3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

フランス人上司から学んだこと1

渡仏してすぐのころ、夫のフランス人の上司が

私たち夫婦をディナーに誘ってくれた。

 

フランスでレストランでのディナーに誘われたら、

それは <大人だけ> を意味している。

 

なんせディナー開始時刻は21時以降だし、

そこからメニューを熟読し、前菜、メイン、デザートと食べれば

そこそこ時間がかかる。

 

まさに <大人の時間> なのだ。

 

でもその頃といえば、、、、

 

1歳3か月の末っ子は授乳中。

4歳の長男は引っ越しの影響か、

必ず「おかーさーん」と真夜中に私のベッドに移動してきて、

一緒に寝るようになっていた。

 

パリで大人同士のディナー。

うむ、間違いなく素敵そう。

そりゃ行きたい!

 

けれど・・・息子たちの行動を考えると行ける気がしない、

行ったとしても楽しめる気がしない、

というのが正直なところ。

 

乳幼児を預けられるベビーシッターさんもなかなか見つからず、

せっかくのお誘いだったが、

「シッターさんが見つかり次第ぜひ」と濁していた。

 

それでも、夫はたびたび上司から

「彼女(私)はどうしているのか?」

「ベビーシッターが見つかったか?」

と幾度となく聞かれていたらしい。 

 

ついにしびれをきらした上司のHさんは、

もう子連れでよいから、と今度はビストロでのランチに誘ってくださった。

なんと当日は今お付き合いしている彼女を連れてくるという。

カップル文化である。

 

当日。

リュックを背負った快活で人懐っこい笑顔のHさんと、

知的な低い声と笑顔が魅力的な、明らかに大人な彼女。

 

おお、大人な2人だ♫

 

こういう出会いにわくわくした。

そして、ちょっと若作りの格好をした自分を後悔した。

 

パリに来て以来、歩いたことのないサンジェルマンデプレ界隈を

2人に案内されて歩く。

 

「ここが有名なカフェで政治家のたまり場だったの」 

「ここのアイスは有名だから子どもたちと食べましょう」 

「マルシェにチーズが出てるわね。試食してみたらいいわ」

 

至れり尽くせり。

 

石畳を3匹連れて歩く歩く。

子どもは大人に連れられて、だらだら歩くのが嫌いだが、

手に美味しいアイスがあれば不満はない。

 

街歩きを楽しんで、

壁中に小さな額縁がかけられた

なんとも味わい深いビストロに到着。

 

「実は昨日下見にきて、席も予約しておいたの」と彼女。

 

予約席はお店のコーナーにあたる部分で、

壁側半分がソファー席、手前半分が椅子席だった。

狭いけれどコージーな雰囲気に テンションも上がる。

これこれ!パリに来てこういうの待ってた!

 

ふと気づくと、

早くもわが子がソファー席に群がっている。

ここに決まってる~と言わんばかり。

いつも家族で外食時には、「ソファ席=こども」だったので、

彼らにとっては自然な行動だった。

 

子どもに続いて、

赤ちゃん連れの私がソファ席かな?と動こうとすると、

 

 

ん??おやおや??

 

 

 目の前には、戸惑いの表情を浮かべる彼女。

 

 

「なんていうのかしら・・

 席はどうするのがいいかってね」

 

 

なにやらHさんと相談している。

 

 

「ん??・・・・・・・ああ!」

 

 

彼らの言いたいことを察知した私は、

子どもたちに交渉、いや号令。

 

 

「君たち、ここに椅子を足すから端っこにいってくれる?」

 

 

「えーー!!ソファがいいのに!」

 

 

予想外にぶーぶー言いまくる子どもたち。

もうお絵かきセットも広げている。

一方で大人たちは座らずにこの動向を見守っている。

 

私は、静かに、ゆっくりと、

そして、これ以上ないほど目力を使って言った。

 

「今日は大人と大人でお話しするから

 真ん中を大人のためにあけてちょうだい。

 子どもコーナーはこの角につくるからね」 

 

母親というのは、有無を言わさぬ空気を醸すのが得意である。

 

 

 「ふああい」

 

 

そう。

もとはといえば、今日私たちを誘ってくれたのは、

私たち夫婦と話をしようと考えてくれたからなのだ。

 

子どもが座の中心で、

大人同士が散り散りに離れて座るなんて

ありえなかったのだろう。

 

子どもたちがテーブルの角に移動し、

私たちはペア同士、真向かいに座ることができた。

<大人の場所> の完成である。

 

子どもたちもあてがわれた

<こどもの場所> で遊びだした。

 

彼女も「これでいいわね!」と大いに納得した様子。

 

断わっておくが、

パリの人が子ども嫌いというわけではない。

子どもにもよく話しかけてくれる。

 

でも、ある場面では

フランスでは大人とこどもは空間を別にするのだ。

寝室しかり、食事しかり。

 

