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3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリの欧州3都市で3児の母をしながら見たこと、感じたこと、学んだことをエッセイのように綴っています。日本での育児についても。

はじめてのお産 4 出産直後に頭に浮かんできたこと

日本での妊娠・出産・育児

ついにやりきったぜ・・・

 

おなかに座らされるように置かれた赤ちゃんは、

火の玉のように猛烈に熱くて、

ずしーっと重く、

「いのちの重さ」そのもののようだった。

 

両手を広げて泣くその姿は、

今の今までおなかに入っていたとは思えないほど大きい。

 

私は達成感が勝り、泣いてはいなかったが、

夫は私の頭上で首からぶらさげた白いタオルで涙を何回もぬぐっていた。

実際、痛いのは私だったけれど、

痛がる人を何時間も何時間も見ていなければならない彼もさぞ大変だっただろう。

心なしか、いや、実際夕食食べそこなった夫は、

この一晩中の付き添いで、げっそり痩せたように見えた。

 

赤ちゃんが私の胸にやってきた。

あったかい。とにかくあったかい。

小さいけれど、中身がつまってるという感じで重たい。

無力かもしれないけど、「生命力」のかたまりだった。

 

過呼吸の影響で肺が痛かった。

傷の縫合もいろいろあって・・・・

だが、安堵感でいっぱいだった。

安堵感と、えらく澄んでクリアな頭がそこにあった。

 

出産前までは、赤ちゃんが生まれたら

「わーかわいい!」とか「わたしの子に会えた♪」

という若干きゃぴきゃぴした気持ちになるのかと思っていたのだが、

実際はそうではなかった。

 

はっきり感じたのは、

この子は私の「所有物」ではなく、私とは「別人格」であるということ。

彼女はもうこの世界に出てきて、一心同体ではなかった。

神様に育ててみなさいと授けられたんだな。

一つのいのちを預けられたことに「畏れ」のような気持ちが湧き上がる。

 

そして、しわしわの顔で眠るわが子をまじまじと見たとき。

私は、不謹慎にも、こんなことを考えた。

 

「この子はいつかまた、

 こんな風にしわしわのおばあちゃんになって人生を終えるんだな・・」

 

・・・・でも、そのとき私はもういない・・・・・・・

 

目に涙がたまって娘の顔がぼやける。

この子の人生の始まりにこうやっていることができる私は、

この子の人生の終わりにはこうやって横にはいられないんだ。 

 

涙が何回も耳のほうへ落ちていく。

 

だから私の使命は、

この子が一人でも幸せに楽しく生きていけるよう 

自立させてやることなんだ。

その日まで神様から預かっているんだな。

 

生命誕生の時に、その終わりを考えるなんて変かもしれない。

でもそんなことがふってきたのだった。

 

そして次の瞬間、

この子が生きていく世界がどうかどうか平和であるように祈った。

願ったんではなくて、祈った。

「祈り」という言葉の意味をはじめて分かった気がした。

 

他に浮かんだこと。

「私ってただの動物だったんだな」ってこと。

小難しいこと言ったって、お化粧して洋服着たって、中身は人間という動物。

生命誕生への小さな波、大きな波、すべてこの生身の身体で受け止めるしかない。

私の身体を通してしか生まれられない命。

私の身体でしか育たない命。

生き物の仲間になったシンプルな気持ちだった。

 

そして女性への敬意が溢れてくる。

どんな困難な時代、どんな場所でも産み続けてきた女性たちを

心の底から尊敬した。

 

「あ、戦争って男がするんだな」

 

そんなこともふってきた。 

太古の昔から命がけ産んできた女性たちが、

人が命がけで産んだいのちを奪うだろうか。

 

女性がもっと政治に関わったら、いい世界になるだろうなとか。

そんなことも考えた。

 

体は疲労困憊。毛細血管の先の先までぜんぶ開ききった。

肺も傷も痛い。力が入らない。虚脱感。

でも感覚はむきだしみたいで、頭はクリア。

不思議な感覚だった。

 

部屋をうつり、係りの人が食事を運んできてくれた。

それはそれは豪華なものだった。

左上隅に紅茶プリンが置いてあった。

すごく食べたい。スプーン。

でも腕が一ミリも上がらなかった。。。

 

しばらくして、食べれなかったですねーとお膳は片づけられた。

はじめてのお産 3 やる気スイッチ

日本での妊娠・出産・育児

いよいよ、分娩台にのり、その時を迎えたときに、

早朝出勤組の助産師さんがわさわさとやってきた。

 

さっきまで助産師さん一人いるかいないかだったのに、

若い方、ベテランそうな方含め、

そりゃもうわっさわさやってきて、笑顔で私を取り囲み、

 

「さあ!がんばろう!」

「大丈夫よーできるできる!」

「あとちょっとよー」

 

とか次々に声をかけられる。 

まっくらで孤独な夜を経て、大注目を浴びる朝。

耐えるのではなく、産むという行為に向える朝。

みなさんのテンション。それだけでもう産まれそうである。

 

はい。完全にやる気スイッチ入りました!!!(笑)

 

よっしゃー!赤ちゃん。あなたもがんばったねえ。

お母さんと一緒に力を合わせてあとちょっとがんばろうね!

 

アドレナリン効果でもう痛いとか全然思わなかった。

どうにか呼吸を合わせていきんでうまく出してあげたい。

それだけだった。

 

「そうそう上手上手」

「いいよいいよ」

 

これって魔法の言葉。

力がどんどん湧いてくる。

 

数回いきんだら、

おなかにベテランらしき助産師さんが乗っている気がした。

吸引しますと聞こえた気がした。

 

フギャー!!

