3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

赤ちゃんの鼻から出てくるそよ風

1人目出産後、実家にいた3週間は

和室に布団を敷いてもらい娘と暮らしていた。

洗面所で沐浴したときの顔も懐かしいが、

今でも覚えている幸せの瞬間が、これ。

 

 

夜先に寝ていた娘のあとに布団に横になったとき、

あまりに静かで彼女の寝息すら聞こえない。

 

 

「あれ?息してるのか?」

 

 

突如心配した私は、

薄暗がりの中で、片手のグ~くらいの小さな娘の顔を

ぐぐっとのぞきこんだ。

 

ん??

 

そのとき、

娘のこれまた小さな鼻の穴から寝息がふーーっと出てきて、

顔面に風を感じた。生きてる!

 

 

その後しばらく、

「はあ~爽やかな高原のそよ風のようだ♫」

と、

しばらく目を閉じて鼻息をかぶっていた私。

変態でしょうか(笑)

 

 

定期的に吹いてくる鼻息は

なんとも心地よいそよ風のようで。。

それくらい愛おしかったよなあ

っていう話。

1人目出産後に痛烈に感じたこと

子どもを産んでみるまでは、

「子どもに虐待をする人はじぶんとは違うタイプの人間だ」

と心のどこかで思っていた。

そういう人は川のあちら側に住んでいて、

自分とは縁のない人たちだと。

 

 

 

でも一人目の妊娠・出産・育児を経験してから

考え方はまるっきり変わった。

 

 

 

出産はきれいごとではなく、

不慣れで無知だった分尚更きつかったし、

産後は別人のような身体の状態だった。

 

 

 

お腹がすぐ元に戻らないことをつっこまれても

アハハくらいは言えたが、

実際の生活はというと、

股の傷がひどくてトイレにいっても痛いし、

そもそも椅子にはまともに座れない。

(一人目だけだったが、円座必須でした)

 

 

 

授乳って幸せな光景だと思っていたのに、

赤ちゃんは頭蓋骨の形にも飲み方にも個性があって、

お母さんと息を合わせていくには時間がかかる。

こちらも赤ちゃんが満足するだけの量がいきなりは出ないために

真夏に1日10数回も頻回の授乳で

それだけでもくたくた。

 

 

 

夜中の赤ちゃんの泣き声で

深~い睡眠の底の方から幾度となくハッと呼び戻される。

夜中に実家の布団の上で正座しながら授乳していたら、

疲れと睡魔に負けて、うとうとしてしまい、

気づいたら腕がほどけて

娘が落ちかかっていたこともあったっけ。

 

 

 

ホルモンの関係か感情の浮き沈みが激しく、

ちょっとしたことで泣きたくなる心。

全く本調子でない疲れきった身体。

でも目の前の赤ちゃんは生きていくために

私を常に求めている。

 

 

 

その時、つくづく思ったのだ。

 

 

 

そうか虐待してしまう人たちは

わたしの延長線上にいるんだ、と。

他人事ではなかった。

 

 

 

私は実家で赤ちゃんに専念できるように

家事を母に任せてご飯もつくってもらっている。

明日の生活にも困らない。

そして自分で言うのもなんだが、

年の離れた弟の世話もしてきたし、

結構“お母さん向きのタイプ”だと思っていたのだ。 

 

 

 

けれど、そんな私ですら、こんなけきつい。

今なら想像力をうんとたくましくすることができた。

もし。

もしもだ。

 

 

 

過酷な難産で人一倍身体が疲れていたら?

「こどもを泣かせるんじゃねえよ!」とか

「さっさと飯をつくれ!」

なんて暴言吐くような夫が家にいたら?

シングルマザーで経済的に困りきってミルクも買えず、

おっぱいも十分に出なかったら?

自分自身が愛情をかけてもらった記憶がなく、

赤ちゃんとどう向き合えばよいか分からず混乱していたとしたら?

きびしい精神状態なのに一人も話し相手がいなかったら?

そんなとき、赤ちゃんがぎゃーぎゃーと泣きだしたら? 