そして、大人同士が話しているときに、

子どもが割って入ることは歓迎されない。

 

フランスでの子どもの扱いは、

子ども大好きスペインとも、ちょっと違う。

 

何事も <子ども中心> で暮らしてきた私には、

子どものいる夫婦であっても、カップルでのディナーに誘われたこと、

また、この日のこの小さな「配席問題」は

<大人中心>のフランス文化を感じさせるのに十分な出来事だった。

 

電車で見た母娘の姿と、母になった私と娘

高校生だったころ、電車でこんな光景を見た。

 

長い座席に、母親と3歳くらいの幼い子が2組、座っている。

しばらくすると、片方の女の子が何が気に入らないのか、ぐずり始めた。

初めのうち、母親は気にも留めない様子で、

もう一人の母親と話していたが、

女の子のぐずりがなかなか止まずエスカレートしてきたので、

 

「そんなに泣いたらお母さん嫌いになっちゃうよ!」

 

と一喝した。

 

すると、どうだろう。

女の子の表情がみるみる変わり、

 

「お母さん嫌いにならないで!」

「お母さん本当に嫌いになったの?」

「お母さん笑って」

 

と、母親が彼女の方を向くまで、

「嫌いになってないよ!」という言葉をもらうまで、

必死の形相で懇願し続けたのだ。

 

このとき、学生だった私は、母親の顔を覗き込み、

苦し紛れな笑顔すら見せている幼子を見て、胸がつぶれる思いがした。

子どもにとって、愛されているという実感がいかに必要不可欠なものか、

そして、それにも関わらず、「愛」とはその性質上、

自分の意志で獲得することが容易ではない事柄なんだと痛烈に感じたのだった。

 

 

時は流れ、私も母になった。

第1子の娘が3歳になってすぐのころ、

やたらと「ママだいすき!」を連呼している時期があった。

最初は「うんありがと、ママもだよ」と答えていたが、

彼女は、何度答えても何度も同じことを言うのだ。

 

「ママだいすき!」

 

だんだんと確認をとるような感じに聞こえてくる。

 

「ママなんてだいっきらい!」

 

これは言葉はネガティブだが、

全幅の信頼を寄せている人に発することができる言葉だ。

子どもは嫌われないという自信があるから「だいっきらい」なんていうのである。

 

でも「だいすき」ばかり言うのは不安の表れだろうな・・・

だんだんと娘の「だいすき」が重たくなってくる。

娘は「だいすき」を何度も言わなければならないほど不安なのだろうか。

こんなに我慢強く、いい母していると思うのにな・・・

 

「ママ笑って」 

「ママってどういうとき笑う?」

 

こんなことも言うようになった。

え・・・毎朝の「おはよう」からめっちゃ笑っているつもりだった。

でも、娘にはわかっていたのだ。

私が心から笑えていないことを。

 

学生時代も、社会人時代も、

多くの仲間に囲まれていることが好きだった私の生活は、

結婚し、出産し、専業主婦になったことで激変した。

「よいお母さん」になりたい。

そう思って自分で選んだ道だったが、

夫は忙しく、その頃は流産も経験し、

娘と一対一の生活を一人で引き受けているうちに

心身とも疲れてしまっていた。

でも「よいお母さん」でいようと一生懸命笑っていたのだった。

 

娘の言葉に、

高校時代に電車で見た母子の姿を思い出す・・・

 

 

そんなある日、

かつて働いていた会社の同期たちで会うことになった。

同期の自宅に、わいわいと子連れで集まるのだ。

私は心躍りながら娘と久しぶりに電車で遠出した。

横に並んで景色を見ながら話すのは新鮮なものだった。

 

同期の家。

わーげんき?と黄色い声がとぶ。

厳しい研修をともに乗り越えた気心知れた仲間たち。

実に気楽。赤ちゃん~幼児までそれぞれの子どもが自由に過ごしている。

みんなで握った娘の大好きなおにぎりもある!

 

私は久しぶりにほっとした気持ちで、娘から目を離し、

仲間たちとのおしゃべりに花を咲かせた。

 

夫のこと、こどもの成長のこと、

そして、会社員時代の面白い話。

なんでみんなこんなに話がおかしいんだろう。

おかしくておかしくてテーブルにつっぷして涙が出るほど笑った。

 

あーーー楽しかった!!

 

そうやって、帰りの電車に乗り、座席に座ると、

娘が言った。

 

「ママ、今日ママ笑ってたね!」

 

「え?」

 

「ママ今日たのしかったね!!」

 

くまのぬいぐるみと一緒に私のとなりに座ってる娘。

とっても嬉しそうな顔をしているじゃないか。

娘は勝手に遊んでいたようで私のことをしっかり見ていた。

私がげらげら笑っているの見て、よかった!と心から喜んでくれていたのだ。

 

あついものがこみ上げて、目に涙がたまる・・・

 

「だいすき」を繰り返す娘を見てずっと苦しい気持ちだった。

でも今はただただいとおしかった。

 

母子は写し鏡。

きっと娘は日々私が苦しそうで、

そのことをつらい気持ちでいてくれたんじゃないだろうか。

「だいすき」「わらって!」

そうやって私を励ましてくれていたのだ。

  

そう。

こどもはいつだって、ママがだいすき。

ママがこどもの幸せをねがっているのとおなじかそれ以上に

「ママも幸せであること」を願っているのだ。

 

だから言いたい。

Love yourself,ママ!