 

グレーのような赤黒いような赤ちゃんが

大きく大きくめいっぱい手を広げて、

私のおなかの上にやってきた。 

はじめてのお産 2 がっちがちやぞー

日本での妊娠・出産・育児

痛みを呼吸でなんとか流そうとして、深く呼吸をしすぎた。

手がしびれ、呼吸が苦しい。

やばい、これは過呼吸だな。

 

夫にビニール袋をもらうように依頼。

母が昔なって救急車で運ばれたのを見ていたから、

どうすべきかよく知っていた。

自分の吐いた息を自分で吸って落ち着かせなければ。

この人生最大のイベントで、

過呼吸なんかにかまけているわけにはいかないのだ!

 

小刻みに震える手で、なんとかビニールをつかみ、口に当てる。

はああああああ。。。

多少落ち着いたのもつかの間、次は腰が砕けるような波がやってくる。

 

これからが本番というのに、

すでに全身が震えるほどがっちがちであった。

 

なんてこった。もっと上手く産むつもりだったのに。。。

 

ベッド上でどういう体勢をしたら楽なのか?なんてことは

まったく分からなかった。どっち向いても痛い。

どうしたらいいのかわからない。結果、寝っぱなし。

ど素人の夫と二人。

 

ああタイムスリップして教えてあげたい。

バランスボールに座ってみなって。

 

痛くなったら夫の腕とかもうどこかも忘れたが、

ギューーー!!とひねりあげていた気がする。

陣痛とはよくできていて、波と波の合間にしばし生き返ることができる。

でも、もう次の波が来るのが怖すぎた。。

 

こんな風にベッドにずーっと寝たまま痛みに耐えるシーンを見せたら、

私が第三子を産んだロンドンの助産師さんに叱られるだろう。

なにやってるの?寝ててお産が進むと思うの?

Gravity(重力)よ!Gravity!

そう言われそうである。

 

でもこの時の私には、座るとか、歩くとか、階段を登るとかそんな選択肢はなかった。

どうしたらいいのか分からないし、誰もいないし、痛いから動けないし、

という感じだった。

 

波の感覚が短くなり、いよいよという感じで、助産師さんが来た。

 

「うん、いいかんじよーいいよー」 

 

あったかい手で腰をゆっくり、でも強くしっかりさすってくれる。

 

うわわーーー 痛みがひくーーーーー癒されるーーーー

天国だった。

 

今まで夫がそばにいてくれた。さすってもくれた。

今言おう。そこじゃない!

 

なんという違いだろう。

なんという癒しだろう。

この人がずっと横にいてくれたらどんなに心強かっただろう。

安心して泣きたい気持ちになった。

 

夢にまで見た早朝になり、

私は「栄光の分娩室」に移動することになった。

痛みがひいている少しの間にいざ移動だ!

 

よっしゃやったるでー!

立ち上がって数歩歩くと、、、

 

ドッシャーン!!

 

と自分の体内から大量の水分が出た。

それはまるで、体内で水がたっぷり入ったバケツが一気にひっくり返った感じ。

 

破水(ハスイ)

 

そんな基本的な言葉もぶっ飛ぶくらいの衝撃。

な、、なに??何が起こったの?これって大丈夫ですか??

ワ、ワタシ、ダイジョブですか?

まさに腰が抜けそうになり「ああああああ」と声を出したら

それが相当まぬけだったらしく、夫が笑いをこらえている。

おのれー。

 

やっとの思いで分娩台にたどりついき、

寝そべった。

 

そして、助産師さんは言った。

 

「ここに足をあげてください」

 

「へ??」

 

テレビなんかでも見たことのある足を支える台が左右に見える。

でもなんて高く遠いんだ。

もうエベレストみたいに思えるのだ。

 

この状態であんな高いところに足を上げる??

もう泣きたい。

でももうちょっとで毎日語りかけてきた赤ちゃんに会えるんだ。

さあ、登るんだ!!あの足のせ台へ!!!  

はじめてのお産 1 はじまり

日本での妊娠・出産・育児

10年前の第一子出産。

無痛分娩推奨病院での、自然分娩当日がやってきた。

 

たしか夜9時半すぎに、恥骨上部にぐりぐりくる違和感。

待ってましたとばかりに時間を計ると

うん。めっちゃ規則的。

 

おおおお!!!ついに来るべき時がきたか!!

よっしゃやったるでー!

テンション上がる私(笑)

これから産んできまーす!と食卓でピースサインしている写真も残っている。

若いってすごい。。。

 

こわいと思っていた感情はもうどこかに行っていた。

会社の先輩が貸してくださった本に影響されて、

呼吸をしっかりやって、自分の産む力を信じて産んでみよう。

太古の昔から女性は産んできたのだ。できるできる!

と自分を暗示にかけて、いい調子でこの日を迎えていた。

 

病院に連絡し、夫の車で乗りつけた。

夫もなにやら興奮気味である。

 

おなかの収縮を見たり、

内診を受けたり、

どきどきしつつ、でも冷静で。

静かなる闘志を胸に秘めて。

 

と、この辺で記憶はとんでいる。

 

次思い出すのは、

暗ーいベッドで夫と二人、痛みと闘う図。

そう、まさに闘っていた。

 

どーんと痛みを受け入れ、ふーっと吐きながら受け流すつもりだったのに、

どう大きな心でいても、痛いもんは痛い。

痛みの波と波の間は、次来る痛みを迎える恐怖で体が硬直していた。

首も肩も腕も力を入れすぎてがっちがちであった。

 

以前も書いたが、お世話になった病院は無痛推奨病院。

月ー金が麻酔科医のいる無痛分娩希望者の日。

私が駆け込んだのは、土曜日。

だから言ってみれば営業時間外に来てしまったような感じ。

もちろん、お医者さん、助産師さんいらっしゃいました。

でも手薄だったのかな、、、

 

助産師さんが背中をさすってくれるとか、

歩くように勧めてくれるとかそういうことはなくて、

「痛くなったら呼んでください」とだけ言われて置いてきぼり。。。

ちょ、ちょ、ちょ。

痛くなったらって、もう結構痛いけどどれくらい痛くなったら?