 

 

 

産後の不安定でもろい心身のときに

どこまでも追い詰められたら

私だって弱い子どもに手をかけるかもしれない。

もしくは自分をどうかしてしまうかもしれない。

あの頃、そうありありと思えたのだった。

 

 

 

そう思うとニュースの見方も変わった。

「ひどい人がいるなあ」から

「どうしてこのお母さんはここまで追い詰められてしまったのだろう」

と思うようになった。背景を知りたくなった。

 

 

 

元気な心身では考えられないような状況が

産後にやってくることがある。

 

 

 

それを男女ともに知っておくべきだし、

そういう状況のお母さんをサポートする環境を

つくっていくことが大切だと思う。

 

 

 

実家から自宅に戻ったころ、

市から派遣された助産師さんが一か月検診にやってきた。

授乳のことでずっと悩んでいた私は

助産師さんが慣れた手つきで娘を抱いてくれて、

よく育ってるって言ってくれたとき、

安心して泣いてしまった。

 

 

 

すると彼女はこういった。

「一か月検診に行くと、泣かれるお母さんは多いです」

 

 

 

どのお母さんも人には言えない気持ちや

悩み事を持ちながら一人で格闘していたんだろう。

つながりがあれば救われることは多い。

 

 

 

以前のニュースで驚いたが、

妊産婦の死亡理由の1位は、なんと自殺だ。

特に産後1年未満の女性が多く、

さらに初産の女性、

35歳以上の高齢出産の女性の率が高いそう。

 

 

 

産院から退院したら終わりではなく、

特に初産の産後の女性をしっかり見守るシステムが

日本にできてほしい。そう思います。

 

 

 

 

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 どこでもいつでもつながれる時代です!

 家にいながら、ちょっとしたことを相談できたりしますよ。

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産院から退院するときの気持ち

一番上の娘を産んで退院する日のために

妄想していたこと。

それは、夏らしいワンピースを着て爽やかに

病院のロビーで我が子と写真におさまる光景。

 

 

 

出産をがんばるために、

その妄想のために、

出産直前、私は退院用のブルーのコットンワンピースを

買っておいたのだ。

 

 

 

ところが・・・・

 

 

 

出産してみてびっくり。

思った以上にお腹が引っ込まないじゃないか!!!!

 

 

 

がびーん。

 

 

 

さすがの私もウエストがすぐ元通りになるとは思っていなかった。

なので、胸のすぐ下で切り替えがあるAラインのタイプを買っておいたのだ。

産後だったらこの形なら入るでしょう♫と。

 

 

 

が、しかし。

全然ダメだった。

 

 

 

アンダーバストが全然違う、、、

胴体が全体的に広がってる~

上半身の厚みでワンピースのチャックは

うんともすんんとも上がらない。

 

 

 

せっかく買ったのに涙。

今日、何着りゃいいんだ?

カバンの中には、入院時に着ていたマタニティ服しかない。

 

 

 

はい。

5日前に元通り♫(笑)

 

 

 

無印のジャージー素材のマタニティスカート。

あれはすばらしかった。

お腹がくしゃっと凹んだ分、だぶついてはいるが、

上にフワっとしたコットンシャツを着たら、

まるで普通の服みたい。

 

 

 

まいっか。

 

 

 

退院手続きを終えて、新生児室に娘を迎えにいく。

沐浴とか授乳とか教えてくれた助産師さんたちが

渡しておいた退院服を着せてくれた。

 

 

 

さあ、我が子を外へ連れていける!