 

いらいらしてしまうとき、もやもやとつらいときは

誰かとつながって、誰かと話して、誰かに子どもを見てもらって、

あなたが心からリラックスする時間をとること。

 

そして、欠点があろうが、家事が滞っていようが、

そのまんまの自分でだいじょうぶだと自信をもつこと。

こどもがあなたを責めているなどと考えないこと。

 

だって「こどもはいつだって、どんなあなただって、だいすき」だから。

 

無条件に愛してくれるこどもたち。

そのことをぎゅーっと抱きしめたら、

あなたとお子さんの心がほどけてくるのを感じるはずです。 

バルセロナは真っ青、ロンドンはコッペパン、パリはいつもグレー

バルセロナ → 常夏

ロンドン → 雨

パリ → 晴れたり曇ったり

 

それが欧州へ引っ越してくる前の、天気に関する勝手なイメージだった。

でも実際は・・・

 

バルセロナ →たいてい真っ青の空、たまーに雨季、冬は普通に寒い。

ロンドン→雨が降るには降るが、大粒ではなくすぐ止む。雨上がりの空が最高。

パリ→基本空はグレー。いつもグレー。そして結構雨も降る。晴れるとおお!と思う。

 

こんな感じ。

 

3月にバルセロナに向けて日本を発つとき、暖かいだろうと思い込み、

冬のコート類を船便に入れてしまい大失敗。

着たいと思っても、2か月間は届かない。 

 

娘の学校のお母さんに

「あなたは今日お店に行くべきね。上着を買いに」

とアドバイスされる始末。。

 

でもあのぴーかんの青空は、

もうそれだけで幸せ!!!っていうくらい本当に気持ちよく、

朝からやる気がみなぎったものだ。

行動を後押ししてくれる天気。

前向きでゆったりした気持ちでいることを後押ししてくれる天気。

天気によって、この国の人たちの性格ができているよなあってつくづく感じた。

洗濯物もあっという間に乾く。

 

ところ変わって、ロンドン。

6月に渡英したところ、口々に「いい季節に来たね」と言われた。

住むことにした家の裏庭は、長らく手入れされていないにも関わらず、

それはそれは立派な赤いバラがポコポコ咲いていた。

ご近所の庭々も、色とりどり。歩くだけで楽しい。

 

イングリッシュガーデンを誇るイギリスだけあって、

雨も植物がよく育つ降り方をしていると思う。

雨は頻度が高いかもしれないが、降水量でいうと東京の比ではない。

霧雨~小雨程度のものがしばらく降ってさっと止む。

この雨と雨の小休止のあいだに、庭の植物もにょきにょき伸びる。

本当にぎょっとおそろしく感じるほどに成長するのだ・・・

 

雨上がりには、クリアな空に虹がかかることがよくあった。

濡れた芝生や葉のにおいを嗅ぎながら、ベビーカーを押し、

レトロな住宅街をのんびり歩くのは悪くない散歩であった。

雨雨というけれど「雨上がりの美しさ」というおまけがある国。

 

あと、ロンドンの空は雲が面白い。

コッペパンのような形の雲が、空の低いところにたくさん浮んでいる。

それは脳内イメージの中の、ザ西洋画の空なのだ。

子どもたちが車窓から「絵みたいなくも~」とよく言っていた。

ロンドンの空は見飽きないのである。

 

もう一つ、イギリスに滞在したら注目は、朝の天気予報。

一日の中にすべての天気が入っているといわれているイギリス。

バルセロナの天気予報は、おおむね晴れマークでさっと終わるのだが(笑)

イギリスの天気予報は違う。

もう芝居仕立て。

どこからどう風が吹いて、いつ風向きが変わるのか、

どの時間帯から日が差してくるのか。

雨はどんな種類の雨なのか(雨の英語表現がたくさんある)。

キャスターが膝の上下運動や、両手の大きな動きによって、

全身でイギリスの一日の天気を教えてくれるのである。

 

そして、今日は一日中晴れます!という珍しい日には、

外からの中継も、お祭り騒ぎ。

「見てください!この空を!完全にすばらしい!

