3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

ママだって「私の心」が喜ぶ時間を持とう!それも計画的に。

こんにちは。

パリ在住3児の母、Tomokoです。

 

我が家の末っ子は2歳半。

週2回、現地の託児所に入れています。

 

これは上2人を幼稚園まで手元で育ててきた私にとって、

大きな決断でした。

 

仕事してないし、、、

子守りするのが専業主婦だし、、、

リフレッシュのために預けるなんてそんな、、、

 

私の心には、「しない理由」のオンパレードが。

どこか預ける場所を探すってことすらしませんでした。

 

パリに来て、いい託児所があるよ、と教えてもらってからも、

 

この子はそんなに手がかからないしな、、、

預けてまでしたいことがあるわけじゃないしな、、

 

ってまた「しない理由」を考えて、

自ら一人の時間を持つというチャンスを放棄していました。

 

でも。。。

コーチングの中で、

「急がない、けれど大切」である

「リフレッシュ時間」を持つ効用を教えてもらい、

手始めに、自分の一週間の行動(現状)を書き出してみたところ、

ものすごいショックを受けました。。。。

 

・洗濯機まわす

・朝ごはんづくり

・お弁当づくり

・こども見送り、末っ子と散歩

・洗濯物干す

・スーパーに買い物

・お昼ごはんづくり

・食べさせる

・後片付け

・二回目の洗濯機を回す

・こどもと遊ぶ

・アイロンがけ

・部屋の片づけ

・お迎え

・おやつの提供

・夕飯の支度

・宿題を見る

・習い事の練習につきあう

・夕飯の片づけ

・お風呂へ入るように促す

・歯磨きの仕上げ磨き

・絵本を読みながら一緒に寝ちゃう・・・

・そして遅くに起きて、シャワーを浴びて寝直す

 

ぎゃーーーー

私って完全なる「家政婦&ナニー」??

自分の喜ぶ時間ひとつもない。。。

しかも毎日一緒やん。ってこれ何年もやってきたけど。。。

 

 「自分の時間」とは、

ただ、空き時間にだらだらとフェイスブックを見る、とか

特に気乗りのしないお付き合いの集まりに参加するとかではなく、

 

計画的、意識的に入れる「本当に自分の心が喜ぶ時間」

 

だと私は認識しています。

 

だからその人次第。なんでもいいんです。

私の好きなことってなんだっけ?

一生懸命思い出しました。

 

・美術館や美しい建築を見るのが好き

・インテリア本を眺めるのが好き

・器を見たりコーディネートを妄想するのが好き

・お風呂にゆーっくりつかるのが好き

・教養番組が好き

・カフェで読書と人間ウォッチングが好き

・フランスの家庭料理習いたい

・劇場でバレエや演劇を見たい

・ジョギングしたい

 

出てきた出てきた。

私にも好きなこと、やりたいことあったんだ。

 

ちなみに、「家族と一緒」「こどもと一緒」はファミリータイム。

もやもやするママが持つべきものは、

私の心がよろこぶ「私時間」。

 

もし、幼い子がいて託児所に預けられなくても、

朝30分早起きして、朝からいい匂いの湯船につかっちゃうとか、

寝静まったあとに、お気に入りの映画を見るとか、

土曜日の午前中はパートナーに子どもを預ける日として、

デパートの企画展見てくるとか、ジョギングするとか

そんなのでよいんです。

 

「しなければならないこと」で追われていると、

もう心は機械と化して、人間らしい感性を失っていきます。

 

自分の心が喜ぶ「私時間」。

これを短くても、意識的に入れていくことで

自分の心が潤うのを感じます。

 

そして、できれば思い付きではなく、

計画的に時間をとること。

そうすれば、あそこであれができる!というある種の安心感が

そこに至るまでの時間も充実させてくれるのです。

 

話は戻って、そんなわけで

せっかくのチャンスを使わせてもらおう、と

週2回、託児所に入れることにしました。

 

午前中だけ預ける慣らし期間を経て(私が設定、心配性(笑))

今は週2回、9時-15時で行ってくれます。

 

彼は、家では昼寝なんてしないのに、

託児所では、着替えて、暗くして、お守りのぬいぐるみを持たされて、

各自のマットレスに強制的にお昼寝させられることにより、

今では愚図らずぐっずり寝ているらしいです。

 

この週2回の自由時間確保により、

私の気持ちもずいぶんメリハリが出てきたと思います。

 

たとえば、友人とのおしゃべりだって、

また今度!というあいまいなものでなく、

〇曜日か〇曜日だったらお茶できるよって

明確に言えるんです。

 

ちなみに、昨日は託児所デー。

友人と夢の(!)「子連れじゃない美術館巡り」を決行しました!

