結愛ちゃんの遺したメッセージ
40歳になった朝、ニュースを開いたら、
5歳の小さな女の子が
こんなメッセージを私たちに遺していた。
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ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいします
ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうまでぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことを なおします
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったい やらないからね
ぜったい やくそくします
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親に受け入れてほしくて、
助けてほしくて、
必死で、
書いたのだろう。
こんなに哀しいひらがながあるだろうか。
結愛ちゃん、あなたは賢い女の子でした。
怒られるということは
<じぶんが悪いのだ>と思っていただろう。
パパはこわかったけれど、
ママにはさいごまで望みをもっていただろう。
「やさしかったときのママにもどって」
「今日は助けて」と。
どんな親でもこどもは大好きだから。
どんな親でもこどもは親を求めるから。
でも届かなかった。
この家の気配を把握した大人が外にいた。
でも助けだせなかった。
結愛ちゃん。
あなたがお空に行ってから、
「うちでご飯を食べさせたかった」
「あったかいお布団でぎゅっとしてあげたかった」
そう言ってるお父さんお母さんがたくさんいるよ。
日本人てね、本当はやさしいんだよ。
なにかの時には、みんなで協力できる国なんだよ。
なのに、なにかがおかしかったんだね。
あなたは見過ごされてしまった。
ゆるして、と言わなければいけないのは
大人たちの方です。
幼い彼女が渾身の力でのこした叫び。
それは、なにかがおかしいこの国への叫びであり、
虐待をうける他の子どもたちの<声なき声>の代弁でもあるように思う。
だから、
「かわいそう」「つらい」
で止まらずに。
私たち大人はこれからの行動によって、
彼女の死に意味づけをしなければと思う。
幕末期や明治初期に日本を訪れた西洋人たちは、
日本の大人たちが(男女問わず)
子どもをとても大切にしていることに目を丸くしたそうだ。
体罰も虐待もなく、みなが子どもに親切で、
子どもたちがニコニコとくらしていると。
大らかに育っているのに、礼儀正しいと。
私たちは本当はそういう資質を持っているんです。
男女問わず、年齢問わず、みんなで育児して、
西洋のように鞭を使わずに、
こどもを大切に育ててきたんです。
では、核家族化した現代の家族の形と
変化した地域社会の中で、
どうやって「こども」を健全に育てていくのか。
150年前に西洋人をうならせたように、
結愛ちゃんのことを契機に、
他国の模範となるくらいの児童福祉の形をつくっていけないでしょうか。
もう一度、<育児の価値と重要性>を社会全体で認識し、
「産んだ家庭でするもの」
「母親が一人でするもの」ではなく、
現代型の子育てしやすい社会の形をつくっていけないでしょうか。
こどもがこどもらしくいるためには、
大人が<大人>でなければならない。
大人が<大人>になるには、
子どもらしく過ごす子ども時代もまた必要なのです。
必死に習得したひらがなで結愛ちゃんは、
私たち日本の大人に大きなメッセージを遺しました。
わたしたち大人は何をしますか?
何ができますか?
みんなで考えたいことです。
結愛ちゃんのご冥福を祈ります。