 今日は完ぺきな一日になりますよ!!」

と叫びまくるのである。喜びがあふれている。

 

パリ。

パリはいっつもグレーだ。それがパリの基本形。

ここのところ欧州一ひどいと言われている大気汚染のせいでもあるのか、

よく分からない。

空気が流れにくい土地のようで、もやもやーーっとしている。

住んでいるあたりには豊かな緑もないので、

目に入るのは、家々とグレーの空である。

 

どんよりとした空というのは実にテンションが下がるが、

パリのすごさは、このいけてないグレーの空と石造りの建物だけでもなお、

はっとする美しさを感じさせるところだ。

(路上の汚さはおいておいて・・・)

 

日本に住んでいたころ、お天気の悪い日に街中を歩いていて、

おお美しい!と感動するという経験はしたことがなかった。

 

パリの街並みを天気が悪くても美しいと感じるのは、

まさにそれこそ「芸術の力」なのだろう。

 

欝々とした空の下にたたずむ物憂げな彫刻、 

橋げたを支える女神、

連なるアパルトマンに陰影を与える繊細なアイアンの門やバルコニー。

美しいシルエットの堂々たる街燈。

 

お天気がなにか?

そんな感じ。

 

芸術が美術館に入っているのはなく、

街に息づいている。

 

どんよりした空すら、その芸術をより浮き立たせる

「効果的な背景」のようにすら思えてしまうのだからすごい。

 

パリの人が黒ばっかり着るのは、

この街の景観を邪魔しないためなのか?(とすら勘ぐる)

 

 

ただ、こういった天気の問題点は、

陽射しが少ないことによるビタミンD欠乏。

私を含め、お友達もよくお医者さんに指摘されている。

ビタミンは関係ないのかもしれないが、

ロンドンにしてもパリにしても暗い時間が長い秋冬は

とくに気分も滅入る・・・

 

そういえば、バルセロナの海には、

ドイツやイギリス、ロシアから来たであろう人たちが寝そべって焼いていたが、

あれは健康上必要なのだろう。

心と体が猛烈に陽射しを欲しているのだと思う。

 

陽射しの少ない街に来て共通の風物詩は、

太陽がばーっと出ると、

「今だ!」とばかりに誰もが芝生に寝転んで焼く光景である。

 お年寄りは公園のベンチに腰掛け、

若者はできるだけ肌を出して芝生に寝転んでいる。

 

日本人にとっての温泉と一緒だ!と私は思っている。

実際にしばらく太陽を浴びると、体内がほっと充電された感覚があるのだ。

そう、こちらの人たちはお湯ではなく、太陽に癒されているのである。

 

ママだって「私の心」が喜ぶ時間を持とう!それも計画的に。

こんにちは。

パリ在住3児の母、Tomokoです。

 

我が家の末っ子は2歳半。

週2回、現地の託児所に入れています。

 

これは上2人を幼稚園まで手元で育ててきた私にとって、

大きな決断でした。

 

仕事してないし、、、

子守りするのが専業主婦だし、、、

リフレッシュのために預けるなんてそんな、、、

 

私の心には、「しない理由」のオンパレードが。

どこか預ける場所を探すってことすらしませんでした。

 

パリに来て、いい託児所があるよ、と教えてもらってからも、

 

この子はそんなに手がかからないしな、、、

預けてまでしたいことがあるわけじゃないしな、、

 

ってまた「しない理由」を考えて、

自ら一人の時間を持つというチャンスを放棄していました。

 

でも。。。

コーチングの中で、

「急がない、けれど大切」である

「リフレッシュ時間」を持つ効用を教えてもらい、

手始めに、自分の一週間の行動(現状)を書き出してみたところ、

ものすごいショックを受けました。。。。

 

・洗濯機まわす

・朝ごはんづくり

・お弁当づくり

・こども見送り、末っ子と散歩

・洗濯物干す

・スーパーに買い物

・お昼ごはんづくり

・食べさせる

・後片付け

・二回目の洗濯機を回す

・こどもと遊ぶ

・アイロンがけ

・部屋の片づけ

・お迎え

・おやつの提供

・夕飯の支度

・宿題を見る

・習い事の練習につきあう

・夕飯の片づけ

・お風呂へ入るように促す

・歯磨きの仕上げ磨き

・絵本を読みながら一緒に寝ちゃう・・・

・そして遅くに起きて、シャワーを浴びて寝直す

 

ぎゃーーーー

私って完全なる「家政婦&ナニー」??

自分の喜ぶ時間ひとつもない。。。

しかも毎日一緒やん。ってこれ何年もやってきたけど。。。

 

 「自分の時間」とは、

ただ、空き時間にだらだらとフェイスブックを見る、とか

特に気乗りのしないお付き合いの集まりに参加するとかではなく、

 

計画的、意識的に入れる「本当に自分の心が喜ぶ時間」

 

だと私は認識しています。

 

だからその人次第。なんでもいいんです。

私の好きなことってなんだっけ?