そんな間抜けな質問をすることもできなかった。

 

最終的に出産することになる分娩台のある分娩室の横に、

小さな、その名も「陣痛室」がある。いわば待機場所。

助産師さんからOKでなければ、「栄光の分娩室」へは移動できない。

 

私は陣痛室の硬いベッドに横になったまま、

夫と二人きり。

 

すると、もう一組のカップルがカーテン挟んだ隣に入ってきた。

おお!一緒にがんばる人が来てくれた!と本当に心強く思った。

孤独から解放される!一緒にがんばりましょうね!そんな気分。

 

ところがどうだろう。

しばらくして赤ちゃんの心音がどうのこうので、

帝王切開になることが決まったらしく、さーっといなくなったかと思うと、

次の瞬間、

 

おめでとうございますー♪♪

 

と明るい声が響き渡った。

 

えっ!!もう生まれちゃったの?

がびーーん、、、、お、おめでとうございます、、(涙)

 

人生であれほど人をうらやましいと思ったことはない。

帝王切開だって大変な出産だ。術後の痛みも不自由さもある。

でも、あの時、どうにもこうにも痛くて先の見えなかった私には、

もうゴールを迎えたその女性はまぶしかった。

私も切ってくれー!そう叫びたい気持ちだった。

 

はあああああ、、、私も早くそこにたどり着きたい!!

そうだ、大体こどもって早朝生まれるよな。

きっと私も早朝なんだろう。

 

今なんじ??

 

これ何回聞いただろう。

でもこういうとき時計の針は全然進まないのだ。

バルセロナで食べた高級梅干しが教えてくれたこと

バルセロナ生活

バルセロナで暮らして2回目の夏に、

夫の職場に日本からの出張者が来て、

日本土産だと美味しそうな梅干をくださった。

 

たまーに来る出張者からのお土産は

ときにお茶漬け、ときにラーメン、ときに日本のお菓子。

日本のものが恋しいわれらとしては、どれもとても有り難かった。

特にこどものテンションの上がり方が半端ないのだ。

大体その日のうちに食べてしまう。

 

今回は梅干し。

一粒一粒上品に並んで、とてもよいもののようだった。

 

夫から受け取って、

大事に食べないとなあと冷蔵庫にしまおうとして、

「おいしそうだなあ・・」と梅干を見つめた私。

うん、ちょっと味見してみよっと一粒取り出し、梅干を指で挟んだ。

皮が薄く、やわらかい。

ほいっと口に入れた。

 

・・・うわわわああ・・・・・

 

キッチンの冷蔵庫の前で、タイルに裸足で仁王立ちの私は目を閉じていた。

目を閉じて味わいたい味だった。

ほんのりすっぱくて、遠くから甘みがやってくる。

だんだん甘みがせまってくる。

それだけじゃない繊細で慈悲深い味もやってくる。

なんて深い味わいなんだ。

 

はあ・・・お・い・し・い・・・・

 

日本てすごいもんつくるな。

これ率直な感想。

 

梅干し一粒を味わいながら、

全身がリラックスしていくのを感じる。

 

そして味わいの中に歴史を感じる。

この味にいきつくまで、もしくはこの味を守るため

生産者さんや職人さんたちが努力されたのだろうなとか思うわけである。

こんなにシンプルな原材料でこの味わい。

 

バルセロナの冷蔵庫の前で私は

日本の真に美味しいものの底力を感じまくっていた。

 

たくみお姉さんの歌といい、この梅干しといい、

海外で生活していると、日本への感覚が妙に研ぎ澄まされる部分がある気がする。

 日本の変なところも見えるし、日本の良さもめっちゃ分かるのです。

たくみお姉さんの歌が教えてくれたこと

バルセロナ生活

バルセロナに渡航して1年くらい経って、

ふと「おかあさんといっしょ」のCDをつけた。

 

そして聞こえてきた、たくみお姉さんの歌声。

 

♪やさしいこえが さあおいで~♪♪

 

な、なんだろう、この繊細で可憐な音は。

日本で長女を育ててるときに何度も聞いたはずなのに、

全く違うもののようだった。

 

それではっとした。

渡航して一年。家でも外でもスペイン語漬け。

そのせいで「私の耳」が一瞬、たくみお姉さんの歌声を

初めて聞く外国語のようにとらえたのだった。

 

それはまるで日本語を初めて聞いたスペイン人状態??

 

「さ」とか「く」とか「ち」とか、いちいち繊細できれいな音だ。

「ささのはさーらさらー♪」とか言われた日には、もう卒倒しそうである。

 

スペイン語は基本、結構ベターっと発音するし、巻き舌もある。

その濃い発音に慣れた後に聞くと、お茶漬けのようにさらさらしている日本語。

 

へー、そうだったのか。

抑揚がないといわれる日本語だけど、

日本語の響きの美しさってこのことだったんだあ。

 

たしか、アナ雪主題歌の多言語バージョンで

松たか子さんの日本パートが人気だった理由も

日本語の響きだったよなあ。

 

たまには日本語の響きを味わって話してみよっと。

スペイン語の太陽みたいな明るい音も

フランス語のもしょもしょするエレガントな響きも、

英語の滑らかな音も、それぞれに素敵だけども。

日本語はそのどれとも違う繊細な可憐な音だ。

 

日本語が外国語に聞こえたのは、

あとにも先にもその日だけ起きた不思議な体験だった。

 

外に出ると分かる日本のことって色々ある。 

パリの託児所の先生から学んだこと

パリ生活

我が家の3番目、末っ子はただ今2歳4か月。

最近、週2回フランスの託児所に通わせ始めた。

 

私は長女の幼稚園入園以来、5年ぶりの一人時間を獲得し、

カフェでコーヒーを飲んだり、背筋を伸ばして颯爽と(の気分!)

