3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

通勤地獄@日本

妊娠の経過は人それぞれ、とはいえ、

首都圏のあの満員電車通勤というのは、

健康な大人でも辛いのだから、

まして妊婦や、

その他心身の病気を抱えた人には本当に酷な場所だなと思う。

 

第一子妊娠中にはまだ仕事をしていて、

私は田園都市線を端から端まで乗るような通勤をしていた。

 

この田園都市線というのは、住宅街を通っていて、

出発してから、駅に停車するたびに、

どんどん乗り込んでくるものの、

降りる人が一向にいないのが特徴だった。

渋谷まで来て、初めてごそっと降りるのだ。

 

だから、途中で、お、苦しい状況かも、と思っても、

次の駅で楽になるなどと期待してはいけない。

渋谷に着くまで、混雑は激しさを増すばかりだった。

 

妊娠初期は傍目からは分からない。

たとえ気分がすぐれなかったり、

お腹に鈍痛を感じても、

駅のホームに整然と並んで、我先にと殺気立って乗ってきた人々、

座れた安堵感で、寝たり携帯を凝視する人々に

あの、、座らせてくださいとは相当の勇気がないと言えない。

かと言って降りても、次もまた満員電車が来るだけである。

 

9年前にもマタニティマークがあって、一応ぶら下げてみたが、

そのマークを見せてはいけないような気も同時にしていた。

席をゆずれと強制しているようで。。

 

でも身体がしんどいときは、座りたいと切に思った。

それはお腹の赤ちゃんに何かあったら、、と気にかかる

芽生えだした母性らしき気持ちゆえでもあった。

 

そこで、帰りはルートを変え、

新宿始発の小田急線を二本見送って、確実に座るようにしていた。

結局私は、座れた時に、妊婦なので座らせてもらっていますとばかりに

マタニティマークをさりげなくアピールしていた気がする・・

 

ちなみに父親にマタニティマークを見せたところ、

「これなに?何のマーク?」

と聞かれたくらいなので、

実際は見えるようになっていても

特に中高年の男性に意味が分かる人は少なかったかもしれない。

 

実際にお腹が随分目立ってきて、さっと席を譲ってくれるのは、

若いパパと思われるような人たちであった。

奥さんの経験があって、気にかけてくれるのだろうなと思うとうれしかった。

もしくは、自分の母親くらいの女性も

「さあ座って」と有無を言わさず呼んでくれたりして身に染みる。

若い女性と中高年の男性からは譲られたことがなかったかも・・・ 

 

 

話は戻って。

心臓が圧迫されるほど の朝の混み具合で、

いかに腹部を守るかは命がけであった。

時に誰かの通勤バッグの角がお腹ぐりぐりあたる。

そういう時は遠慮なしに、混雑にまぎれて、

そのかばんを押したり、自分の身を反転させるなどした。

基本的には座っている人の前に立つようにしていたと思う。

お腹のスペースが少しでも確保されるように。

それでも究極的に押されると、

前に座っている人の頭上に両手が行き、窓を支えに立つという

なんとも言えない体勢になる。。

足を広げ仁王立ちし、かばんも持ちながら、

支えを探して、つり革や壁や時に窓に手をやり、

かつお腹もガードし、全身の力を入れたまま、

何十分と乗っているのは本当に疲弊した。

よく長女もお腹でがんばったと思う。

  

欧州に住んで、妊婦も経験したが、

バルセロナのバスでも、

ロンドンのメトロでも、

タトゥーしたいかつい兄ちゃんが何も言わず、

席を立って目で合図してくれたり、

おじいさんが譲ってくれたり、

年齢や性別によらず、よく気付いて行動してくれることに驚いた。

ちなみに、いずれも日本ほどの混雑ではない。

 

人口密度、 交通事情が他の都市とは違う東京。

本当は他人を思いやれる、親切な日本人も、

この特異な環境では周りの様子を見たり、

やさしさを出す余裕がないということだろうか。

 