一度子連れで行って、大変な目にあったオランジュリーとオルセー。

再訪したかった私も、友人も、

今回はお目当ての見たい作品をゆっくり見れて、心潤って託児所へ。

 

胸に飛び込んできた末っ子は、

「ねんねんしたのー」と自慢げに報告。

「ママも楽しかったんだよ!ありがとうね」って言ったら

うれしそうにギューしてくれました。

 

夕方には、学校から帰宅した上2人から学校の話を聞きつつ、

私は私で、楽しんだ時間を報告。

インターネットで、絵画の画像を見せながら(笑)

 

「今日お母さんね、前見れなかったこの絵を見たんだよ。

 〇〇ちゃんのお母さんはね、これが好きなんだって。

 実物みたらきらきらしてすっごくきれいでね」

 

母親が楽しげだから、子どももへーって嬉しそうに聞いてくれました。

 

「この絵とこの絵を描いた人は一緒なの?」

 

とか質問までくれちゃったりして。

 

子どもの自立までの間に、

一緒に暮らせる貴重でいとおしい時間。

それをもっと単純に喜び、楽しめるように、

まず「あなた自身」を大切にしていきましょう。

 

機械にメンテナンスが必要なのと同じように、

ママにも心身のメンテナンスは必要なのですから。

もちろんパパだってね。

2度目のごあいさつ

随分ご無沙汰してしまいました。

ここのところ、大きな心境の変化があり、

仕切り直しのごあいさつです。

 

以前も書いたのですが、

このブログは、第一子出産とともに仕事を辞め、

専業主婦生活10年になる煮詰まり気味の私にとって、

ささやかな「私として生きる」ための一歩でした。

 

もちろん、単純に、

経験したことを共有したい!という気持ちからでもあります。 

 

フェイスブックでシェアしていただいたり、

応援するメッセージもいただきありがとうございます!

 

ところで、今回、何を仕切り直しするかというと、

書くにあたっての私の気持ちです(笑)

これからは、もう少し自分のことをさらけ出していこうかと。。

母として、女性として、煮詰まっていた心のこと、

そしてそこからどう脱却したのかという話です。

 

結婚生活の前半を日本、後半を欧州で暮らす機会に恵まれ、

3人の子どもにも恵まれ、

そもそも、なにを「もやもや」?なにを「いらいら」?

とお思いでしょうか。

 

必死にスペイン語を学び、

4歳児と0歳児を連れてバルセロナに着いたのは5年前。

その後、小学生と2歳児を連れて、地獄の妊婦引っ越し。

ロンドンにて出産。

テロ直後に、三児の母としてパリに引っ越しました。

 

いやはや。母親とは本当にハードワークですね。

特に授乳期の子どもがいると、もう起きた時点でへろへろ。

そこへ背後から幼稚園児が襲い掛かる、、そんな日常です。

そう。生活のルーティンはどんな街に住んでいようが、変わりません。

専業主婦ですから、まさに24時間子どもとともにある日々。

 

海外の場合、言葉の不自由さも知らず知らずストレスとなります。

また親兄弟などの身内が近くにいるわけでもありません。

(日本でも核家族でそういう状況は珍しくないと思います)

そして、どこにいてもよく働く日本人の夫たち!