行きたい店を渡り歩きながら、いいねえとニヤケている。

 

パリの託児所がどこもそうだとは思わないが、

最初の1週間は連日登園の「慣らし期間」だった。

 

1日目は、1時間お母さんと一緒に遊んで帰る。

2日目も、1時間お母さんと一緒に遊んで帰る。

3日目は、1時間のうち、15分だけ母親が外出。

4日目は、1時間のうち、30分だけ母親が外出。

5日目は、最初の10分一緒で、あとの1時間は母親外出。

6日目は、最初から2時間、母親外出。

 

とまあ日本人も驚く丁寧さである。

 

連日、母と一緒に同じ場所を訪れることで、

こどもが「場所」と「先生の顔」に慣れていくのを感じる。

また、自分の「お母さん」と「先生」が親しく話しているのを見て、

日に日に先生に心を許しているように見える。

 

新しい託児所。パリにしては珍しく広々として、遊具も豊富。

私も息子も、最初の2日間ですっかりその場所を気に入った。

 

3日目。初めて息子が私と離れる日。

いつもの家での息子の様子を見ていると、

来客が多いからか、他の大人にも案外平気であるし、

過去2回、シッターさんをうちに呼んで見ていただいた時も、

数時間、愚図らず兄弟と一緒に楽しく過ごしていたので、

私はまたいつものように「そーっとその場から消えよう」としていた。

 

玄関に向かうと、若い先生が追いかけてくる。

 

「ねえ、〇〇にママがいなくなること言ったの?」

 

「(ええええ、、、言わないほうが泣かないよ・・)言わなきゃだめ?」

 

「そうね」

 

引き戻される。

ベテランのD先生が、そこにはいた。

私は言い訳じみて言った。

 

「彼は私がいなくなっても知らずに楽しく遊ぶタイプで・・・」

 

すると、彼女は毅然と言った。

 

「それはだめよ。

 彼にママはいなくなるけれど、必ず戻ってくるということを

 理解させる必要があるの。」

 

「ここは、あなたが安心して楽しく遊べる場所で、

 こどものための場所であって大人の場所でないこと。

 あなたは楽しく遊ぶ、お母さんも外で楽しい時間をすごす」

 

「そして、必ず、お母さんは事前に約束した通り迎えに来ることを

 こども自身に分からせないといけないの」

 

「そうでないと、ひとしきり泣き終えてからも、

 どうしてママはいないんだ?って理解できずに

 不安になってずっとぐずぐず言うのよ」

 

「だから言わないで行くなんでことは意味がないわ。

 たとえ最初は泣いてもね。きちんと説明しておくことに意味があるの。

 できれば前日の夜から話をしておくのがベストね。

 子どもだって言われていることが分かるのよ」

 

説明責任。

こどもを一人の人間として扱うこと。

 そんなことを言われているような気がした。 

 

息子は、私が出ていく時には、わんわん泣いて、

迎えに来た瞬間も、安堵から「おかーしゃーん」と泣いていたが、

私はその度に

「〇〇くん、ただいま!ほーら、おかあさん帰ってきたでしょ♪」って

くどめに言った(笑)

 

6日目に迎えに行ったときには、

シャボン玉で楽しく遊んでいて、私を見ても泣かなかった。

「おかーしゃん、おかえりー!シャボン玉みてー」っていう感じ。

うん。この場所をわかってきてる。 

パリでスリに遭いました・・

パリ生活

先日、海外生活5年目にして初めてスリに遭いました・・・

 

平日、午後2時過ぎ。

ATMで150ユーロおろした私は、

子どもの学校へ行くためにバスに乗って。

着席シートが満席+数名くらいの混み具合。

いつものように後部入口すぐの、

ベビーカー置き場にベビーカーを置いて、そのすぐ後ろに立っていた。

 

もうすぐ降りるバス停。 

ものすごーく寒い日で、手がかじかんで

両手打ちでメッセージを打っていたiPhoneを

斜め掛けにしたいつものバッグにしまおうして、

 

あれ????

ぺしゃんこだ・・・え?やられた??

携帯触ってるんじゃなかった。

でもかばんは体の前にあって、私の体はぴったりベビーカーにくっついていた。

マグネット式の蓋を開けられたような感触は感じなかった。

知人がされたように底をナイフで切られたのかとカバンをひっくり返す。

切られてない。

そもそも、乗車中、人と触れ合ったこともなかった。

カバンはずっと前にあったのにどうして?どうやって??

 

周りを見渡す。微笑む老人と目が合う。

 

なに?いつ??

あっっ降りなきゃ!

 

すられた瞬間を全く把握できなかった私は、

まるでマジックにかかったかのような、きょとん状態。

 

まさかそんなはずはと、

ぺしゃんこバッグを叩いてみたり、ふたを開けてみたり、

もしやベビーカーのどこかに財布があるのじゃないかとのぞいてみたり、

無駄な抵抗を試み、そして現実を受け入れた。

まずいな。事務処理-----っっ!!

 

幸いにも、パスポートも、フランスの居住許可証も、

車の免許証も入れていなかった。

ID関係を失くす方が手続きが面倒なので、

夫はそのことをよかったと言った。

夜中の日本にも電話し、処理処理処理。

路上にいたから車の音で、日本のカード会社の人の声がとおいとおい。

 

「カードを停止いたしました。

 後日新しいカードをご実家に送付いたします」

 

ふうやりきったぞ!!