一生懸命思い出しました。

 

・美術館や美しい建築を見るのが好き

・インテリア本を眺めるのが好き

・器を見たりコーディネートを妄想するのが好き

・お風呂にゆーっくりつかるのが好き

・教養番組が好き

・カフェで読書と人間ウォッチングが好き

・フランスの家庭料理習いたい

・劇場でバレエや演劇を見たい

・ジョギングしたい

 

出てきた出てきた。

私にも好きなこと、やりたいことあったんだ。

 

ちなみに、「家族と一緒」「こどもと一緒」はファミリータイム。

もやもやするママが持つべきものは、

私の心がよろこぶ「私時間」。

 

もし、幼い子がいて託児所に預けられなくても、

朝30分早起きして、朝からいい匂いの湯船につかっちゃうとか、

寝静まったあとに、お気に入りの映画を見るとか、

土曜日の午前中はパートナーに子どもを預ける日として、

デパートの企画展見てくるとか、ジョギングするとか

そんなのでよいんです。

 

「しなければならないこと」で追われていると、

もう心は機械と化して、人間らしい感性を失っていきます。

 

自分の心が喜ぶ「私時間」。

これを短くても、意識的に入れていくことで

自分の心が潤うのを感じます。

 

そして、できれば思い付きではなく、

計画的に時間をとること。

そうすれば、あそこであれができる!というある種の安心感が

そこに至るまでの時間も充実させてくれるのです。

 

話は戻って、そんなわけで

せっかくのチャンスを使わせてもらおう、と

週2回、託児所に入れることにしました。

 

午前中だけ預ける慣らし期間を経て(私が設定、心配性(笑))

今は週2回、9時-15時で行ってくれます。

 

彼は、家では昼寝なんてしないのに、

託児所では、着替えて、暗くして、お守りのぬいぐるみを持たされて、

各自のマットレスに強制的にお昼寝させられることにより、

今では愚図らずぐっずり寝ているらしいです。

 

この週2回の自由時間確保により、

私の気持ちもずいぶんメリハリが出てきたと思います。

 

たとえば、友人とのおしゃべりだって、

また今度!というあいまいなものでなく、

〇曜日か〇曜日だったらお茶できるよって

明確に言えるんです。

 

ちなみに、昨日は託児所デー。

友人と夢の(!)「子連れじゃない美術館巡り」を決行しました!

一度子連れで行って、大変な目にあったオランジュリーとオルセー。

再訪したかった私も、友人も、

今回はお目当ての見たい作品をゆっくり見れて、心潤って託児所へ。

 

胸に飛び込んできた末っ子は、

「ねんねんしたのー」と自慢げに報告。

「ママも楽しかったんだよ!ありがとうね」って言ったら

うれしそうにギューしてくれました。

 

夕方には、学校から帰宅した上2人から学校の話を聞きつつ、

私は私で、楽しんだ時間を報告。

インターネットで、絵画の画像を見せながら(笑)

 

「今日お母さんね、前見れなかったこの絵を見たんだよ。

 〇〇ちゃんのお母さんはね、これが好きなんだって。

 実物みたらきらきらしてすっごくきれいでね」

 

母親が楽しげだから、子どももへーって嬉しそうに聞いてくれました。

 

「この絵とこの絵を描いた人は一緒なの?」

 

とか質問までくれちゃったりして。

 

子どもの自立までの間に、

一緒に暮らせる貴重でいとおしい時間。

それをもっと単純に喜び、楽しめるように、

まず「あなた自身」を大切にしていきましょう。

 

機械にメンテナンスが必要なのと同じように、

ママにも心身のメンテナンスは必要なのですから。

もちろんパパだってね。

2度目のごあいさつ

随分ご無沙汰してしまいました。

ここのところ、大きな心境の変化があり、

仕切り直しのごあいさつです。

 

以前も書いたのですが、

このブログは、第一子出産とともに仕事を辞め、

専業主婦生活10年になる煮詰まり気味の私にとって、

ささやかな「私として生きる」ための一歩でした。

 

もちろん、単純に、

経験したことを共有したい!という気持ちからでもあります。 

 

フェイスブックでシェアしていただいたり、

応援するメッセージもいただきありがとうございます!

 

ところで、今回、何を仕切り直しするかというと、

書くにあたっての私の気持ちです(笑)

これからは、もう少し自分のことをさらけ出していこうかと。。

母として、女性として、煮詰まっていた心のこと、

そしてそこからどう脱却したのかという話です。

 

結婚生活の前半を日本、後半を欧州で暮らす機会に恵まれ、

3人の子どもにも恵まれ、

そもそも、なにを「もやもや」?なにを「いらいら」?