ロンドン時代の夫は、月~金で出張、土日に帰宅という生活でした。

これって一緒に住んでる意味あるの?っていう。。。

第3子出産と、3児の育児スタートはそんな環境でのことでした。

 

前向きさがウリの私でも、引っ越し疲れとともに、

もう本当に気力体力の消耗が激しく、

時に異常にいらいらし、時にぷつんと何かが切れて、涙が出てきました。

そんな自分をあの手この手でいなす日々。

 

睡眠重視。

手抜き料理、手抜き家事。

八方美人に予定を詰め込まない。マイペース。

育児だけで凝り固まる脳みそがおそろしく、

授乳しながら、狂ったようにTEDを見ていた時期も。

さらに、断捨離してみたり、こんまりしてみたり。

最大の楽しみは、人と会うことが大好きなのでお友達を家に招くこと。

どれも、その日は楽しい。

 

でも、、、

いらいら&もやもやの根っこは全然消えず、

たまに帰宅する夫とは、ささいなことで口論がたえなかったのです。

それはそれは落ち込みました。

家の中の唯一のまともな会話相手、パートナーである夫と心が通わないなんて、、と。

 (当時の率直な気持ちです)

 

「いつか振り返れば、今この瞬間も幸せだと思うに違いない」

と何度遠い目をしたことでしょう。

 

でも、幸せってそうやって義務感で感じるものじゃないですよね。

どこに住んでる、何を持っている、じゃない。

いかに心が満たされて暮らしているかが重要なんだと

私はつくづく感じていました。

 

夫にいらいらしている自分も嫌。

そのいらいらを娘にぶつけている自分も嫌。

母とのコミュニケーションに振り回されている自分も嫌。

自分の一番大切な人たちにやさしくできない私って何だろう、と

今思えば、自己嫌悪をいっぱい抱えていたのです。

 

いらいらしないで、心から笑って暮らしたい。

 

そんな気持ちが頂点に達したとき、

ある人のサイトにビビッときて、コーチングを受けてみることに。

 

オーストラリア在住のフードコーチ、マーシャン祥子さん

HOLISTIC FOOD JOURNEY

 

そうして、自分と向き合ってみたら、

分かるわ分かるわ、自分のこと。

分かるわ分かるわ、夫のこと。

自分を苦しめていたものの正体※がわかり、

それを笑い飛ばしたとき、なにかがすーっととれていきました。

(※全部自分の心がつくっていたものでした)

 

長年、いかに自分を放ったらかしにしてきたかも分かりました。

自分ひとりで自由になる時間なんてほぼなかったんです。

そしてそんな時間をとることも「できない」し、

「してはいけない」と心の奥底で思っていました。

そんな時間を積み重ねると、自分が何者か?何が好きか?も思い出せなくなるのです。

 

そこそこ波乱万丈な自分の人生を振り返り、

自分の性質や、経験から学んだことを見ていったとき、

 

「私、がんばってきたな」

「私、そのまんまで価値があるんだ」

「私、そのまんまで愛されてたんだ」

 

自分で自分を受け入れられたとき、本当に力がみなぎりました。

「よき母」っていう大蛇のような呪縛があったんだな。

 

そこからの人生の気づきが気づきを呼び、

もう悟りの境地(笑)

まるで憑き物が取れたかのような最近の私です。

夫や子どもを変えたのではなく、自分が変わったんです。

視点を変えると、心がこんなに軽くなるのだと。

 

夫の発言にもいらいらしない!

そして、子どもへのいらいらもほぼなし!?うん。

なんだか大きな器になって、やたらいとおしい。

 

この経緯にまつわる話は、 

このごあいさつには内容書ききれないので、

おいおい書くとして。。 

 

以前、岸恵子さんが

実り多い人生にするために大切なこととして、

こんなことをおっしゃっていたそうです。

 

「心の窓を大きく開けて、外の新しい風をいれること。

 窓は自分で開けるしかない」 

 

このブログでは、ひきづつき、

国内外、通算14回に及ぶ引越し人生の中で培った人間観察力による(笑)

人間エッセイをどんどん書いていきますね。

 

さらに、私の10年間の育児奮闘記、

ここ5年間、バルセロナ・ロンドン・パリという欧州三都市で見てきた

日本とはまた違った「女性」や「夫婦」「家族」の姿も。

 

そして今回、

 

「〈よい母〉より〈しあわせな母〉になろう!」

 

と決意した私自身の心の変化、気づきを

皆さんにシェアしたいと思います。

 

そして、その中の何かが、女性、

とくに、いらいら&もやもやの気持ちを持ちながら

がんばっているニッポンのお母さんたちにとっての

「新しい風」になることを願っています。

 

これからもお付き合いくださいませ。

 

