繊細で慈悲深い味もやってくる。

なんて深い味わいなんだ。

 

はあ・・・お・い・し・い・・・・

 

日本てすごいもんつくるな。

これ率直な感想。

 

梅干し一粒を味わいながら、

全身がリラックスしていくのを感じる。

 

そして味わいの中に歴史を感じる。

この味にいきつくまで、もしくはこの味を守るため

生産者さんや職人さんたちが努力されたのだろうなとか思うわけである。

こんなにシンプルな原材料でこの味わい。

 

バルセロナの冷蔵庫の前で私は

日本の真に美味しいものの底力を感じまくっていた。

 

たくみお姉さんの歌といい、この梅干しといい、

海外で生活していると、日本への感覚が妙に研ぎ澄まされる部分がある気がする。

 日本の変なところも見えるし、日本の良さもめっちゃ分かるのです。

たくみお姉さんの歌が教えてくれたこと

バルセロナに渡航して1年くらい経って、

ふと「おかあさんといっしょ」のCDをつけた。

 

そして聞こえてきた、たくみお姉さんの歌声。

 

♪やさしいこえが さあおいで~♪♪

 

な、なんだろう、この繊細で可憐な音は。

日本で長女を育ててるときに何度も聞いたはずなのに、

全く違うもののようだった。

 

それではっとした。

渡航して一年。家でも外でもスペイン語漬け。

そのせいで「私の耳」が一瞬、たくみお姉さんの歌声を

初めて聞く外国語のようにとらえたのだった。

 

それはまるで日本語を初めて聞いたスペイン人状態??

 

「さ」とか「く」とか「ち」とか、いちいち繊細できれいな音だ。

「ささのはさーらさらー♪」とか言われた日には、もう卒倒しそうである。

 

スペイン語は基本、結構ベターっと発音するし、巻き舌もある。

その濃い発音に慣れた後に聞くと、お茶漬けのようにさらさらしている日本語。

 

へー、そうだったのか。

抑揚がないといわれる日本語だけど、

日本語の響きの美しさってこのことだったんだあ。

 

たしか、アナ雪主題歌の多言語バージョンで

松たか子さんの日本パートが人気だった理由も

日本語の響きだったよなあ。

 

たまには日本語の響きを味わって話してみよっと。

スペイン語の太陽みたいな明るい音も

フランス語のもしょもしょするエレガントな響きも、

英語の滑らかな音も、それぞれに素敵だけども。

日本語はそのどれとも違う繊細な可憐な音だ。

 

日本語が外国語に聞こえたのは、

あとにも先にもその日だけ起きた不思議な体験だった。

 

外に出ると分かる日本のことって色々ある。 

パリの託児所の先生から学んだこと

我が家の3番目、末っ子はただ今2歳4か月。

最近、週2回フランスの託児所に通わせ始めた。

 

私は長女の幼稚園入園以来、5年ぶりの一人時間を獲得し、

カフェでコーヒーを飲んだり、背筋を伸ばして颯爽と(の気分!)

行きたい店を渡り歩きながら、いいねえとニヤケている。

 

パリの託児所がどこもそうだとは思わないが、

最初の1週間は連日登園の「慣らし期間」だった。

 

1日目は、1時間お母さんと一緒に遊んで帰る。

2日目も、1時間お母さんと一緒に遊んで帰る。

3日目は、1時間のうち、15分だけ母親が外出。

4日目は、1時間のうち、30分だけ母親が外出。

5日目は、最初の10分一緒で、あとの1時間は母親外出。

6日目は、最初から2時間、母親外出。

 

とまあ日本人も驚く丁寧さである。

 

連日、母と一緒に同じ場所を訪れることで、

こどもが「場所」と「先生の顔」に慣れていくのを感じる。

また、自分の「お母さん」と「先生」が親しく話しているのを見て、

日に日に先生に心を許しているように見える。

 

新しい託児所。パリにしては珍しく広々として、遊具も豊富。

私も息子も、最初の2日間ですっかりその場所を気に入った。

 