そして、どーんと凹む・・・・

 

私は用心深いほうで、

普段からバッグをぽんと置いたりしないし、

周りも用心深く見るし、

斜めがけしているバッグは必ず前にしているし、

カード決済時も暗証番号を見られないように、とか

いちいち気を付けるタイプ。

 

6年前に日本から出張中の夫がパリオペラ座前で

署名活動を装った女性たちにすられたと連絡があったときには、

内心「わきが甘いんじゃーー!」と思ったっけ。

 

はあ、やっちまったなあーーー

バルセロナ、ロンドン、パリ、そして旅行先、

5年間ノー被害でやってきた自負がもろくも崩れ去りました。

これが「慣れたころに」ってやつか。

 

警察に被害届を出さないと証明書がもらえないので、 警察に。

「現場近く」の警察に行ったところ、

「現住所近く」の警察に行くように言われ、

翌朝、指定の警察に行くと、

クレジットカードを止めたとはいえ、

一日はおかしな引き落としがないか様子を見なさいと言われ退散。

そして翌朝一番、3度目の正直で書類作成と相成りました。

 

警察のお兄さんが英語ができたことと、

日本を旅行したことがあるとか、

お好み焼きが好きだとか言っていて、

警察で「間抜けな日本人」として馬鹿にされるのでは

と思っていた私はやや癒されて。

 

友人から聞いた話では、

・その路線のバスにはスリが常駐している。

・本当は財布よりiPhoneがほしいらしい。

・娘の学校の父兄が何人もiPhoneや財布をすられている

 

後日、法廷通訳として警察にもよく出入りしている

フランス語の先生に話したところ、

・組織犯罪で犯人はひとりではない

・おそらくATMで下したところを見られて、つけられたか、

 別のバス停付近のメンバーに知らされて実行された

・路上でも、バス内でも、触れ合ってないとなると、

 バスに乗り込むとき、両手でベビーカーを押し上げているときに

 一緒に乗り込みながら財布を抜いた。

・思ったより金額が少ない!って犯人は思ってるかもって(おいおい笑)

という総括でした。

 

犯人の顔を知らないから警察にそれも言ったのですが、

思えば3人くらいの若い男性が乗ったと思ったらすぐ降りてしまって、

??なんでだろう、とは思ったんだった。

あれは、乗車時にもう目的を達成したからだったのかもしれない。

 

それから、子どもを引き取り、彼らの元気な笑顔を見て、

財布は盗られたけど、子どもは3人とも元気でここにいる。

最悪の事態ではない。大事なものはここにある。

と妙に感動してしまった。

 

その後、友人たちに話すと、出るわ出るわ被害話。

・子連れで歩いているときに、道端で若者数名に囲まれ恐喝。

・ギャラリーラファイエットのエスカレーターでバッグを開けられるも、

 子どもの手を引いていたのでバランスがとれず、十分に抵抗できなかった。

・道で女性に後ろから両脇を抑えられ、その間に別の女性が財布を抜いた。

などすべて子連れ日本女性の体験談。

 

暴行に近いものも含め、パリのスリものすごく多いです。

彼らはプロです。

本当にまずい状況になったら、抵抗しないこと。

できそうなら、周りに助けを求めましょう。

 

みなさんの教訓になりましたら幸いです。

フランス語のずきゅんワード

パリ生活

こちらの人は知らない人同士でも、よく声をかけあうのだが、

代表的なのが、体や荷物が相手に触れたときや、

相手の道をふさいでいた、なんて時に、

「Pardon!  パードン」と声を発すること。

 

フランス旅行しただけでも何回聞くか分からないだろう。

私は学生時代のパリ旅行で、

どこかの建物のせまく長いらせん階段をおりていくとき、

登ってくる人たちが次々に連呼する

パフドン!パフドン!パフドン!攻撃に

思わず笑ってしまったほどだ。

(当時はパフドンと聞こえたが、今はパードンと聞こえる。

 いずれにしてもrはフランスっぽい音)

 

今は、常にベビーカー連れというのもあり、

私もいつでもどこでも「パードン」連発。

例えば、スーパーの売り場を歩いていて出会い頭に、

妙齢のマダムが仁王立ちしていようものなら、

さあ「パードン」の出番です!

 

まず目をしっかり合わせて、

軽やかに「パードン、マダム」にこ。

 

はい、合格!

これで無作法とはみなされないでしょう。

 

で。

昨日、スーパーで品物を運んでいる男性店員のカートと、

私のベビーカーがちょっとあたってしまい、

反射的に「パードン」を登場させたところ、

 

セモア、マダム

 

となんとも紳士的なまなざしで返事があった。

 

C'est moi,madame

 

これは、パードンを言うのは私の方です、という意味。

なんかよくないですか?この言葉。

 

あとから考えたら、私が止まっていて、あちらが来たので、

あなたは謝る必要がない、ということでしょう。

 

パードンにセモア。

 

うんなんかいい(笑) 

 

一般的に日本人は謝りすぎる、と言われるのですが、

つい、こちらもごめんなさい、あなたも大丈夫ですか?

というニュアンスで「パードン」使ってしまいます。

 

次は私も「セモア」と言えるようになろうっと。

頭上注意で歩きましょう

バルセロナ生活

バルセロナであった本当の話。

 

娘を学校に送り、息子をベビーカーに乗せて、

マンション(ピソ)が並ぶいつもの道を歩いていると、

背中に風を感じたかと思ったらドンっ!とすごい音。

思わず身をかがめ、振り返ると、

 

な、なんと!!!

レンガが一つ、木っ端みじんになっているではありませんか!!!

 

なぜか、オーーーマイゴッ!

と口から出てきた私。

 

(たぶん、海外スイッチが入ってた。でとっさに出たのが英語)

 

こ、これは・・・

私ちょっと遅かったら死んでたよね・・・

この赤いベビーカーの息子の頭上だったら・・・

 

一階の美容院からセニョーラが出てきた。

大丈夫??けがないの??