※カテゴリー分けを変更しました。

ご興味あるところから覗いてみてくださいね。 

はじめてのお産 4 出産直後に頭に浮かんできたこと

ついにやりきったぜ・・・

 

おなかに座らされるように置かれた赤ちゃんは、

火の玉のように猛烈に熱くて、

ずしーっと重く、

「いのちの重さ」そのもののようだった。

 

両手を広げて泣くその姿は、

今の今までおなかに入っていたとは思えないほど大きい。

 

私は達成感が勝り、泣いてはいなかったが、

夫は私の頭上で首からぶらさげた白いタオルで涙を何回もぬぐっていた。

実際、痛いのは私だったけれど、

痛がる人を何時間も何時間も見ていなければならない彼もさぞ大変だっただろう。

心なしか、いや、実際夕食食べそこなった夫は、

この一晩中の付き添いで、げっそり痩せたように見えた。

 

赤ちゃんが私の胸にやってきた。

あったかい。とにかくあったかい。

小さいけれど、中身がつまってるという感じで重たい。

無力かもしれないけど、「生命力」のかたまりだった。

 

過呼吸の影響で肺が痛かった。

傷の縫合もいろいろあって・・・・

だが、安堵感でいっぱいだった。

安堵感と、えらく澄んでクリアな頭がそこにあった。

 

出産前までは、赤ちゃんが生まれたら

「わーかわいい!」とか「わたしの子に会えた♪」

という若干きゃぴきゃぴした気持ちになるのかと思っていたのだが、

実際はそうではなかった。

 

はっきり感じたのは、

この子は私の「所有物」ではなく、私とは「別人格」であるということ。

彼女はもうこの世界に出てきて、一心同体ではなかった。

神様に育ててみなさいと授けられたんだな。

一つのいのちを預けられたことに「畏れ」のような気持ちが湧き上がる。

 

そして、しわしわの顔で眠るわが子をまじまじと見たとき。

私は、不謹慎にも、こんなことを考えた。

 

「この子はいつかまた、

 こんな風にしわしわのおばあちゃんになって人生を終えるんだな・・」

 

・・・・でも、そのとき私はもういない・・・・・・・

 

目に涙がたまって娘の顔がぼやける。

この子の人生の始まりにこうやっていることができる私は、

この子の人生の終わりにはこうやって横にはいられないんだ。 

 

涙が何回も耳のほうへ落ちていく。

 

だから私の使命は、

この子が一人でも幸せに楽しく生きていけるよう 

自立させてやることなんだ。

その日まで神様から預かっているんだな。

 

生命誕生の時に、その終わりを考えるなんて変かもしれない。

でもそんなことがふってきたのだった。

 

そして次の瞬間、

この子が生きていく世界がどうかどうか平和であるように祈った。

願ったんではなくて、祈った。

「祈り」という言葉の意味をはじめて分かった気がした。

 

他に浮かんだこと。

「私ってただの動物だったんだな」ってこと。

小難しいこと言ったって、お化粧して洋服着たって、中身は人間という動物。

生命誕生への小さな波、大きな波、すべてこの生身の身体で受け止めるしかない。

私の身体を通してしか生まれられない命。

私の身体でしか育たない命。

生き物の仲間になったシンプルな気持ちだった。

 

そして女性への敬意が溢れてくる。

どんな困難な時代、どんな場所でも産み続けてきた女性たちを

心の底から尊敬した。

 

「あ、戦争って男がするんだな」

 

そんなこともふってきた。 

太古の昔から命がけ産んできた女性たちが、

人が命がけで産んだいのちを奪うだろうか。

 

女性がもっと政治に関わったら、いい世界になるだろうなとか。

そんなことも考えた。

 

体は疲労困憊。毛細血管の先の先までぜんぶ開ききった。

肺も傷も痛い。力が入らない。虚脱感。

でも感覚はむきだしみたいで、頭はクリア。

不思議な感覚だった。

 

部屋をうつり、係りの人が食事を運んできてくれた。

それはそれは豪華なものだった。

左上隅に紅茶プリンが置いてあった。

すごく食べたい。スプーン。

でも腕が一ミリも上がらなかった。。。

 

しばらくして、食べれなかったですねーとお膳は片づけられた。

はじめてのお産 3 やる気スイッチ

いよいよ、分娩台にのり、その時を迎えたときに、

早朝出勤組の助産師さんがわさわさとやってきた。

 