3日目。初めて息子が私と離れる日。

いつもの家での息子の様子を見ていると、

来客が多いからか、他の大人にも案外平気であるし、

過去2回、シッターさんをうちに呼んで見ていただいた時も、

数時間、愚図らず兄弟と一緒に楽しく過ごしていたので、

私はまたいつものように「そーっとその場から消えよう」としていた。

 

玄関に向かうと、若い先生が追いかけてくる。

 

「ねえ、〇〇にママがいなくなること言ったの?」

 

「(ええええ、、、言わないほうが泣かないよ・・)言わなきゃだめ?」

 

「そうね」

 

引き戻される。

ベテランのD先生が、そこにはいた。

私は言い訳じみて言った。

 

「彼は私がいなくなっても知らずに楽しく遊ぶタイプで・・・」

 

すると、彼女は毅然と言った。

 

「それはだめよ。

 彼にママはいなくなるけれど、必ず戻ってくるということを

 理解させる必要があるの。」

 

「ここは、あなたが安心して楽しく遊べる場所で、

 こどものための場所であって大人の場所でないこと。

 あなたは楽しく遊ぶ、お母さんも外で楽しい時間をすごす」

 

「そして、必ず、お母さんは事前に約束した通り迎えに来ることを

 こども自身に分からせないといけないの」

 

「そうでないと、ひとしきり泣き終えてからも、

 どうしてママはいないんだ?って理解できずに

 不安になってずっとぐずぐず言うのよ」

 

「だから言わないで行くなんでことは意味がないわ。

 たとえ最初は泣いてもね。きちんと説明しておくことに意味があるの。

 できれば前日の夜から話をしておくのがベストね。

 子どもだって言われていることが分かるのよ」

 

説明責任。

こどもを一人の人間として扱うこと。

そんなことを言われているような気がした。 

 

息子は、私が出ていく時には、わんわん泣いて、

迎えに来た瞬間も、安堵から「おかーしゃーん」と泣いていたが、

私はその度に

「〇〇くん、ただいま!ほーら、おかあさん帰ってきたでしょ♪」って

くどめに言った(笑)

 

6日目に迎えに行ったときには、

シャボン玉で楽しく遊んでいて、私を見ても泣かなかった。

「おかーしゃん、おかえりー!シャボン玉みてー」っていう感じ。

うん。この場所をわかってきてる。 

パリでスリに遭いました・・

先日、海外生活5年目にして初めてスリに遭いました・・・

 

平日、午後2時過ぎ。

ATMで150ユーロおろした私は、

子どもの学校へ行くためにバスに乗って。

着席シートが満席+数名くらいの混み具合。

いつものように後部入口すぐの、

ベビーカー置き場にベビーカーを置いて、そのすぐ後ろに立っていた。

 

もうすぐ降りるバス停。 

ものすごーく寒い日で、手がかじかんで

両手打ちでメッセージを打っていたiPhoneを

斜め掛けにしたいつものバッグにしまおうして、

 

あれ????

ぺしゃんこだ・・・え?やられた??

携帯触ってるんじゃなかった。

でもかばんは体の前にあって、私の体はぴったりベビーカーにくっついていた。

マグネット式の蓋を開けられたような感触は感じなかった。

知人がされたように底をナイフで切られたのかとカバンをひっくり返す。

切られてない。

そもそも、乗車中、人と触れ合ったこともなかった。

カバンはずっと前にあったのにどうして?どうやって??

 

周りを見渡す。微笑む老人と目が合う。

 

なに?いつ??

あっっ降りなきゃ!

 

すられた瞬間を全く把握できなかった私は、

まるでマジックにかかったかのような、きょとん状態。

 

まさかそんなはずはと、

ぺしゃんこバッグを叩いてみたり、ふたを開けてみたり、

もしやベビーカーのどこかに財布があるのじゃないかとのぞいてみたり、

無駄な抵抗を試み、そして現実を受け入れた。

まずいな。事務処理-----っっ!!

 

幸いにも、パスポートも、フランスの居住許可証も、

車の免許証も入れていなかった。

ID関係を失くす方が手続きが面倒なので、

夫はそのことをよかったと言った。

夜中の日本にも電話し、処理処理処理。

路上にいたから車の音で、日本のカード会社の人の声がとおいとおい。

 

「カードを停止いたしました。

 後日新しいカードをご実家に送付いたします」

 

ふうやりきったぞ!!