昔、

「私だって疲れてるのに、どうして妊婦だからって譲らないといけないのか」

という話をしてくれた人もいる。

 

うん、、やはり皆相当に疲れてるんだな。

 

でも、きっと自分より大変な人はいる。

妊婦だけじゃない。

お年寄り、幼子連れ、通学児童、けがをしている人、

その他安全の意味でも、座る場所を必要とする人たち。

 

見て分かることがあれば臆せず声をかけたり、

もしくは、本人から

「すみません、調子が悪いので座らせてもらえませんか」

と申し出があった場合に、

できる人が気持ちよく応えてあげられる社会になるといいなと思う。

 

「どうぞ」「ありがとう」

目と目でにこっとし合えるって、お互いに元気をもらえる。

 

今日も満員電車で通勤している妊婦さん。

さぞお疲れのことでしょう。

どうか身体の声をよく聞いて大切に。

いざというときは声に出して助けを求めてくださいね。

無痛分娩か自然分娩か@日本

9年前の1人目の出産は、

当時住んでいた家から最寄りの産院だった。

それがたまたま、日本では珍しく無痛分娩を薦める産院で、

無痛で産みたい妊婦さんが遠くからもやってきているようだった。

 

この産院の看板には、

各種分娩方法取り扱いと書いてあり、

無痛分娩も自然分娩もどちらを選ぶのも本人の自由、ということだった。

 

そして、いざ出産方法の決定日。

診察は院長先生だった。

 

「で、出産方法は?」

 

と聞かれ、

 

「自然分娩してみたいと思っています」

 

と答えたところ、

彼は私の目も見ずに言った。

 

「君は、歯医者で歯を抜くときも麻酔しないんですかあ?

 よく考えた方がいいよ」

 

えええ??出産と抜歯が一緒??

妊婦決死の覚悟に対し、

衝撃のツッコミをもらい、おそってくる不快感と嫌悪感。

しばし呆然としたことを覚えている。

 

きっと、無痛を売りにした産院なのに、

それを選ばない私にちくりと言いたかったのだろう。

でも「選択自由」と謳っているのは確かなのだ。

 

いざ一人目の出産に挑み、

陣痛がますます耐えがたく辛くなってくるとき、

ああなぜ無痛にしなかったのか?と一瞬よぎるのだが(笑)

 

私が無痛を選ばなかったのは、

無痛にすることの抵抗感とか、

やはりお腹痛めてこそ、という価値観からでもない。

 

単に、

赤ちゃんが出てきたいと思った時に、出てきてほしいな

と思ったからだった。

 

というのも、

無痛分娩に欠かせない麻酔科医が

24時間365日体制で待機している産院は

日本にはそうそうなく、

産気づいてから無痛分娩を行う体制ができていないのだ。

 

ちなみに、

欧米では、その医療体制により、

産院がある程度の規模の病院に集約され、

麻酔科医が常駐している。

そのため、自然に産気づいて産院に駆け込んでからでも

無痛を選択するというスタイルが可能となる。 

(副院長先生の両親学級でのお話しより)

 

でも、日本では、一部をのぞき、そのような体制がとれない。

ちなみに、この産院では、

麻酔科医の常駐日が月~金。

お産が長引く可能性を考慮し、月~木曜日が出産予定日とされた。

 

つまり、お産が誘発されやすいように子宮口にバルーンを装着したり、

陣痛促進剤を打つ日が事前に計画され、

当日か翌日には無痛で出産できるというわけである。

(計画無痛分娩と呼ばれる)

 

この方法だと、出産予定日が分かるので、

ご主人も休みをとって付き添いしやすかったり、 

無痛もうまくいけば本当に楽だったと聞くので

病気を抱えていたり、体力のない人なども

産後の体力が温存されるなどよさがあると思う。

 

赤ちゃんが出てきたいとき、つまり産気づいた時に、

無痛分娩を選択できるというなら、それを選んでいたかも?しれないなあ。

 

というわけで、

私の無痛分娩推奨産院での自然分娩が決定した。

とにかく素敵なイギリス婦人のおうちのこと

ロンドンでの家探しで、

イギリス人がいかに絨毯好きかが分かった。

(しかもwall to wallの敷き込み!)