今日から家族で暮らすのだ(実家だけど)。

その日の天気と同じように、

とっても晴れやかな気持ちで娘を受け取りに行ったのに、

 

 

 

「退院おめでとうございます!」

の言葉とともに

ずしっと重たい我が子を抱いたら、

「ううう・・・・」

涙腺崩壊。

 

 

 

うれしいのになんで泣いてるんだ?私。

 

 

 

「今日から助産師さんたちに色々聞けないんだ・・・」

「この子の命は私にかかってるんだ・・・」

「みんなこうやって卒業するのかな・・がんばらなきゃ」

 

 

 

母となった感動以上に、

とてつもない心細さがドバーっとおそってきて、

よく分からない涙が出てくる。

 

 

「人間育てる」って

こんな重大ミッションを託されたのに、

こんなあっさりお別れって・・・ひどい涙(本心)

股の傷も痛いよお・・・

ちゃんと育てられるかな・・・いややるしかない!

 

 

 

何泣いてるの?

夫は笑った。

 

 

 

いろんな感情だよーーーーー

 

 

 

こうして、ゆめの青いワンピースは

小さくカバンに押し込まれ、

赤い目で泣き笑いしている私は、

入院した時のマタニティ姿で娘と写真に納まった。

 

 

 

 

ーーーはじめてのお産1-4はこちら↓↓

tomo-rainbow.hatenablog.com

 

おっかなびっくり一人目育児

日本でも海外でも出産を経験し、

ワンオペ時代も長かった3児の母の私ですが、

1人目を出産して実家に里帰りしたときのことは 

いろいろと忘れられない。 

 

 

両親は真っ白の新生児用レンタルベッドを

居間に用意して、私と赤ちゃんを迎えてくれた。

 

 

滞在初日、

慣れない授乳後、

その白いベビーベッドに置いている娘が

突如泣き出した。

 

 

 

私はドキッとした。

赤ちゃんが泣くとなぜこうもドキッとするのだろう。

さっき授乳したばかりなのになんでもう泣いているんだろう。

 

 

 

わたしはベッドに近寄ると、

「何が原因で彼女が泣いているのか?」と考えた。

産院で退院前にもらったパンフレットの内容を思い出しながら、

考えた。

 

 

 

赤ちゃんが泣く理由候補。

 

 

1.「お腹すいたのかな」

→おっぱいはさっきあげたばかりだ

 

 

2.「げっぷが出なくて苦しい」

→さっきげっぷも出た

 

 

3.「おしっこ、うんち、おならが出そうで気持ち悪い」

→さっき出たし、今、おむつには何も出てない

 

 

4.暑い、寒い

→多分大丈夫

 

 

 

そして思った・・・

 

 

 

 

えーーー!!

パンフレットに載ってること

全部あてはまらないじゃん!

 

 

 

 

じゃあ、どうしてこんなに泣いているんだろう??

分からないーーーー涙

 

 

 

どうしよ・・・・

もしかしてどこか痛いのかな・・・・

どこか悪かったらどうしよ・・・もしや腸重積か?

(新米ママにありがちな心配)

 

 

 

 

その時、通りかかった母がさらっとこう言った。

 

 

 

 

「あんた、あやさんかいな~」

 

 

 

 

へ?!

あ・や・す?

 

 

 

 

ぎゃーーー

「あやす」っていう単語忘れてた・・・!!

 

 

 

 

笑。

多くのお母さんたちに笑われそうだが、

この産院帰りの新米ママであった私は

「赤ちゃんが泣いている理由」を真剣に考えるあまりに

「あやす」というごく単純なことすら思い浮かばなかったのだ。

(一瞬あやすって何?って思ったくらい)

 

 

 

 

赤ちゃんは満腹でも、排泄でなくても、

こわくて泣く、

さみしくて泣く、

甘えたくて泣く、

ヒマすぎて泣く、

いろいろあるわけだ。

 

 

 

赤ちゃんは泣くというコミュニケーションしかないから、

赤ちゃんが泣いたら、話しかけられたのだと思って、

こちらも声をかけたらよい。

もし抱ける状況なら抱いて安心させてやったらよい。

 

 

 

「ん?どうした~?」

「はーい♡大丈夫よ~」

 

 

 

声であやす。

抱き上げる。

受け止める。

何の準備もなくすぐできる

なんて簡単で

なんて尊い行為なんだ。

 

 

 

でもあのとき。

赤ちゃんを家に連れて帰った初日。

分からなかったんだよなあ。

 