そして、どーんと凹む・・・・

 

私は用心深いほうで、

普段からバッグをぽんと置いたりしないし、

周りも用心深く見るし、

斜めがけしているバッグは必ず前にしているし、

カード決済時も暗証番号を見られないように、とか

いちいち気を付けるタイプ。

 

6年前に日本から出張中の夫がパリオペラ座前で

署名活動を装った女性たちにすられたと連絡があったときには、

内心「わきが甘いんじゃーー!」と思ったっけ。

 

はあ、やっちまったなあーーー

バルセロナ、ロンドン、パリ、そして旅行先、

5年間ノー被害でやってきた自負がもろくも崩れ去りました。

これが「慣れたころに」ってやつか。

 

警察に被害届を出さないと証明書がもらえないので、 警察に。

「現場近く」の警察に行ったところ、

「現住所近く」の警察に行くように言われ、

翌朝、指定の警察に行くと、

クレジットカードを止めたとはいえ、

一日はおかしな引き落としがないか様子を見なさいと言われ退散。

そして翌朝一番、3度目の正直で書類作成と相成りました。

 

警察のお兄さんが英語ができたことと、

日本を旅行したことがあるとか、

お好み焼きが好きだとか言っていて、

警察で「間抜けな日本人」として馬鹿にされるのでは

と思っていた私はやや癒されて。

 

友人から聞いた話では、

・その路線のバスにはスリが常駐している。

・本当は財布よりiPhoneがほしいらしい。

・娘の学校の父兄が何人もiPhoneや財布をすられている

 

後日、法廷通訳として警察にもよく出入りしている

フランス語の先生に話したところ、

・組織犯罪で犯人はひとりではない

・おそらくATMで下したところを見られて、つけられたか、

 別のバス停付近のメンバーに知らされて実行された

・路上でも、バス内でも、触れ合ってないとなると、

 バスに乗り込むとき、両手でベビーカーを押し上げているときに

 一緒に乗り込みながら財布を抜いた。

・思ったより金額が少ない!って犯人は思ってるかもって(おいおい笑)

という総括でした。

 

犯人の顔を知らないから警察にそれも言ったのですが、

思えば3人くらいの若い男性が乗ったと思ったらすぐ降りてしまって、

??なんでだろう、とは思ったんだった。

あれは、乗車時にもう目的を達成したからだったのかもしれない。

 

それから、子どもを引き取り、彼らの元気な笑顔を見て、

財布は盗られたけど、子どもは3人とも元気でここにいる。

最悪の事態ではない。大事なものはここにある。

と妙に感動してしまった。

 

その後、友人たちに話すと、出るわ出るわ被害話。

・子連れで歩いているときに、道端で若者数名に囲まれ恐喝。

・ギャラリーラファイエットのエスカレーターでバッグを開けられるも、

 子どもの手を引いていたのでバランスがとれず、十分に抵抗できなかった。

・道で女性に後ろから両脇を抑えられ、その間に別の女性が財布を抜いた。

などすべて子連れ日本女性の体験談。

 

暴行に近いものも含め、パリのスリものすごく多いです。

彼らはプロです。

本当にまずい状況になったら、抵抗しないこと。

できそうなら、周りに助けを求めましょう。

 

みなさんの教訓になりましたら幸いです。

フランス語のずきゅんワード

こちらの人は知らない人同士でも、よく声をかけあうのだが、

代表的なのが、体や荷物が相手に触れたときや、

相手の道をふさいでいた、なんて時に、

「Pardon!  パードン」と声を発すること。

 

フランス旅行しただけでも何回聞くか分からないだろう。

私は学生時代のパリ旅行で、

どこかの建物のせまく長いらせん階段をおりていくとき、

登ってくる人たちが次々に連呼する

パフドン!パフドン!パフドン!攻撃に

思わず笑ってしまったほどだ。

(当時はパフドンと聞こえたが、今はパードンと聞こえる。

 いずれにしてもrはフランスっぽい音)

 

今は、常にベビーカー連れというのもあり、

私もいつでもどこでも「パードン」連発。

例えば、スーパーの売り場を歩いていて出会い頭に、

妙齢のマダムが仁王立ちしていようものなら、

さあ「パードン」の出番です!