とお思いでしょうか。

 

必死にスペイン語を学び、

4歳児と0歳児を連れてバルセロナに着いたのは5年前。

その後、小学生と2歳児を連れて、地獄の妊婦引っ越し。

ロンドンにて出産。

テロ直後に、三児の母としてパリに引っ越しました。

 

いやはや。母親とは本当にハードワークですね。

特に授乳期の子どもがいると、もう起きた時点でへろへろ。

そこへ背後から幼稚園児が襲い掛かる、、そんな日常です。

そう。生活のルーティンはどんな街に住んでいようが、変わりません。

専業主婦ですから、まさに24時間子どもとともにある日々。

 

海外の場合、言葉の不自由さも知らず知らずストレスとなります。

また親兄弟などの身内が近くにいるわけでもありません。

(日本でも核家族でそういう状況は珍しくないと思います)

そして、どこにいてもよく働く日本人の夫たち!

ロンドン時代の夫は、月~金で出張、土日に帰宅という生活でした。

これって一緒に住んでる意味あるの?っていう。。。

第3子出産と、3児の育児スタートはそんな環境でのことでした。

 

前向きさがウリの私でも、引っ越し疲れとともに、

もう本当に気力体力の消耗が激しく、

時に異常にいらいらし、時にぷつんと何かが切れて、涙が出てきました。

そんな自分をあの手この手でいなす日々。

 

睡眠重視。

手抜き料理、手抜き家事。

八方美人に予定を詰め込まない。マイペース。

育児だけで凝り固まる脳みそがおそろしく、

授乳しながら、狂ったようにTEDを見ていた時期も。

さらに、断捨離してみたり、こんまりしてみたり。

最大の楽しみは、人と会うことが大好きなのでお友達を家に招くこと。

どれも、その日は楽しい。

 

でも、、、

いらいら&もやもやの根っこは全然消えず、

たまに帰宅する夫とは、ささいなことで口論がたえなかったのです。

それはそれは落ち込みました。

家の中の唯一のまともな会話相手、パートナーである夫と心が通わないなんて、、と。

 (当時の率直な気持ちです)

 

「いつか振り返れば、今この瞬間も幸せだと思うに違いない」

と何度遠い目をしたことでしょう。

 

でも、幸せってそうやって義務感で感じるものじゃないですよね。

どこに住んでる、何を持っている、じゃない。

いかに心が満たされて暮らしているかが重要なんだと

私はつくづく感じていました。

 

夫にいらいらしている自分も嫌。

そのいらいらを娘にぶつけている自分も嫌。

母とのコミュニケーションに振り回されている自分も嫌。

自分の一番大切な人たちにやさしくできない私って何だろう、と

今思えば、自己嫌悪をいっぱい抱えていたのです。

 

いらいらしないで、心から笑って暮らしたい。

 

そんな気持ちが頂点に達したとき、

ある人のサイトにビビッときて、コーチングを受けてみることに。

 

オーストラリア在住のフードコーチ、マーシャン祥子さん

HOLISTIC FOOD JOURNEY

 

そうして、自分と向き合ってみたら、

分かるわ分かるわ、自分のこと。

分かるわ分かるわ、夫のこと。

自分を苦しめていたものの正体※がわかり、

それを笑い飛ばしたとき、なにかがすーっととれていきました。

(※全部自分の心がつくっていたものでした)

 

長年、いかに自分を放ったらかしにしてきたかも分かりました。

自分ひとりで自由になる時間なんてほぼなかったんです。

そしてそんな時間をとることも「できない」し、

「してはいけない」と心の奥底で思っていました。

そんな時間を積み重ねると、自分が何者か?何が好きか?も思い出せなくなるのです。

 

そこそこ波乱万丈な自分の人生を振り返り、

自分の性質や、経験から学んだことを見ていったとき、

 

「私、がんばってきたな」

「私、そのまんまで価値があるんだ」

「私、そのまんまで愛されてたんだ」

 

自分で自分を受け入れられたとき、本当に力がみなぎりました。

「よき母」っていう大蛇のような呪縛があったんだな。

 

そこからの人生の気づきが気づきを呼び、

もう悟りの境地(笑)

まるで憑き物が取れたかのような最近の私です。

夫や子どもを変えたのではなく、自分が変わったんです。

視点を変えると、心がこんなに軽くなるのだと。

 

夫の発言にもいらいらしない!

そして、子どもへのいらいらもほぼなし!?うん。

なんだか大きな器になって、やたらいとおしい。

 

この経緯にまつわる話は、 

このごあいさつには内容書ききれないので、

おいおい書くとして。。 

 

以前、岸恵子さんが

実り多い人生にするために大切なこととして、

こんなことをおっしゃっていたそうです。

 

「心の窓を大きく開けて、外の新しい風をいれること。

 窓は自分で開けるしかない」 

 

このブログでは、ひきづつき、

国内外、通算14回に及ぶ引越し人生の中で培った人間観察力による(笑)

人間エッセイをどんどん書いていきますね。

 

さらに、私の10年間の育児奮闘記、

ここ5年間、バルセロナ・ロンドン・パリという欧州三都市で見てきた

日本とはまた違った「女性」や「夫婦」「家族」の姿も。

 

そして今回、

 

「〈よい母〉より〈しあわせな母〉になろう!」

 

