3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

とにかく素敵なイギリス婦人のおうちのこと

ロンドンでの家探しで、

イギリス人がいかに絨毯好きかが分かった。

(しかもwall to wallの敷き込み!)

 

見れば、絨毯専用掃除機も普及していて。

そういえば、掃除機のダイソンは

アメリカブランドだと思っていたらイギリス発だそうで。

絨毯王国→→→ダイソンってすごく納得。

 

とはいえ、我が家が借りたお家の階段の絨毯は、

よく歩く真ん中だけ汚れて違う色になっているし、

角の部分が浮いてぼこぼこしていたり、

どうもぱっとしない。

こんなになるくらいなら、すっきり木でいいんじゃ・・・ 

 

 

そんなある日、

お友達に誘われて、

娘がイギリス人のおばあちゃまに英語を習うことになった。

 

私は、娘の小学校が終わると、小さな弟二人も連れて、

お世話になるご挨拶だけしようとお宅に伺った。

 

そして、

彼女が戸を開けてくれた瞬間、

私はすっかりそのお家に魅了されてしまった。

 

小さな玄関には、

深く濃い緑色のつやのある絨毯が敷き詰めらていて、

それは家の奥までつながっている。

 

そして、年季が入って飴色になった、

大げさすぎないこじんまりした家具や、

壁にかかった額縁がちらっと見える。

 

どう見ても居心地のよさそうな空気。

とにかくその深緑の絨毯が私を呼んでいる~

 

前のめり気味に

「素敵なおうちですね!」

と言った私に、

 

おばあちゃまは 

「あなたもお茶いかが?

 どうぞ家も見てくださいな」 

とにっこり。

 

えーーーこんなやんちゃ坊主が二人もいるのにいいんですか??

でも好奇心が勝る。

もう胸が高鳴りっぱなし。

 

玄関を一歩入ると、

絨毯がふかふかで、お!っと背筋が伸びる。

絨毯が美しすぎて、

「土足でいいんですか?」

と聞こうとして、あ、ここはイギリスだったと思ったほどだった。

 

すぐ左の応接間には

壁一面に飴色の本棚と古い書籍、そして彫刻のオブジェ、

出窓のようになった窓辺には

大きすぎず小さすぎず、

ちょうど良いサイズのソファが置いてある。

 

彼女は、地元の小学校で校長先生までした方で、

演劇史の専門家なのでイギリス国内で講演もしているそう。

そんな訳でイギリス演劇の書籍がたくさん並んでいた。

いろいろなブロンズも演劇関係と思われるものだった。

彼女の知性の塊といった部屋だった。

 

「私、学生時代に昔ブロンテ姉妹の演劇をつくったことあります」

と興奮して余計なことまで口走る。

 

庭に面した部屋も、濃い緑色の絨毯で敷き詰められていて、

暖炉にオランダのアンティーク家具のような風貌の椅子が何脚か

アームチェアのように配置してあった。

小さいけれどとても座り心地のよさそうな椅子だった。

 

そして、庭に出る手前に、

これぞブリティッシュアンティークといった感じの

表面がつやつやした、

これまた飴色の楕円のダイニングテーブルが置いてあり、

その上には、これから教える子どもたちが自由に食べれるように、

いろいろなお菓子がセッティングされていた。

 

アリスのティーパーティーみたい!

 

「お茶なにがいいかしら?」

 

けばけばしいティーカップではなく、

モダンなマグカップに

なみなみとレモン風味のグリーンティを注いで出してくれた。

喉が渇いていたので、ごくごく飲んだ。

 

そして、間違いなく美味しそうな

今日作ったというコーヒーケーキを出してくれた。

そしてそれは想像を裏切らないイギリス生活NO.1のコーヒーケーキだった。

 

子ども達はお菓子を好き放題ほおばり、

ジュースをいただき、

その後、そのテーブルで英語を習う。

 

1歳だった息子のお菓子の食べこぼしも、

ハイハイし色々触る様子も全く気にしないおばあちゃまは、

二階も含めて好きに部屋を見ていいわよと。

 

徘徊したい息子を連れて徘徊する私。

 

さきほどの部屋とつながっているキッチンは

これ以上ないほどに、すっきり。

床は大きなタイルで、キッチンの上にはほぼ何も出ていない。

庭で咲いた黄色いお花が一輪。

 

こんなに何もないのに、

お茶が各種出せて、手作りケーキが出てきて、

かわいいナプキンとティーセットが出てくる。

何もないように見えて、必要なものは十分に出てくる。

不思議だ。

 

二階はバストイレと個室。

こちらの水はカルキが多く、水場はすぐ白く汚れるが、

光るべきところは光り、洗面台には水滴の跡もない。

そして小瓶にやはり庭のお花が飾ってある。

 

お風呂のふちにはバスマットがきれいにまっすぐかけられていて、

お風呂を出た後に、水滴をすべてぬぐうのであろう布巾が

小さく折りたたんで隅に置いてあった。

 

個室にはベッドメイク済みの質素なベッドと、腰より低い本棚。

家族や友人と思われる写真。

壁には部屋に一味添えるささやかなアートが額装して飾ってある。

 

全体的に華美なものは一つもない。

どちらかというと、質素かつ簡素。

けれどミニマリストほど物がないわけではなく、

まして殺風景ではない。

断捨離だけしました、という感じとも違う。

 

ものは厳選され少なく、

実に機能的に置かれているけれど、

(必要な場所に必要なものはある、各種類ひとつずつ)

できあがった空間はあたたかく、居心地がよかった。

 

二階はシンプル、いつでも誰でも泊まれる状態。

一階は質の良い絨毯の上に、

決して広くない部屋の大きさにぴったり合った、

愛着を持って使っている家具が

ここ以外に考えられないというくらいおさまりよく

そこに配置されている。

 

簡素で、物が少ないのに、優雅であたたかい。

 

壁一面の書籍、

それぞれ思い出がつまっていそうな彫刻のオブジェ、

お風呂場の一枚の布巾、

全てに哲学を感じる。

 

彼女の人生そのものが形となったような家だと感じ、

息子との徘徊後、興奮冷めやらぬ私は水を飲んだ。

 

イギリス人のお家は「必要にして十分」という考え方があるという。

新しく出たから、とりあえずもらったから、

というものに家を占拠させない。

 

古いもの、自分にとって大事なものを大事にし、

必要なものがそろっていて、余分なものがない。

そういうこと。

 

今日のふたこと

「イギリスの絨毯はすごく居心地がよかった」

「必要にして十分」

 

瞳のきれいなおばあちゃま、フランシス。

素晴らしいお家を見せてくださってありがとうございました。