 

まず目をしっかり合わせて、

軽やかに「パードン、マダム」にこ。

 

はい、合格!

これで無作法とはみなされないでしょう。

 

で。

昨日、スーパーで品物を運んでいる男性店員のカートと、

私のベビーカーがちょっとあたってしまい、

反射的に「パードン」を登場させたところ、

 

セモア、マダム

 

となんとも紳士的なまなざしで返事があった。

 

C'est moi,madame

 

これは、パードンを言うのは私の方です、という意味。

なんかよくないですか?この言葉。

 

あとから考えたら、私が止まっていて、あちらが来たので、

あなたは謝る必要がない、ということでしょう。

 

パードンにセモア。

 

うんなんかいい(笑) 

 

一般的に日本人は謝りすぎる、と言われるのですが、

つい、こちらもごめんなさい、あなたも大丈夫ですか?

というニュアンスで「パードン」使ってしまいます。

 

次は私も「セモア」と言えるようになろうっと。

頭上注意で歩きましょう

バルセロナであった本当の話。

 

娘を学校に送り、息子をベビーカーに乗せて、

マンション(ピソ)が並ぶいつもの道を歩いていると、

背中に風を感じたかと思ったらドンっ!とすごい音。

思わず身をかがめ、振り返ると、

 

な、なんと!!!

レンガが一つ、木っ端みじんになっているではありませんか!!!

 

なぜか、オーーーマイゴッ!

と口から出てきた私。

 

(たぶん、海外スイッチが入ってた。でとっさに出たのが英語)

 

こ、これは・・・

私ちょっと遅かったら死んでたよね・・・

この赤いベビーカーの息子の頭上だったら・・・

 

一階の美容院からセニョーラが出てきた。

大丈夫??けがないの??

ないっす・・・てか口が乾いて声が出ないっす・・・

 

誰やねん!!って上を見ると、毛むくじゃらの腕が

7階くらいから出て、なにやら、窓周りの作業してる。

落ちたことには気づいてない。

 

本当なら被害者を増やさないためにも、

直接本人に指摘したかったが、

なんせ動揺していた。

その女性に上を指して、あの人よと言い残して、

いそいそと家路についた。

 

ああびっくりした。ほんとうに。

危機一髪ってこういうこと??

 

それにしても。

こんなことってある?

あるんだな。

でもあんな作業じゃ、これまでだって被害者いてもおかしくないよ。。。

 

ここは日本じゃない。

平時でも頭上注意。

 

そう思ってたら、パリでも工事現場からなんかふってきた。

娘と息子がキックボードで通ったそのあと、

ウレタンマットにエル字のプラスチックを巻いたようなのが、

ビルの外壁の角から剥がれ落ちてきたのだ。

 

ひーーーレンガより軽いけど、高さあると凶器だよねえ。

 

先進国だと安心してはいけない。

いろいろと降ってくることを考慮したほうが良いです。

特に工事現場、作業人の下。みなさま要注意。

 

 

ポーランドからきたパリの運転手さん

海外でタクシーに乗るときはどうも緊張する。

密室だし、やはり感じの良い人がいい。

他にも、

最短の道を通ってくれるだろうか・・

ぼったくられないだろうか・・

と基本的な心配も。

 

それに、私はもともとおしゃべり好きなので、

タクシーでは世間話でもしたいのだが、

不自由なフランス語ではハードル高い。

 

感じの良い人だといいな・・・

 

そう思って、病院帰りにタクシー乗り場に行くと、

タトゥーをしたごっつい腕と頭に巻いた赤いバンダナが見える。

 

ひえーー今日は強面の運転手さんかな・・と思いつつ、

ボジュームシュー、乗っていい?と近づいていくと、 

そのおじさんは、笑顔とともに軽快な足どりで降りてきた。

 

「赤ちゃんを抱えてください。ベビーカーたたみますから」

「あ、このくっついてるおしゃぶりは車内に持っていかなくていいのですか」

 

まあ!ここはパリだというのになんと気の利く人だろう!