ないっす・・・てか口が乾いて声が出ないっす・・・

 

誰やねん!!って上を見ると、毛むくじゃらの腕が

7階くらいから出て、なにやら、窓周りの作業してる。

落ちたことには気づいてない。

 

本当なら被害者を増やさないためにも、

直接本人に指摘したかったが、

なんせ動揺していた。

その女性に上を指して、あの人よと言い残して、

いそいそと家路についた。

 

ああびっくりした。ほんとうに。

危機一髪ってこういうこと??

 

それにしても。

こんなことってある?

あるんだな。

でもあんな作業じゃ、これまでだって被害者いてもおかしくないよ。。。

 

ここは日本じゃない。

平時でも頭上注意。

 

そう思ってたら、パリでも工事現場からなんかふってきた。

娘と息子がキックボードで通ったそのあと、

ウレタンマットにエル字のプラスチックを巻いたようなのが、

ビルの外壁の角から剥がれ落ちてきたのだ。

 

ひーーーレンガより軽いけど、高さあると凶器だよねえ。

 

先進国だと安心してはいけない。

いろいろと降ってくることを考慮したほうが良いです。

特に工事現場、作業人の下。みなさま要注意。

 

 

ポーランドからきたパリの運転手さん

パリ生活

海外でタクシーに乗るときはどうも緊張する。

密室だし、やはり感じの良い人がいい。

他にも、

最短の道を通ってくれるだろうか・・

ぼったくられないだろうか・・

と基本的な心配も。

 

それに、私はもともとおしゃべり好きなので、

タクシーでは世間話でもしたいのだが、

不自由なフランス語ではハードル高い。

 

感じの良い人だといいな・・・

 

そう思って、病院帰りにタクシー乗り場に行くと、

タトゥーをしたごっつい腕と頭に巻いた赤いバンダナが見える。

 

ひえーー今日は強面の運転手さんかな・・と思いつつ、

ボジュームシュー、乗っていい?と近づいていくと、 

そのおじさんは、笑顔とともに軽快な足どりで降りてきた。

 

「赤ちゃんを抱えてください。ベビーカーたたみますから」

「あ、このくっついてるおしゃぶりは車内に持っていかなくていいのですか」

 

まあ!ここはパリだというのになんと気の利く人だろう!

今日はいい日だ~!!

気づけば車内から大音量で聞こえてくるショパン。

おじさんは軽快な足どりで運転席につくとショパンの音量を落とす。

 

「あの、○○までお願いします」

「えーっと、、」と住所をナビに打ち込む。

「あれ?おかしいなあ、、出ないなあ、、」

「あのースペルこれですよ」

「はい。でもなぜか出ないんです、、、」

「あ、じゃあ○区のショッピングセンターわかります?」

「ああ!あそこにはニッコーホテルがありますよね?」

「あ、今ノボテルになってますよ」

 

親切。行き先が通じている。完璧。

 

すっかり気の緩んだ私は、ほっと息子と座る。

フランス語の不自由さを察したおじさんが英語で話しかけてきた。

 

「ぼく、タクシー運転手になって一か月なんです」

「そうですか。道を覚えるのは大変でしょう」

「昔住んでいたから、大体のことは分かるけど、ナビがないと全然ダメです。

 ところであなたは日本人ですか?それとも韓国人とか?」

「私は日本人です。あなたは?」

「ポーランド人です」

「わあ!ポーランドですか?ポーランドの焼き物は素敵ですよねえ。

 あっ!あとキュリー夫人!!ポーランドの人でしたよねえ」

「マリア・スクドロフスカです。ノーベル賞とったんですよ」

「もちろん知ってますよ」

「一度じゃないです。女性で二度も!二度です。

 そして化学賞と物理学賞ととったのは彼女しかいない。

 アインシュタインも彼女を尊敬していた。

 ワルシャワにマリアとアイシュタインと一緒に映った写真がありますよ」

熱くなるおじさん。

ついていける私。

だって、小学生の時、キュリー夫人の漫画伝記を愛読していたから(笑)

小さい時の記憶力ってすごい。ここで生きてくるとは!!

 

「前はニースでスーパーのトラック運転手してたんです」

ニースと言えば、パリからしたらうらやましい太陽サンサン、ビーチリゾート。

いいところじゃないですか!と言いかけたら、おじさんは言った。

「もう日差しに疲れちゃって・・」

「え?」

「みんないいところっていうけど、それはバカンスでちょっと行くからですよ。

 僕みたいな北の人間があんなに日差しのきついところに住んだら、

 もうきつくてきつくて」

 

なるほど。みんなが憧れる場所でも、住むと違うってあるんだなあ。

で、思い出した。

私もバルセロナに渡航したばかりの頃、

まるで肌に刺してくるような、日本とは質の違う日差しに、

ただ歩いているだけで疲れちゃってたことを。

うんうん。意味わかります。

 

「クラシックが好きなんですか?」

「あ、いや、、これはパリのお年寄りをいい気分にさせるためにかけてるんです」

「へえー」

「お年寄りは難しいですよ。

 パリの人は冷たいといわれるけど、若い人は礼儀正しい人が多いです。

 けれど、お年寄りは違う。主張がすごいから。

 道で喧嘩するのもお年寄りですよ」

ショパンをかけていたのは、そういう理由だったのか。

でもそのとき私は気づかなかった。ショパンがポーランド人だってことを。

 

おじさんもすっかり私との会話を楽しんでるようだった。

ポーランドの若者は大体英語が話せることとか、

好きなアーティストが日本のヨコハマでPVか何かの撮影をしたんだとかいう話をしてくれた。

 

気づけば家の前。

「ありがとう!楽しい時間でした」

 

英語が通じたおかげで、

本当に久しぶりに現地の人と話せたことが

脳みその刺激となり楽しかった。

 

おじさんは最後まで丁寧にベビーカーを広げてくれた。

「あなたは素晴らしい女性ですね。よい一日を!」

 