 

見れば、絨毯専用掃除機も普及していて。

そういえば、掃除機のダイソンは

アメリカブランドだと思っていたらイギリス発だそうで。

絨毯王国→→→ダイソンってすごく納得。

 

とはいえ、我が家が借りたお家の階段の絨毯は、

よく歩く真ん中だけ汚れて違う色になっているし、

角の部分が浮いてぼこぼこしていたり、

どうもぱっとしない。

こんなになるくらいなら、すっきり木でいいんじゃ・・・ 

 

 

そんなある日、

お友達に誘われて、

娘がイギリス人のおばあちゃまに英語を習うことになった。

 

私は、娘の小学校が終わると、小さな弟二人も連れて、

お世話になるご挨拶だけしようとお宅に伺った。

 

そして、

彼女が戸を開けてくれた瞬間、

私はすっかりそのお家に魅了されてしまった。

 

小さな玄関には、

深く濃い緑色のつやのある絨毯が敷き詰めらていて、

それは家の奥までつながっている。

 

そして、年季が入って飴色になった、

大げさすぎないこじんまりした家具や、

壁にかかった額縁がちらっと見える。

 

どう見ても居心地のよさそうな空気。

とにかくその深緑の絨毯が私を呼んでいる~

 

前のめり気味に

「素敵なおうちですね!」

と言った私に、

 

おばあちゃまは 

「あなたもお茶いかが?

 どうぞ家も見てくださいな」 

とにっこり。

 

えーーーこんなやんちゃ坊主が二人もいるのにいいんですか??

でも好奇心が勝る。

もう胸が高鳴りっぱなし。

 

玄関を一歩入ると、

絨毯がふかふかで、お!っと背筋が伸びる。

絨毯が美しすぎて、

「土足でいいんですか?」

と聞こうとして、あ、ここはイギリスだったと思ったほどだった。

 

すぐ左の応接間には

壁一面に飴色の本棚と古い書籍、そして彫刻のオブジェ、

出窓のようになった窓辺には

大きすぎず小さすぎず、

ちょうど良いサイズのソファが置いてある。

 

彼女は、地元の小学校で校長先生までした方で、

演劇史の専門家なのでイギリス国内で講演もしているそう。

そんな訳でイギリス演劇の書籍がたくさん並んでいた。

いろいろなブロンズも演劇関係と思われるものだった。

彼女の知性の塊といった部屋だった。

 

「私、学生時代に昔ブロンテ姉妹の演劇をつくったことあります」

と興奮して余計なことまで口走る。

 

庭に面した部屋も、濃い緑色の絨毯で敷き詰められていて、

暖炉にオランダのアンティーク家具のような風貌の椅子が何脚か

アームチェアのように配置してあった。

小さいけれどとても座り心地のよさそうな椅子だった。

 

そして、庭に出る手前に、

これぞブリティッシュアンティークといった感じの

表面がつやつやした、

これまた飴色の楕円のダイニングテーブルが置いてあり、

その上には、これから教える子どもたちが自由に食べれるように、

いろいろなお菓子がセッティングされていた。

 

アリスのティーパーティーみたい!

 

「お茶なにがいいかしら?」

 

けばけばしいティーカップではなく、

モダンなマグカップに

なみなみとレモン風味のグリーンティを注いで出してくれた。

喉が渇いていたので、ごくごく飲んだ。

 

そして、間違いなく美味しそうな

今日作ったというコーヒーケーキを出してくれた。

そしてそれは想像を裏切らないイギリス生活NO.1のコーヒーケーキだった。

 

子ども達はお菓子を好き放題ほおばり、

ジュースをいただき、

その後、そのテーブルで英語を習う。

 

1歳だった息子のお菓子の食べこぼしも、

ハイハイし色々触る様子も全く気にしないおばあちゃまは、

二階も含めて好きに部屋を見ていいわよと。

 