と決意した私自身の心の変化、気づきを

皆さんにシェアしたいと思います。

 

そして、その中の何かが、女性、

とくに、いらいら&もやもやの気持ちを持ちながら

がんばっているニッポンのお母さんたちにとっての

「新しい風」になることを願っています。

 

これからもお付き合いくださいませ。

 

※カテゴリー分けを変更しました。

ご興味あるところから覗いてみてくださいね。 

はじめてのお産 4 出産直後に頭に浮かんできたこと

ついにやりきったぜ・・・

 

おなかに座らされるように置かれた赤ちゃんは、

火の玉のように猛烈に熱くて、

ずしーっと重く、

「いのちの重さ」そのもののようだった。

 

両手を広げて泣くその姿は、

今の今までおなかに入っていたとは思えないほど大きい。

 

私は達成感が勝り、泣いてはいなかったが、

夫は私の頭上で首からぶらさげた白いタオルで涙を何回もぬぐっていた。

実際、痛いのは私だったけれど、

痛がる人を何時間も何時間も見ていなければならない彼もさぞ大変だっただろう。

心なしか、いや、実際夕食食べそこなった夫は、

この一晩中の付き添いで、げっそり痩せたように見えた。

 

赤ちゃんが私の胸にやってきた。

あったかい。とにかくあったかい。

小さいけれど、中身がつまってるという感じで重たい。

無力かもしれないけど、「生命力」のかたまりだった。

 

過呼吸の影響で肺が痛かった。

傷の縫合もいろいろあって・・・・

だが、安堵感でいっぱいだった。

安堵感と、えらく澄んでクリアな頭がそこにあった。

 

出産前までは、赤ちゃんが生まれたら

「わーかわいい!」とか「わたしの子に会えた♪」

という若干きゃぴきゃぴした気持ちになるのかと思っていたのだが、

実際はそうではなかった。

 

はっきり感じたのは、

この子は私の「所有物」ではなく、私とは「別人格」であるということ。

彼女はもうこの世界に出てきて、一心同体ではなかった。

神様に育ててみなさいと授けられたんだな。

一つのいのちを預けられたことに「畏れ」のような気持ちが湧き上がる。

 

そして、しわしわの顔で眠るわが子をまじまじと見たとき。

私は、不謹慎にも、こんなことを考えた。

 

「この子はいつかまた、

 こんな風にしわしわのおばあちゃんになって人生を終えるんだな・・」

 

・・・・でも、そのとき私はもういない・・・・・・・

 

目に涙がたまって娘の顔がぼやける。

この子の人生の始まりにこうやっていることができる私は、

この子の人生の終わりにはこうやって横にはいられないんだ。 

 

涙が何回も耳のほうへ落ちていく。

 

だから私の使命は、

この子が一人でも幸せに楽しく生きていけるよう 

自立させてやることなんだ。

その日まで神様から預かっているんだな。

 

生命誕生の時に、その終わりを考えるなんて変かもしれない。

でもそんなことがふってきたのだった。

 

そして次の瞬間、

この子が生きていく世界がどうかどうか平和であるように祈った。

願ったんではなくて、祈った。

「祈り」という言葉の意味をはじめて分かった気がした。

 

他に浮かんだこと。

「私ってただの動物だったんだな」ってこと。

小難しいこと言ったって、お化粧して洋服着たって、中身は人間という動物。

生命誕生への小さな波、大きな波、すべてこの生身の身体で受け止めるしかない。

私の身体を通してしか生まれられない命。

私の身体でしか育たない命。

生き物の仲間になったシンプルな気持ちだった。

 

そして女性への敬意が溢れてくる。

どんな困難な時代、どんな場所でも産み続けてきた女性たちを

心の底から尊敬した。

 

「あ、戦争って男がするんだな」

 

そんなこともふってきた。 

太古の昔から命がけ産んできた女性たちが、

人が命がけで産んだいのちを奪うだろうか。

 

女性がもっと政治に関わったら、いい世界になるだろうなとか。

そんなことも考えた。

 

体は疲労困憊。毛細血管の先の先までぜんぶ開ききった。

肺も傷も痛い。力が入らない。虚脱感。

でも感覚はむきだしみたいで、頭はクリア。

不思議な感覚だった。

 

部屋をうつり、係りの人が食事を運んできてくれた。

それはそれは豪華なものだった。

左上隅に紅茶プリンが置いてあった。

すごく食べたい。スプーン。

でも腕が一ミリも上がらなかった。。。

 

しばらくして、食べれなかったですねーとお膳は片づけられた。

はじめてのお産 3 やる気スイッチ

いよいよ、分娩台にのり、その時を迎えたときに、

早朝出勤組の助産師さんがわさわさとやってきた。

 

さっきまで助産師さん一人いるかいないかだったのに、

若い方、ベテランそうな方含め、

そりゃもうわっさわさやってきて、笑顔で私を取り囲み、

 

「さあ!がんばろう!」

「大丈夫よーできるできる!」

「あとちょっとよー」

 

とか次々に声をかけられる。 

まっくらで孤独な夜を経て、大注目を浴びる朝。

耐えるのではなく、産むという行為に向える朝。

みなさんのテンション。それだけでもう産まれそうである。

 

はい。完全にやる気スイッチ入りました!!!(笑)

 

よっしゃー!赤ちゃん。あなたもがんばったねえ。

お母さんと一緒に力を合わせてあとちょっとがんばろうね!