 

 

小さい時、年の離れた弟の世話もしていたけれど

あのときは頭の中が「なぜ?」でいっぱい。

泣いてる=かわいそう

泣いている=何かを訴えている=解決しなきゃ

赤ちゃんの泣き声って、不安と一緒になると、

母親への圧力として感じてしまうことがある。

 

 

 

娘の手足がバタバタしないように(お腹の中と一緒)

バスタオルでしっかりくるんで抱いて

話しかけてやったら彼女はすっかり落ち着いた。

 

 

 

いやーそれにしても。

産んだから母親になれるわけじゃないなって。

「"人間という生き物”をさいしょから育てる」って

見たこともなければ、やったこともない。

みんなど素人なんです。

 

 

 

日々赤ちゃんのお世話をしながらだんだん関係が深まって

だんだん互いに息があってくる。

けれど、、

「育児ってぜったい“経験者の知恵”があった方がいいよなあ」と

つくづく思ったのでした。

 

 

 

 

 

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草むしりにドイツ式とフランス式がある!?

小学校のときの先生はそれぞれに

一生懸命授業してくださって、

それらは少しずつ蓄積されていったのだと思うのだけど、

大きくなって覚えていることと言えば、

ごくごく一部で、だいたい変なことばかり。

 

 

 

今日紹介するのは、

小学校の掃除時間先に先生が教えてくれたことだ。

 

 

 

その日は何か特別な掃除の時間だったようで、

教室ではなく、

外の体育館周りの雑草取りをみんなでしていた。

 

 

その時、近くにいた同じ学年の男の先生が

こうおっしゃった。

 

 

 

「おーい。

 こうやって芝生の上だけむしり取るのが、フランス式!」

と雑草を根元でちぎる。

 

 

 

そして、

「こうやって根っこまで引き抜くのがドイツ式!」

と土と根っこが付いた雑草を高くかかげた。

 

 

 

「フランス式じゃなくてドイツ式でぬくんだぞ~」

 

 

 

へえ。

フランス人は上だけとって

ドイツ人は根っこから取るんだあ

 

 

 

どこからの情報なんだか、

先生の独自の?比喩表現なんだか全然分からない。

 

 

 

はっきり言ってフランス人に怒られそうである(笑)

 

 

 

でも、例えが面白いなって

やっぱり家に帰って母に

「草取りにフランス式とドイツ式があるんだよ~」って

マシンガントークしたものだ。

 

 

 

先生はその後も男子に

「はい、それはフランス式!」なんてつっこみながら

草むしりを仕切っていた。

 

 

 

外国なんて知らない小学生時代の思い出。

S先生の贅沢な音楽の授業のこと

長い在宅生活で、小学生の息子の宿題を見ながら、

じぶんの小学生時代にどんな授業を受けてきたかなと思い出す時、

真っ先に思い浮かべるのが、千葉の小学校の音楽の授業だ。

 


その学校は、当時にしては珍しく

公立でありながら帰国子女補助クラスがあっただけでなく、

さまざまな研究校にも指定されていたようで、

ある日、音楽専任講師としてやってきたS先生は

それまでの音楽の先生と全然ちがっていた。

 


まるでバレリーナのように背筋が伸びてスーッと歩き、

華やかな声の持ち主であるそのS先生は、

まず、音楽室に机は要りません、とすべて撤去なさった。

(これは噂ですぐ広がった)

すっかり広々した床はきれいに拭き上げられ、

この日から生徒たちは靴下で入室することになった。

 

 

そして

音楽室に入室するときのルールが作られた。

先生のピアノに合わせて、

「歌うごあいさつ」とともに入場するのだ。

 

 

おっはよ~♫ございまーーす♫

おはよう、、ごーーざいーまーすーー♪

 

 

 

スキップもするんだったかな。

戸惑う子も多かったが、私はわくわくした。

 

 