今日はいい日だ~!!

気づけば車内から大音量で聞こえてくるショパン。

おじさんは軽快な足どりで運転席につくとショパンの音量を落とす。

 

「あの、○○までお願いします」

「えーっと、、」と住所をナビに打ち込む。

「あれ?おかしいなあ、、出ないなあ、、」

「あのースペルこれですよ」

「はい。でもなぜか出ないんです、、、」

「あ、じゃあ○区のショッピングセンターわかります?」

「ああ!あそこにはニッコーホテルがありますよね?」

「あ、今ノボテルになってますよ」

 

親切。行き先が通じている。完璧。

 

すっかり気の緩んだ私は、ほっと息子と座る。

フランス語の不自由さを察したおじさんが英語で話しかけてきた。

 

「ぼく、タクシー運転手になって一か月なんです」

「そうですか。道を覚えるのは大変でしょう」

「昔住んでいたから、大体のことは分かるけど、ナビがないと全然ダメです。

 ところであなたは日本人ですか?それとも韓国人とか?」

「私は日本人です。あなたは?」

「ポーランド人です」

「わあ!ポーランドですか?ポーランドの焼き物は素敵ですよねえ。

 あっ!あとキュリー夫人!!ポーランドの人でしたよねえ」

「マリア・スクドロフスカです。ノーベル賞とったんですよ」

「もちろん知ってますよ」

「一度じゃないです。女性で二度も!二度です。

 そして化学賞と物理学賞ととったのは彼女しかいない。

 アインシュタインも彼女を尊敬していた。

 ワルシャワにマリアとアイシュタインと一緒に映った写真がありますよ」

熱くなるおじさん。

ついていける私。

だって、小学生の時、キュリー夫人の漫画伝記を愛読していたから(笑)

小さい時の記憶力ってすごい。ここで生きてくるとは!!

 

「前はニースでスーパーのトラック運転手してたんです」

ニースと言えば、パリからしたらうらやましい太陽サンサン、ビーチリゾート。

いいところじゃないですか!と言いかけたら、おじさんは言った。

「もう日差しに疲れちゃって・・」

「え?」

「みんないいところっていうけど、それはバカンスでちょっと行くからですよ。

 僕みたいな北の人間があんなに日差しのきついところに住んだら、

 もうきつくてきつくて」

 

なるほど。みんなが憧れる場所でも、住むと違うってあるんだなあ。

で、思い出した。

私もバルセロナに渡航したばかりの頃、

まるで肌に刺してくるような、日本とは質の違う日差しに、

ただ歩いているだけで疲れちゃってたことを。

うんうん。意味わかります。

 

「クラシックが好きなんですか?」

「あ、いや、、これはパリのお年寄りをいい気分にさせるためにかけてるんです」

「へえー」

「お年寄りは難しいですよ。

 パリの人は冷たいといわれるけど、若い人は礼儀正しい人が多いです。

 けれど、お年寄りは違う。主張がすごいから。

 道で喧嘩するのもお年寄りですよ」

ショパンをかけていたのは、そういう理由だったのか。

でもそのとき私は気づかなかった。ショパンがポーランド人だってことを。

 

おじさんもすっかり私との会話を楽しんでるようだった。

ポーランドの若者は大体英語が話せることとか、

好きなアーティストが日本のヨコハマでPVか何かの撮影をしたんだとかいう話をしてくれた。

 

気づけば家の前。

「ありがとう!楽しい時間でした」

 

英語が通じたおかげで、

本当に久しぶりに現地の人と話せたことが

脳みその刺激となり楽しかった。

 

おじさんは最後まで丁寧にベビーカーを広げてくれた。

「あなたは素晴らしい女性ですね。よい一日を!」

 

おじさんこそ、素晴らしい運転手さんだ。

心を込めて一生懸命働くポーランドから来たおじさんに会って、

私はすっかりよい気分だった。