 

アドレナリン効果でもう痛いとか全然思わなかった。

どうにか呼吸を合わせていきんでうまく出してあげたい。

それだけだった。

 

「そうそう上手上手」

「いいよいいよ」

 

これって魔法の言葉。

力がどんどん湧いてくる。

 

数回いきんだら、

おなかにベテランらしき助産師さんが乗っている気がした。

吸引しますと聞こえた気がした。

 

フギャー!!

 

グレーのような赤黒いような赤ちゃんが

大きく大きくめいっぱい手を広げて、

私のおなかの上にやってきた。 

はじめてのお産 2 がっちがちやぞー

痛みを呼吸でなんとか流そうとして、深く呼吸をしすぎた。

手がしびれ、呼吸が苦しい。

やばい、これは過呼吸だな。

 

夫にビニール袋をもらうように依頼。

母が昔なって救急車で運ばれたのを見ていたから、

どうすべきかよく知っていた。

自分の吐いた息を自分で吸って落ち着かせなければ。

この人生最大のイベントで、

過呼吸なんかにかまけているわけにはいかないのだ!

 

小刻みに震える手で、なんとかビニールをつかみ、口に当てる。

はああああああ。。。

多少落ち着いたのもつかの間、次は腰が砕けるような波がやってくる。

 

これからが本番というのに、

すでに全身が震えるほどがっちがちであった。

 

なんてこった。もっと上手く産むつもりだったのに。。。

 

ベッド上でどういう体勢をしたら楽なのか?なんてことは

まったく分からなかった。どっち向いても痛い。

どうしたらいいのかわからない。結果、寝っぱなし。

ど素人の夫と二人。

 

ああタイムスリップして教えてあげたい。

バランスボールに座ってみなって。

 

痛くなったら夫の腕とかもうどこかも忘れたが、

ギューーー!!とひねりあげていた気がする。

陣痛とはよくできていて、波と波の合間にしばし生き返ることができる。

でも、もう次の波が来るのが怖すぎた。。

 

こんな風にベッドにずーっと寝たまま痛みに耐えるシーンを見せたら、

私が第三子を産んだロンドンの助産師さんに叱られるだろう。

なにやってるの?寝ててお産が進むと思うの?

Gravity(重力)よ!Gravity!

そう言われそうである。

 

でもこの時の私には、座るとか、歩くとか、階段を登るとかそんな選択肢はなかった。

どうしたらいいのか分からないし、誰もいないし、痛いから動けないし、

という感じだった。

 

波の感覚が短くなり、いよいよという感じで、助産師さんが来た。

 

「うん、いいかんじよーいいよー」 

 

あったかい手で腰をゆっくり、でも強くしっかりさすってくれる。

 

うわわーーー 痛みがひくーーーーー癒されるーーーー

天国だった。

 

今まで夫がそばにいてくれた。さすってもくれた。

今言おう。そこじゃない!

 

なんという違いだろう。

なんという癒しだろう。

この人がずっと横にいてくれたらどんなに心強かっただろう。

安心して泣きたい気持ちになった。

 

夢にまで見た早朝になり、

私は「栄光の分娩室」に移動することになった。

痛みがひいている少しの間にいざ移動だ!

 

よっしゃやったるでー!

立ち上がって数歩歩くと、、、

 

ドッシャーン!!

 

と自分の体内から大量の水分が出た。

それはまるで、体内で水がたっぷり入ったバケツが一気にひっくり返った感じ。

 

破水(ハスイ)

 

そんな基本的な言葉もぶっ飛ぶくらいの衝撃。

な、、なに??何が起こったの?これって大丈夫ですか??

ワ、ワタシ、ダイジョブですか?

まさに腰が抜けそうになり「ああああああ」と声を出したら

それが相当まぬけだったらしく、夫が笑いをこらえている。

おのれー。

 

やっとの思いで分娩台にたどりついき、

寝そべった。

 

そして、助産師さんは言った。

 

「ここに足をあげてください」

 

「へ??」

 

テレビなんかでも見たことのある足を支える台が左右に見える。

でもなんて高く遠いんだ。

もうエベレストみたいに思えるのだ。

 

この状態であんな高いところに足を上げる??

もう泣きたい。

でももうちょっとで毎日語りかけてきた赤ちゃんに会えるんだ。

さあ、登るんだ!!あの足のせ台へ!!!