さっきまで助産師さん一人いるかいないかだったのに、

若い方、ベテランそうな方含め、

そりゃもうわっさわさやってきて、笑顔で私を取り囲み、

 

「さあ!がんばろう!」

「大丈夫よーできるできる!」

「あとちょっとよー」

 

とか次々に声をかけられる。 

まっくらで孤独な夜を経て、大注目を浴びる朝。

耐えるのではなく、産むという行為に向える朝。

みなさんのテンション。それだけでもう産まれそうである。

 

はい。完全にやる気スイッチ入りました!!!(笑)

 

よっしゃー!赤ちゃん。あなたもがんばったねえ。

お母さんと一緒に力を合わせてあとちょっとがんばろうね!

 

アドレナリン効果でもう痛いとか全然思わなかった。

どうにか呼吸を合わせていきんでうまく出してあげたい。

それだけだった。

 

「そうそう上手上手」

「いいよいいよ」

 

これって魔法の言葉。

力がどんどん湧いてくる。

 

数回いきんだら、

おなかにベテランらしき助産師さんが乗っている気がした。

吸引しますと聞こえた気がした。

 

フギャー!!

 

グレーのような赤黒いような赤ちゃんが

大きく大きくめいっぱい手を広げて、

私のおなかの上にやってきた。 

はじめてのお産 2 がっちがちやぞー

痛みを呼吸でなんとか流そうとして、深く呼吸をしすぎた。

手がしびれ、呼吸が苦しい。

やばい、これは過呼吸だな。

 

夫にビニール袋をもらうように依頼。

母が昔なって救急車で運ばれたのを見ていたから、

どうすべきかよく知っていた。

自分の吐いた息を自分で吸って落ち着かせなければ。

この人生最大のイベントで、

過呼吸なんかにかまけているわけにはいかないのだ!

 

小刻みに震える手で、なんとかビニールをつかみ、口に当てる。

はああああああ。。。

多少落ち着いたのもつかの間、次は腰が砕けるような波がやってくる。

 

これからが本番というのに、

すでに全身が震えるほどがっちがちであった。

 

なんてこった。もっと上手く産むつもりだったのに。。。

 

ベッド上でどういう体勢をしたら楽なのか?なんてことは

まったく分からなかった。どっち向いても痛い。

どうしたらいいのかわからない。結果、寝っぱなし。

ど素人の夫と二人。

 

ああタイムスリップして教えてあげたい。

バランスボールに座ってみなって。

 

痛くなったら夫の腕とかもうどこかも忘れたが、

ギューーー!!とひねりあげていた気がする。

陣痛とはよくできていて、波と波の合間にしばし生き返ることができる。

でも、もう次の波が来るのが怖すぎた。。

 

こんな風にベッドにずーっと寝たまま痛みに耐えるシーンを見せたら、

私が第三子を産んだロンドンの助産師さんに叱られるだろう。

なにやってるの?寝ててお産が進むと思うの?

Gravity(重力)よ!Gravity!

そう言われそうである。

 

でもこの時の私には、座るとか、歩くとか、階段を登るとかそんな選択肢はなかった。

どうしたらいいのか分からないし、誰もいないし、痛いから動けないし、

という感じだった。

 

波の感覚が短くなり、いよいよという感じで、助産師さんが来た。

 

「うん、いいかんじよーいいよー」 

 

あったかい手で腰をゆっくり、でも強くしっかりさすってくれる。

 

うわわーーー 痛みがひくーーーーー癒されるーーーー

天国だった。

 

今まで夫がそばにいてくれた。さすってもくれた。

今言おう。そこじゃない!

 

なんという違いだろう。

なんという癒しだろう。

この人がずっと横にいてくれたらどんなに心強かっただろう。

安心して泣きたい気持ちになった。

 

夢にまで見た早朝になり、

私は「栄光の分娩室」に移動することになった。

痛みがひいている少しの間にいざ移動だ!

 

よっしゃやったるでー!

立ち上がって数歩歩くと、、、

 

ドッシャーン!!