あるときは音楽とともに、みんなで床をごろごろ転がった。

あるときは床に体育座りして、

『グリーングリーン』の1番から7番までの歌詞が書かれた模造紙を見ながら、

みんなで長い長い歌詞の意味を考えた。

先生手書きの歌の本も配られた。

 

 


それと印象的だったシューベルトの『魔王』の授業。

 

 


まずシューベルトの歌曲『魔王』を聴く。

もちろん外国語で何言ってるか分からないので、

S先生はお手製の日本語訳を全員に配った。

 

 

ほほー。

馬上で父親につかまっている男の子に何者かが語

りかける

怖がる息子が父親にそのことを訴えても、

父親は「あれは夜霧だと」ととりあってもらえない

「おとうさん!おとうさん!魔王がくるよ」

取り合わない父親・・・

そして家に着いたとき息子はすでに死んでいた・・・

 

 

ぶるぶる。。

男子がひえ~って顔してる。

なんてこわい話なんだ。小学生にはインパクト大だった。

 

 

 

そして・・・

極めつけはこの授業。

日本のN響とドイツのベルリンフィルが同じ曲を演奏したものを

聴き比べるというものだった。

(残念なことになんの曲だったかは忘れてしまった)

 

 

 

とにかく最初が日本だったのを覚えている。

オーケストラって迫力あるなあ

私は気持ちよく鑑賞していた

 

 

 

続いて、

レーザーディスクが入れ替えられ、

ドイツ版が流れてきた。

 

 

 

はて・・何が違うんだろう?

 

 


♫♫~

 

 

 

ん!?!!

 

 

 

私はびっくり仰天した。

全然違う!

 

 

 

その印象を一言でいうと、

日本は四角くて、ドイツは丸い。

 

 

 

N響は音の粒の一つ一つが全体として縦にそろっている感じ。

整然としたうつくしさ。

 


一方、ベルリンフィルは

一つ一つの音の粒が完全に溶け合っているみたいだった。

だから丸みがある感じ。

なんとも言えない魅力を感じた。

 

 

 

へえ。。

音ってよーーく聴いたら違うんだなあ

どの国の演奏かでこんなに印象が違うんだなあ

面白いなあ・・・・

 

 

 

この授業をS先生がどのようにまとめられたかはまるで覚えていない。

 

 

 

粒がそろっているとか丸いとか、

これは小学生だった私のただのフィーリングなのだが、

とにかく強いインパクトを私の耳に残した。

 

 

 

 

 

「日本とドイツのオーケストラの音がこんな風にちがったんだよ!」

この感動を母に伝えたくて、わたしは家に帰ると、

いつものようにマシンガントークしたのだった。

 

 

 

その後、我が家は岐阜に引っ越すことが決まり、

私はS先生にサイン帳を書いてもらった。

先生はこどもの私にこんな風に書いてくださった。

 

 

 

「久しぶりの太陽のもとで

   智子さんへ

 おだやかで静かでほどよい暖かさでそして心地よい風。

 きょうは何と良い日なのでしょう。

 そんなきょう智子さんとお別れすることを聞きました。

 きょうの陽ざしを智子さんの眼に感じます。

 20年ほど前、ドイツオペラが初めて日本に来ました。

 私はベートーヴェンの「フィデリオ」を観ました。

 その中で歌われた男声合唱のすばらしかったこと。

 世の中にこんなすばらしい合唱があったのか。

 魂をうばわれました。

 たった一回の出合いが私の生命を生かしてくれます。

 カザルスの音楽も ポリーニのピアノも

 ドレスデンの合唱もそうでした。

 音楽だけではありません。絵も本も映画もそして人も。

 智子さんもそのひとり。

 たくさんのいろいろな出会いが智子さんを大きくしてくれるでしょう。

 そういう力を持っている智子さんです。

 たくさんのいろいろな出会いがありますよう祈っています。

 智子さんとの出会いを感謝しつつ

 さようなら」

 

 

 

これを書いてもらったとき、

私は書いてあることの半分も意味が分からなかった。

カザルスもポリーニも分からなかった。

でもなんというのだろう。

流れるような字の美しさと (本当に達筆なのです)