おじさんこそ、素晴らしい運転手さんだ。

心を込めて一生懸命働くポーランドから来たおじさんに会って、

私はすっかりよい気分だった。

美人姉妹に不思議がられたこと

バルセロナ生活

バルセロナ時代のこと。

 

娘の通学途中、バスでよく会う同じ学校の女の子たちがいた。

娘の学年の一つ上と一つ下の姉妹だ。

どうやらお金持ちのお家のようで、

いつもナニーと一緒に通学していた。

 

お姉ちゃんはちょっとおすましさんで、

かわいいというより美人。

わずかに大人の女性の風情を漂わせている。

 

妹の方はくりくりとしたよく動く青い目が人懐っこく、

いつでもケラケラ笑っているような子だった。

いつも娘を見つけると、

隣に座りたいとナニーに懇願する。

 

その日、私はいつもならベビーカーに座らせている一歳の息子を

珍しく <抱っこひも> に入れて、

帰りのバスに乗っていた。

 

妹の方が大きな瞳でじーっと私が息子を抱いている様を見ている。

そして、言った。

 

「あなたはなぜ赤ちゃんを抱っこしているの?」

 

「え?うんと・・そうね、

 彼はいま機嫌が悪くてこれがいいみたい」

 

すると、いつもあまりしゃべらないお姉ちゃんがすかさず言った。

 

「じゃあなぜあなたはベビーカーも持ってきているの?

 ベビーカーがあるのに抱っこしているなんて」

 

 

(・・・・・た、たしかに)

 

 

私からすると、たとえベビーカーに乗せていても、

ずっといい子に座っているとは限らない。

愚図って人さまに迷惑かけないように、

いざとなったらさっと抱いて移動できるように、

保険として抱っこひも。 

これ結構ありませんか?

 

日本ではよく見る光景でも、

幼い彼女には

ベビーカーという大きな道具がそこにありながら、

それを使わずして、

重そうなこどもを抱っこひもに入れている私は

明らかに奇妙だったのだ。

 

ちなみに。

バルセロナの住宅街で抱っこひもに息子を入れて歩いていると、

結構じろじろ見られた。

抱っこスタイルが可愛いというような視線もあれば、

珍しい、もしくは怪訝そうな視線もあった。

 

というのもこちらの人たちは、

ベビーカー(それも結構ごっついの)でどこへでも行くからだ。

バスにも4台は入るし、

スーパーも、デパートも、カフェもベビーカーでいっぱいだった。

赤ちゃん好きのお国柄。だれも拒まない。

 

ベビーカーにおしゃぶりをした赤ちゃんを入れて、

時にミルクや瓶詰の離乳食をあげながら、

悠々とカフェでお茶をする人たち。

 

メトロにはエレベーターがないところも多い。

石畳でぼこぼこした道もある。

けれど、どこでもベビーカーで行く。

 

日本のお母さんが赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、

さらに両手にスーパーの買い物袋を提げて歩いているのを見たら

さぞびっくりすることだろう。

なんの修行なの?

重いのになぜベビーカーを使わないの?と。

 

うーーーん。

抱っこのほうが子どもが安心するから。

肩はものすごく凝るけど、それさえ我慢すれば身軽に動けるから。

人の手を借りずに済むから。

ベビーカーの赤ちゃんが騒いで、

周りの人に白い目でみられるという事態を避ける最終兵器として。

かな。

 

バルセロナを去るころには、

巻物のようなスリングにごく小さい赤ちゃんを入れている

ロハスな感じの奥さんもたまーーーに見るようになった。

デパートにも片隅に抱っこひもが売られていた。

 

ベビーカー主流のバルセロナでも

抱っこひもの良さを感じる人は増えているのかな?

きっと使う理由は、赤ちゃんと母親の快適性。

<人さまに迷惑をかけないため>ではなさそうだ。

魔法の言葉「マダム」

パリ生活

パリに住んで一年になる。

フランス語のレベルは挨拶とスーパーのレジ通過可能レベル・・

マルシェで込み入った会話とかはできない・・

大抵のことを笑顔とジェスチャー、それに推測とウィで乗り切っている(笑)

 

以前住んでいたバルセロナで使っていたスペイン語は

べたーっと発音するところが

日本人にとても合っていた気がする。

書いてある文字をそのままカタカナでローマ字読みする感覚。

 

フランス語は聞いたことのない特有の音がいっぱい聞こえてくる。

心のハードルが上がる上がる・・・

その点、子どもは上手ですね~。

例えばトレビアンのレ。トヘビアンという感じ。

母がやると何か違うらしい。

 

来た当初は、

それまで話していたスペイン語の脳みそが切り替わらず、

どうしてもウィをシィ(スペイン語の「はい」)と言ってしまい、

それを直すだけで4か月かかったっけ・・・

 

それと特有といえば、

リエゾンなど滑らかにつなげて読む習慣。

 

これは笑い話なんだけれど、

例えば、「子ども」という単語が「アンファン」と覚えても

あまり意味がない。

私はいつも3人連れているので、

エレベーターで一緒になる人にかなりの頻度で

「レゾンフォン」と言われていたが、

最初は意味が全く分からず、???で、

レゾン何とかという単語があるのかと

夫に聞いたり、真剣に辞書で調べていた。

すると、それは複数形の冠詞のついた「子どもたち」という単語だったのだ。

 ※Les enfants(レゾンフォン=こどもたち)

アンファンのアの字もないじゃん!