 

と自分の体内から大量の水分が出た。

それはまるで、体内で水がたっぷり入ったバケツが一気にひっくり返った感じ。

 

破水(ハスイ)

 

そんな基本的な言葉もぶっ飛ぶくらいの衝撃。

な、、なに??何が起こったの?これって大丈夫ですか??

ワ、ワタシ、ダイジョブですか?

まさに腰が抜けそうになり「ああああああ」と声を出したら

それが相当まぬけだったらしく、夫が笑いをこらえている。

おのれー。

 

やっとの思いで分娩台にたどりついき、

寝そべった。

 

そして、助産師さんは言った。

 

「ここに足をあげてください」

 

「へ??」

 

テレビなんかでも見たことのある足を支える台が左右に見える。

でもなんて高く遠いんだ。

もうエベレストみたいに思えるのだ。

 

この状態であんな高いところに足を上げる??

もう泣きたい。

でももうちょっとで毎日語りかけてきた赤ちゃんに会えるんだ。

さあ、登るんだ!!あの足のせ台へ!!!  

はじめてのお産 1 はじまり

10年前の第一子出産。

無痛分娩推奨病院での、自然分娩当日がやってきた。

 

たしか夜9時半すぎに、恥骨上部にぐりぐりくる違和感。

待ってましたとばかりに時間を計ると

うん。めっちゃ規則的。

 

おおおお!!!ついに来るべき時がきたか!!

よっしゃやったるでー!

テンション上がる私(笑)

これから産んできまーす!と食卓でピースサインしている写真も残っている。

若いってすごい。。。

 

こわいと思っていた感情はもうどこかに行っていた。

会社の先輩が貸してくださった本に影響されて、

呼吸をしっかりやって、自分の産む力を信じて産んでみよう。

太古の昔から女性は産んできたのだ。できるできる!

と自分を暗示にかけて、いい調子でこの日を迎えていた。

 

病院に連絡し、夫の車で乗りつけた。

夫もなにやら興奮気味である。

 

おなかの収縮を見たり、

内診を受けたり、

どきどきしつつ、でも冷静で。

静かなる闘志を胸に秘めて。

 

と、この辺で記憶はとんでいる。

 

次思い出すのは、

暗ーいベッドで夫と二人、痛みと闘う図。

そう、まさに闘っていた。

 

どーんと痛みを受け入れ、ふーっと吐きながら受け流すつもりだったのに、

どう大きな心でいても、痛いもんは痛い。

痛みの波と波の間は、次来る痛みを迎える恐怖で体が硬直していた。

首も肩も腕も力を入れすぎてがっちがちであった。

 

以前も書いたが、お世話になった病院は無痛推奨病院。

月ー金が麻酔科医のいる無痛分娩希望者の日。

私が駆け込んだのは、土曜日。

だから言ってみれば営業時間外に来てしまったような感じ。

もちろん、お医者さん、助産師さんいらっしゃいました。

でも手薄だったのかな、、、

 

助産師さんが背中をさすってくれるとか、

歩くように勧めてくれるとかそういうことはなくて、

「痛くなったら呼んでください」とだけ言われて置いてきぼり。。。

ちょ、ちょ、ちょ。

痛くなったらって、もう結構痛いけどどれくらい痛くなったら?

そんな間抜けな質問をすることもできなかった。

 

最終的に出産することになる分娩台のある分娩室の横に、

小さな、その名も「陣痛室」がある。いわば待機場所。

助産師さんからOKでなければ、「栄光の分娩室」へは移動できない。

 

私は陣痛室の硬いベッドに横になったまま、

夫と二人きり。

 

すると、もう一組のカップルがカーテン挟んだ隣に入ってきた。

おお!一緒にがんばる人が来てくれた!と本当に心強く思った。

孤独から解放される!一緒にがんばりましょうね!そんな気分。

 

ところがどうだろう。

しばらくして赤ちゃんの心音がどうのこうので、

帝王切開になることが決まったらしく、さーっといなくなったかと思うと、

次の瞬間、

 

おめでとうございますー♪♪

 

と明るい声が響き渡った。

 

えっ!!もう生まれちゃったの?

がびーーん、、、、お、おめでとうございます、、(涙)

 

帝王切開だって大変な出産だ。術後の痛みも不自由さもある。

でも、あの時、どうにもこうにも痛くて先の見えなかった私には、

もうゴールを迎えたその女性はまぶしかった。

私も切ってくれー!そう叫びたい気持ちだった。

 

はあああああ、、、私も早くそこにたどり着きたい!!