詩のような 決して子ども扱いしていないこの美しい文章から

私はなにか成熟した人への憧れを持ったものだった。

 

 

 

30年前の公立小学校に異文化の風をもたらしてくださったS先生。

贅沢な授業を私は大人になっても時折思い出しています。

となりのロンドン婦人5「今話したくないわ」

少しの出会いが色々なことを気づかせてくれることがある。

ロンドン時代の隣人マルシアおばあちゃんはそんな女性だった。

 

 

ある日、出かけようと玄関先に出ると、

マルシアおばあちゃんの家の前に見知らぬ車が停まった。

誰かしらと見ていると、

一人の女性が出てきて、後部座席の人をサポートしている。

そして後部座席から出てきたのは

包帯をして松葉づえをついたマルシアおばあちゃんだった。

 

 

(なんと!骨折しちゃったの?)

 

 

支えられながら歩こうとするマルシアおばあちゃんに

私はとっさに声をかけた。

  

 

「何があったの?」

 

 

彼女は視線すら上げずに、首をふった。

 

 

「今話したくないわ」

 

 

顔を歪めながら

足をかばいながら慎重に歩く彼女。

 

 

しまった・・・・・

なんてデリカシーがなかったんだ・・

 

 

  

本人は痛みがある上に、落ち込んでいる渦中であった。

まるでミーハー心で声をかけてしまったようで

気まずい思いが残った。

 

 

 

そして、こうも思った。

もし日本人が同じ状況にあったら、

多少よそ行きの笑顔を作って、

「転んじゃったのよ。恥ずかしながら・・」

なんて返答するところだろうな、、と。

 

 

この半年前に家の階段から赤子を抱いたまま落ち、

尾てい骨骨折を経験していた私は

骨折の衝撃と痛み、

その後の生活がいかに不便であるかについて

分かりすぎるほどであった。

 

 

一人暮らしの彼女。

手伝う人はいるのだろうか。

とりあえずあの女性がいつから大丈夫かな。

 

 

あのやりとりがあった手前、

おせっかいなことはできず、

でも気になって彼女の家への出入りを見ていたら、

娘さん風な人が出入りしたり、中年の男性も出入りしていた。

大丈夫そうだ。

 

 

しばらく経ったある日。

宅配便への対応で玄関口に立っていたマルシアおばあちゃんが

帰宅した私を呼び寄せ、こう言った。

 

  

 

 「この前は本当に悪かったわ。あんな態度をして。

 私はあの時、すごくショックを受けていて返事をすることができなかったのよ。

 悪く思わないでほしいの」

 

 

 「いいえ。気持ちはよく分かります。

 ほら、わたしも半年前に骨折したので。

 とても不便だろうと思って。。何かできることはありますか?」

 

 

娘家族や職場の人が来てくれているから

大丈夫だということだった。

  

 

私は、あの時の彼女の態度に一瞬びっくりした。

が、決して不快に思ったわけではなかった。

 

痛い・・

ショックで話したくない・・

 

その心情は、むしろ大きな怪我をした時の「自然な姿」だと思った。

彼女は、自分の気持ちに「正直に」そこにいただけだった。

すぐ人に合わせがちな私は、

その自分の感情に正直な姿にハッとしたのだった。

 

  

そして後日、

私に悪いと思っていたということを

またこうして知らせてくれたことがうれしく。

 

 

つねに自分軸で、正直に言語化し、やりとりする彼女。

自由なコミュニケーションの形を見せてもらった気がしています。

となりのロンドン婦人4 英国流ユーモア!?