徘徊したい息子を連れて徘徊する私。

 

さきほどの部屋とつながっているキッチンは

これ以上ないほどに、すっきり。

床は大きなタイルで、キッチンの上にはほぼ何も出ていない。

庭で咲いた黄色いお花が一輪。

 

こんなに何もないのに、

お茶が各種出せて、手作りケーキが出てきて、

かわいいナプキンとティーセットが出てくる。

何もないように見えて、必要なものは十分に出てくる。

不思議だ。

 

二階はバストイレと個室。

こちらの水はカルキが多く、水場はすぐ白く汚れるが、

光るべきところは光り、洗面台には水滴の跡もない。

そして小瓶にやはり庭のお花が飾ってある。

 

お風呂のふちにはバスマットがきれいにまっすぐかけられていて、

お風呂を出た後に、水滴をすべてぬぐうのであろう布巾が

小さく折りたたんで隅に置いてあった。

 

個室にはベッドメイク済みの質素なベッドと、腰より低い本棚。

家族や友人と思われる写真。

壁には部屋に一味添えるささやかなアートが額装して飾ってある。

 

全体的に華美なものは一つもない。

どちらかというと、質素かつ簡素。

けれどミニマリストほど物がないわけではなく、

まして殺風景ではない。

断捨離だけしました、という感じとも違う。

 

ものは厳選され少なく、

実に機能的に置かれているけれど、

(必要な場所に必要なものはある、各種類ひとつずつ)

できあがった空間はあたたかく、居心地がよかった。

 

二階はシンプル、いつでも誰でも泊まれる状態。

一階は質の良い絨毯の上に、

決して広くない部屋の大きさにぴったり合った、

愛着を持って使っている家具が

ここ以外に考えられないというくらいおさまりよく

そこに配置されている。

 

簡素で、物が少ないのに、優雅であたたかい。

 

壁一面の書籍、

それぞれ思い出がつまっていそうな彫刻のオブジェ、

お風呂場の一枚の布巾、

全てに哲学を感じる。

 

彼女の人生そのものが形となったような家だと感じ、

息子との徘徊後、興奮冷めやらぬ私は水を飲んだ。

 

イギリス人のお家は「必要にして十分」という考え方があるという。

新しく出たから、とりあえずもらったから、

というものに家を占拠させない。

 

古いもの、自分にとって大事なものを大事にし、

必要なものがそろっていて、余分なものがない。

そういうこと。

 

今日のふたこと

「イギリスの絨毯はすごく居心地がよかった」

「必要にして十分」

 

瞳のきれいなおばあちゃま、フランシス。

素晴らしいお家を見せてくださってありがとうございました。

 

 

 

イギリス人は絨毯がお好き

バルセロナからロンドンへの引っ越しが決まって、

家探しに渡英し、不動産やさんと家を回って驚いたことの一つが、

イギリスが絨毯王国であること。

 

部屋一面、いや、一歩入った玄関から階段、各部屋にいたるまで

すべて敷きこんでいる家が多いことだった。

 

フローリングにラグを敷き詰めているということではない。

もう工事でもしない限り、引っぺがせないように

見事にぜーーーんぶ敷きこんであるのだ。

 

キッチンも絨毯、洗面所も風呂場も絨毯なんてこともある。

水飛んで来たら?油が跳ねたら?カビは?

そんなことは考えないのだろうか。

いや、おそらく料理をしないからこそ絨毯キッチンが可能なのか?

そうか、湯船にはつからないから跳ねないのか?

異文化との遭遇。

 

スペイン語の先生も、

「イギリスって絨毯だらけでしょ?