 がーん・・・耳で聞いて覚えるしかない。うん。

 

ところで。

フランス語が分からないなりに日々暮らしていて、

やはりその重要性を感じ、

これだけははったりきかせてやってます、というのは挨拶。

あなためっちゃ話せるんじゃない?と誤解されるくらい流暢に挨拶できます(笑)

 

大事なのは目とタイミング、若干のイントネーション。

そして印象のよい挨拶の最大のコツは、

最後に必ず「マダム」か「ムシュー」をつけること。

 

とりあえずこの挨拶をマスターすれば、

通りすがりの人や、お店の人にそれなりの人物として

認識してもらうことができます。

 

最後につける「マダム」。

これは言われてみればいかに気分がよいかがわかります。

 

 ボンジュールマダム (こんにちはマダム)

 メルシーマダム (ありがとうマダム)

 パードンマダム(失礼マダム)

 

最後にマダム、と添えられるだけで、

背筋が伸び、にこやかに返事をすることができる魔法の言葉。

 

日本語のマダムって、イメージ的に高級感あふれるというか、

時に冷ややかにも使われますが、

こちらでは女性への尊敬の念を表している感じ。

(マドモアゼル(未婚)とマダムで迷ったら

 マダムにしておくことが無難だそう。

 女性の価値は若さじゃないのです)

 

不愛想な人も多いパリですが、

お店でも、マンションでも会った人にマダムと声をかけられると

とても尊重された気分になり、

その言葉にふさわしい行いのできる女性であろうとする自分がいます。

女性を成長させてくれる言葉のよう。

ムシューと言われる男性もしかり。

 

先日、最高にうれしかった「マダム」は

雨の日にすれ違ったお年を召したムシューが

頭のベレー帽をちょっと持ち上げて、にっこりと

 ボンジュールマダム

と言ってくれたとき。

 

寒い雨の日、子どもの体調不良、週末の一人買い出し、

はあ~と歩いていたが、

ムシューの紳士的な挨拶で、

一気に(!)ほわーっと温かい気持ちになった。

 

挨拶ってすごいな。

 

欧州大陸にあって、いろいろな国とぶつかった歴史があって、

互いに敵でないことを示す意味でも挨拶は重要だったんだろうな。

スペインもそうだったけれど、

フランスも挨拶がすごく大切にされている国。

なので挨拶できないと軽蔑される可能性大・・・

 

郷に入れば郷に従え。

日本にいるとお店側が挨拶することはあっても、

お客側が挨拶して入店することはあまりないように思いますが、

ヨーロッパを旅行するときは、

常に自分から目と目を合わせて挨拶しましょう。

きっといい気分で過ごせる確率が著しく上がることでしょう。 

日曜日のバルセロネータ2

バルセロナ生活

住宅街に人影がない日曜日のバルセロナ。

みんな海や山に繰り出していたのだった。

(もしくは親族の家で集合ランチ)

 

バルセロネータと呼ばれる海沿いを歩いて見える景色は

誰もが渇望するであろうビーチリゾート。

まぶしい!

 

ビーチで焼いている人に目が行くが、

よく見ると、水着でなく普段着でビーチの手前にある歩道を

たくさんの人がそぞろ歩きしている。

 

海辺の光と風と匂いを浴びながら、

老若男女がただただ歩いている。

歩くことを楽しんでる。

 

日本で、普段の日曜日ってどう過ごしていたかな?

あんまり思い出せない。

買い物したり商業施設をぶらぶらしていたんだろうか。

 

お店が全部閉まっていると、仕方ないから潔く別のことができるな。

そんなことを思いながら歩いていたら、

 

「ひゃっ!うわーへー!えーー?ほほーーー」

 

と思った光景が目に飛び込んできた。

 

砂浜の片隅に一人のビキニ姿の女性が寝転がっている。

その横にはベビーカー。新生児から使えるフラットタイプだ。

そしてその中にまさに「新生児」と思われる赤ちゃんが入っている。

 

どひゃーー!

日本じゃ1か月健診までは外出すらはばかられるというのに。

 

赤ちゃんへの日差しを遮るように

外部取り付け式の日傘がかかっていて、

すやすやと寝ている赤ちゃん。

そして同じくすやすやと寝る堂々ビキニ姿のお母さん。

 

自由だ!

 

日本のように湿度がないので、

日陰は涼しく快適。

完全リラックスムードの産後ママと赤ちゃんの姿。

 

ランチに訪れたレストランでも

生後2週間という赤ちゃんを連れた若い夫婦とおばあちゃんに遭遇。

ベビーカーに入れたまま優雅に食事している。

レストランの人もニコニコ。

 

気候とミルク育児のなせる業とはいえ、

そもそも誰も母親の行動をとがめない。

産後も果敢にリフレッシュする母親たち。

ところ変わればである。

日曜日のバルセロネータ1

バルセロナ生活

バルセロナの日曜日は不思議だった。

窓の外を見ても人がいない。

車も少ない。

しーん。。。実に静か。

 

確かに日本と違い、

日曜日はほとんどのお店が営業していない。

デパートもスーパーも。

 

だからそういう意味では静かなんだけれど、

じゃあこのピソ(マンション)群の住民たちは

一体全体どこにいるんだろう????

 

あらゆる買い物は土曜日にしかできないので、

日曜日は行くべき場所もなく、

海の方にでも行くか、

今日は山の方に行くかとしばしばドライブした。

 

そして分かったこと。

海と山は人がうじゃうじゃいる!!!

みんな歩いている。寝そべってる。食べてる。

 

そうか。日曜日は自然回帰の日なんだ。

 

バルセロナは神戸のような街で、

背後にほどよい山をしたがえ、眼前には真っ青な海。

海でも山でもどっちも楽しめる、

ほどよい大きさの街なのである。

 

バルセロネータと呼ばれる海をそぞろ歩きして、

トップレスの女性の確率と、

ゲイカップルが浅瀬で楽しそうにはしゃぐ光景を見て、

 

<自由><ありのまま>

 

そんな言葉が浮かび、

青空と青い海の光と相まって実にまぶしい。

 

そしてもう一つ衝撃だった光景は・・・

つづく。