大きなお腹の妊婦で、2歳と6歳も連れて

バルセロナからやってきた私を

隣人のマルシアさんは気にかけてくれているようだった。

 

 

でも彼女はどこか凛としたところがあって、

べたべたした付き合いのしない人のようであったから

特にお茶に行き来する~ということもなく、

庭先で会えば挨拶して会話したりする程度。

 

 

ゴミ出しの時なんかは、

前庭の先の路上に出すので会いやすい。

互いにスッピンでどうもと(笑)

 

 

私が大きなお腹で

瓶や缶のボックスを引きずって出すさまを見て、

大丈夫なの?と聞かれたことがあった。

 

 

当時、夫は国外に出張することが多く、

月曜日にスーツケースもって旅立ち、

金曜の夜中に帰宅ということがしょっちゅうだった。

 

 

 

彼にはゴミ出しもできないわけである。

連結型戸建てのこの界隈は一軒一軒の前に指定のゴミを各自が出す。

瓶ゴミなんてためてあるので、かなり重いのだ。

きつねなどに荒らされてはいけないので、

ゴミは出しっぱなしにはできず、裏庭のガレージにしまっていた。

そこから持ってきて、部屋の中を通り、前庭の先の路上に出すのは

結構な体力がいるのだった。

 

 

 

来た当初は、

ネットスーパーを使用しておらず(いとしのOcado♪)、

マルシアおばあちゃんは、

ベビーカーに息子を乗せ、下に飲料やら食材をつっこみ、

両ハンドルにおむつをぶらさげ、

石畳をがくんがくん言わせながら

えっこらせえっこらせとベビーカーを押している私を見たかも知れない。

 

 

出産後は、

夫の2週間の夏休みがあったが、

その後も親族の手伝いなどはなく、

毎朝、持ち運びチャイルドシートに新生児を入れて、

時に玄関先での赤子の粗相にひゃーと言いながら、

園児に支度させ、ばたばたと運転して出るさまや、

長女の友人たちをうちで遊ばせるさまも見たかも知れない。 

 

 

産後、階段から落ちて尾てい骨骨折し、

玄関の段差をひ~っと痛みに耐えながら

ドア枠にぶら下がるように上っていた日も見たかもしれない。

(↑このやらかした話はまた今度)

 

 

子どもの送迎に使っている路上駐車のマイカーが

ゴミ収集車に何度も当てられて、

そのことで目撃談を聞きに行ったこともあるし、

ついにある日、

サイドミラーがぶらーんと垂れ下がっているのを

「もー!間に合わん!」と

ガムテープでぐるぐる巻きにして学校へ向かうさまも見たかもしれない。

 

 

そんなドタバタな私の姿を

ちょいちょい見ていたであろうマルシアおばあちゃん。

 

 

ある日、我が家の玄関先で、

マルシアおばあちゃんと

夫と私の3人で会話する機会があった。

 

 

 

マ:「彼女(私のこと)は

   外国で1人で3人育てているなんて

   ほんとにBraveとしか言えないわ」

 

 

夫:「そうですねえ」

 

 

マ:「しかもあなたはしょっちゅうBusiness Tripなんでしょう」

 

 

夫:「えーはい。そうなんです」

 

 

マ:(私を見て)

  「ねえ、この男性にあなたがそれだけのことをする

   価値があるのかしら?」

 

 

  

私:「・・・・・そうであることを期待します」

  (おどけて)

 

 

夫:「・・・・」

  (顔が引きつる)

 

 

 

一瞬凍り付いた我が夫。

その雰囲気を察して、

マルシアおばあちゃんは笑って言った。

 

 

マ:「あらやだ。

   これはブリティッシュ・ユーモアってやつよ。

   気にしないで」

 

 

夫:「あはは・・・」

 

 

 

 

 

「いや~マルシアおばあちゃん

 すごい球投げてきたね~!」

 

 

と夫をなぐさめ?つつ、

妙に元気になった私は

どこかスカッとしていたのかもしれない。

 

 

 いや、間違いなくスカッとしていた。

 

 

妊娠・出産・家事・育児!

大変やねんぞーーーー!!!!

と夫に叫びたい気持ちを

ロンドン婦人がチクりとやってくれたようだった。

 

 

でもよく考えると、

私への問題提起だったようにも聞こえる。

  

 

サウスケンジントン生まれの生粋のロンドナー

マルシアおばあちゃん。

さすが毒が効いてました(笑)