 もう信じられないわよね」

って言ってたっけ。

スペインは石とタイルと木だもんね。 

(絨毯じゃスペイン人の誇るモップ使えないしね)

 

欧州でも有名な絨毯好きイギリス人も、

最近では、賃貸で移民や外国人に貸し出すときのために、

リノベーションで一階部分をフローリングに改装する人も

増えているらしい。

 

我が家も第3子をロンドンで出産予定であったから、

そりゃ床を這いずり回る日も来るだろうし、

病気で嘔吐なんてことも想像がつくので、

家の条件としてフローリング、とあげておいた。

 

けれど、その瞬間、

物件が10分の1に減ってしまうのだ・・・

 

内見した家のうち全部フローリングという家は皆無。

どの家もどこかしらに絨毯が敷いてある。

1階がフローリングの家でも、2・3階は基本絨毯だった。

 

だが、不思議なことに、何軒も見ているうちに、

絨毯を毛嫌いする必要もないのかなと思えてきた。

 

内見は半分以上はまだ住んでる方がいて、

その方たちの朝食中だったり、荷造り中にお邪魔する形だったのだが、

だんだん自分の視点が絨毯か否か、ではなく、

単にその家がきれいかきれいじゃないかになってる(笑)

 

例え、その方が出て行かれるとしても、

その瞬間に見た家の心象って大きいものです。。

 

絨毯敷でもこぎれいにセンス良く暮らしている感じを見れば

なるほど足の踏み心地もよいし、

それはそれでありなんだと思えるようになり。

ただ問題は我が家がきれいに使えるかどうか。。

 

結局、

こどもの通学の便、周りの住環境など総合的に考え決めた家は

珍しいほどにフローリング部分の多い家。

 

階段部分のみが絨毯、

玄関、キッチンとお風呂は石タイル、

部屋は木、という家だった。

ちなみにオーナーは中東の人だった。

 

家族4人で人様のお宅に(まさに!)土足でズカズカと入るのは、

本当に気を使って、小雨ふるロンドンでの家探しはすっかり消耗した。

でも20軒ほどのロンドンの家庭を覗いて、

暮らしぶりや価値観を垣間見たことは興味深い経験でもあった。

 

今日のひとこと

「イギリス人は本当に絨毯がお好き」

 

このとき、私は本当の意味でイギリスのお家を分かってはいなかった。 

その後、あるイギリス人おばあちゃんのお宅にお邪魔して

その素敵さに卒倒しそうになる。

その話はまた今度。

バルセロナで見た3人家族のシルエット

バルセロナに来て最初の仕事は、娘を学校に朝夕送迎することだった。

4歳の娘の手を引き、8か月の息子が乗ったベビーカーを押しながら、

朝の通勤通学で混雑するバスに乗る。

 

とても混んでいても、ベビーカーでおずおずと進んでいくと、

自然と道をあけてくれて、バス中央部のベビーカースペースにたどり着く。

そこにいた学生たちもごく自然に場所を譲ってくれる。

 

学生くんに グラシャス ありがとう

彼も少し微笑んで デナダ どういたしまして 

 

今日も気持ちがいい。

 

そうして、ふう、、と落ち着き、

ベビーカーの息子が変にぐずりださないことを祈りながら、

アジア人を興味深げに見る視線にも笑顔で耐えながら、

車内の人や車窓の風景を見るのが楽しみだった。

 

その日もぼーっと外を見ていると、

とあるピソ(マンション)から一組の男女が出てきた。

朝の通勤に出かけるところといった感じで、

コートにストールを羽織った感じのよい男女。

2人は話しながらごく自然にキスをした。

見ると、最後に出てきたらしい2歳くらいの女の子とその男性は手をつないでいる。

その女の子の手にはぬいぐるみが握られていた。

 

お似合いの夫婦と小さな女の子。3人のシルエット。 

な、な、な、なーーーんかとっても素敵。

絵のようだし、映画のよう。

 

でも、どうして?どうしてこんなにもハッとしたんだろう。

 

それで気付いた。

日本だったら、「ママ・子ども・パパ」という風に、

サザエさん的川の字で手をつないでいる姿は見ることがある。

もしくは、

パパかママのどちらかが、

子どもと手をつないでいる姿も見ることがあるだろう。

 