そうだ、大体こどもって早朝生まれるよな。

きっと私も早朝なんだろう。

 

今なんじ??

 

これ何回聞いただろう。

でもこういうとき時計の針は全然進まないのだ。

バルセロナで食べた高級梅干しが教えてくれたこと

バルセロナで暮らして2回目の夏に、

夫の職場に日本からの出張者が来て、

日本土産だと美味しそうな梅干をくださった。

 

たまーに来る出張者からのお土産は

ときにお茶漬け、ときにラーメン、ときに日本のお菓子。

日本のものが恋しいわれらとしては、どれもとても有り難かった。

特にこどものテンションの上がり方が半端ないのだ。

大体その日のうちに食べてしまう。

 

今回は梅干し。

一粒一粒上品に並んで、とてもよいもののようだった。

 

夫から受け取って、

大事に食べないとなあと冷蔵庫にしまおうとして、

「おいしそうだなあ・・」と梅干を見つめた私。

うん、ちょっと味見してみよっと一粒取り出し、梅干を指で挟んだ。

皮が薄く、やわらかい。

ほいっと口に入れた。

 

・・・うわわわああ・・・・・

 

キッチンの冷蔵庫の前で、タイルに裸足で仁王立ちの私は目を閉じていた。

目を閉じて味わいたい味だった。

ほんのりすっぱくて、遠くから甘みがやってくる。

だんだん甘みがせまってくる。

それだけじゃない繊細で慈悲深い味もやってくる。

なんて深い味わいなんだ。

 

はあ・・・お・い・し・い・・・・

 

日本てすごいもんつくるな。

これ率直な感想。

 

梅干し一粒を味わいながら、

全身がリラックスしていくのを感じる。

 

そして味わいの中に歴史を感じる。

この味にいきつくまで、もしくはこの味を守るため

生産者さんや職人さんたちが努力されたのだろうなとか思うわけである。

こんなにシンプルな原材料でこの味わい。

 

バルセロナの冷蔵庫の前で私は

日本の真に美味しいものの底力を感じまくっていた。

 

たくみお姉さんの歌といい、この梅干しといい、

海外で生活していると、日本への感覚が妙に研ぎ澄まされる部分がある気がする。

 日本の変なところも見えるし、日本の良さもめっちゃ分かるのです。

たくみお姉さんの歌が教えてくれたこと

バルセロナに渡航して1年くらい経って、

ふと「おかあさんといっしょ」のCDをつけた。

 

そして聞こえてきた、たくみお姉さんの歌声。

 

♪やさしいこえが さあおいで~♪♪

 

な、なんだろう、この繊細で可憐な音は。

日本で長女を育ててるときに何度も聞いたはずなのに、

全く違うもののようだった。

 

それではっとした。

渡航して一年。家でも外でもスペイン語漬け。

そのせいで「私の耳」が一瞬、たくみお姉さんの歌声を

初めて聞く外国語のようにとらえたのだった。

 

それはまるで日本語を初めて聞いたスペイン人状態??

 

「さ」とか「く」とか「ち」とか、いちいち繊細できれいな音だ。

「ささのはさーらさらー♪」とか言われた日には、もう卒倒しそうである。

 

スペイン語は基本、結構ベターっと発音するし、巻き舌もある。

その濃い発音に慣れた後に聞くと、お茶漬けのようにさらさらしている日本語。

 

へー、そうだったのか。

抑揚がないといわれる日本語だけど、

日本語の響きの美しさってこのことだったんだあ。

 

たしか、アナ雪主題歌の多言語バージョンで

松たか子さんの日本パートが人気だった理由も

日本語の響きだったよなあ。

 

たまには日本語の響きを味わって話してみよっと。

スペイン語の太陽みたいな明るい音も

フランス語のもしょもしょするエレガントな響きも、

英語の滑らかな音も、それぞれに素敵だけども。

日本語はそのどれとも違う繊細な可憐な音だ。

 

日本語が外国語に聞こえたのは、

あとにも先にもその日だけ起きた不思議な体験だった。

 

外に出ると分かる日本のことって色々ある。