けれど、

パパとママが並んで手をつないでいて(キスしていて)、

そのパパの手に小さい子がくっついてくるこのシルエットは

日本では見たことがなかったのだ。

(まあ人前でそういうことをしない文化ですが・・)

 

渡航すぐに見たこの3人家族のシルエットは、

強烈な印象を私に残した。

 

こちらでは家族における「夫婦」というものの意味が、

どうも日本と違うみたい。

「子どもありき」じゃなく、「夫婦ありき」なんだ、

きっと。

 

車窓から見た一瞬の光景はそんなことを感じさせたのでした。

育児書よりためになった老夫婦の言葉@日本

第1子妊娠中の話。

 

仕事が産休に入ったらどんどんお腹が膨らむから不思議である。

臨月は夏だったし、誰も目からも妊婦であることは明らかだった。

 

1人で電車に乗っていると、いかにも品の良い老夫婦が乗ってきた。

目と目が合って微笑みあう。

私の隣に奥様が座り、ご主人に席を譲ろうとしたが、丁寧に断られた。

(妊婦に譲られても困るよね・・・)

 

 「いつなのかしら?」

 「あ、来月なんです」

 「ああやっぱり。そんな感じだと思ったから。楽しみねえ」

 

 「あのね、赤ちゃんが生まれたらね、いい言葉を沢山かけてあげてね」

 

 「赤ちゃんて何も分からないように思うでしょ。

  でも言霊ってあるのね。

  赤ちゃんも全部分かっているのよ。

 

  お外の風にあたったら 気持ちいいねえ

  沐浴したら さっぱりするねえ

  音楽が聞こえたら 楽しいねえ

  パパの顔見せたら うれしいねえ。

 

  そうやって楽しい言葉、うれしい言葉、きれいな言葉、

  いい言葉を沢山たくさん浴びせてあげるでしょ。

  そうするとよい心がどんどん育つものなのよ」

 

次の駅で私は降りた。

この出会いはたった3、4分だったのだが、

私の中に鮮烈な印象を残した。

 

そうか、そうだな、

意識していい言葉をいっぱいかけてあげよう。

これは私の育児の軸になった。

 

新生児に小声で話しかけまくる私。 

「お尻きれいになった~気持ちいいねえ。すっきりすっきり!」

「お外あったかいねえ。そう?うれしいのねえ。そうかあ。うれしいねえ」

「お花が咲いてるねえ。きれいねえ。そう?〇〇ちゃんも好き?」

こんな感じ。

 

 目や手足の動きや表情から、勝手に返事も受け取っていたので、

私は本気で、娘は新生児から話していた、と信じているくらいである。

(ちなみに、産後2週目、夜中の授乳でへとへとで、さっと起きれず、

 添い寝したまま、ごめんねママちょっと疲れちゃった・・と言ったら、

 手を伸ばして頭を触ってくれたことも、

 「いいよ」って慰めてくれたのね!と勝手に感激したり・・)

 

もう少しして難しい時期、娘は癇癪をおこすことがあった。

「だーいじょうぶ。大丈夫よ」

「はい!じゃあこうしてみる?ほら~できたね」

うーん、今思えばなんと忍耐強かったことだろう。

 

この電車で数分会った老夫婦のおかげで、

意識してポジティブな言葉を通して、娘と対話を続け、

通じ合う一体感を感じながら育児できたような気がするし、

そのことで生まれた親密な感情は、

娘にとってよかったという以上に、

産後の心身ともに疲れ切っていた時期から

初めての育児に戸惑う私自身を大いに支えてくれた。

 

でも、、、、、、

親とは子どもの成長と共に、欲張りになるもので、

大きくなるごとに、

 「どうして〇〇してないの?」

 「早く〇〇しなさい!」

ついイライラもぶつけるし、

肯定しそのまんまを受け止める言葉より、

要求する言葉が増えている気がして(いや、そう)反省。

 

赤ちゃんの時、私ってマリア様?と思うくらい

あんなに広い心で楽しくやっていたのに(笑)

 

まあお母さんも人間だからゆるしてね。 

 

 今日の言葉。

 「言葉には言霊があるのよ。

  よい言葉をたくさんかけてあげてね」

 

指針になったことは間違いない。

お二人の雰囲気といい、タイミングといい、

不思議な出会いだった。

バルセロナで見た挨拶習慣2

バルセロナではいつでもHola!と互いに挨拶すること以外にも、

「目と目で会話する」という楽しい体験を日々させてもらったと思う。

 

特に、ベビーカーを押したり、子どもと手をつないで歩いていると、

かなりの確率で、向かいから来た人と目が合う。

また改めて書こうと思うが、

スペイン人は根っから子どもが好きなのだ。

 

向かいから来た人はお年寄りの男性だろうが、若い女性だろうが、

まず子どもを見て、

そして隣の親を見て、

ニコニコもしくはニヤッとした視線を送ってくれる。

それはまるで「いいね!」という全肯定の視線。

 

私も「ありがとう」とばかりににっこりする。

息子がおかしな行動をしている時は「ええ、ええ、面白い子なんです」

という顔をしたり。

知らない者同士とにかく目と目で会話をする。

 

そうやって、

ちょっと外出すると、

沢山の人と目と目の会話をするので、

異国にいて言語が多少不自由でも、

疎外感とか孤独感とは無縁であった。

 

子どもに直接話しかける人も結構いて、

大体、

Que guapo!  なんてかわいいんだ!  

とか

Que pasa!  どうしたっていうの? (←あやしてくれてる) 

とか言われる。

母親なら何百回と言われるので、まず耳で覚える単語。

 

ウインクの日常使いにも驚いた。

エレベーター下りるときに子どもにウインク。

お医者さんが診察終わりに大丈夫だよとウインク。

うん。さまになってる。

 

日本では子連れでいると、人様からの視線がつらい時もあるが、

バルセロナでは一度もネガティブな視線にさらされたことがない。

もちろん仏頂面の人だっているし、興味を示さない人もいるが、

あくまでフラット。

ベビーカーが邪魔だと舌打ちされるなんてことはまずない。

 

人口密度の違いだろうか。。。

人と人が声を掛け合う。目が合えば微笑む。実に人間らしい生活。

まなざしが温かいだけで、居心地とはこうもよくなるものなんだ。

 

異国人の私にも子どもにも、

目をかけ、声をかけてくれるバルセロナの人たち。

レジが遅くて列が長い、冷蔵庫修理に来てもすぐ直せない、

そんなことがなんだっていうのだ。

毎日の母子生活が孤独じゃない、出かけやすい。

君はここで堂々と子どもを育てなさい、と言われている気分。

もう感謝しかないのである。

バルセロナで見た挨拶習慣1

バルセロナで暮らして好きだったことは

ありとあらゆる場面で、親しい親しくないに関わらず、

必ず声に出して挨拶をするということだ。

 

それもどんな時間帯、どんな相手でも

オラ!(Hola!)と声をかければよいのである。

 

スペイン語を習いに行って、

こんにちは(ブエノスディアス)を習ったが、日常で使うことがない。

飛行機に乗ったときに、乗務員から言われたくらいだろうか。

つまりちょっと硬いサービスの場面以外はHola!でいいのだ。

 

朝、マンションの住人にエレベーターで会ってHola!

公共バスの運転手さんにHola!

学校の用務員さんにHola!

入ったお店の店員さんにHola!

スーパーの会計時に店員さんにHola!

 

大丈夫。必ず返事をしてくれます。 

朝か昼か夕方かなど気にしなくていい。

なんと便利な言葉!

目と目を合わせて、にこっとHola!

それだけのことでとっても気分がいい。

 

日本語にHolaにあたる言葉はあるのかしら。

「こんにちは」「こんばんは」だとちょっと硬いなという場合、

どういえば良いのだろう。

 

「やあ!」ってねえ、、

「まいど~」いやいや、、

「どうも、、」あたりだろうか。