育児書よりためになった老夫婦の言葉@日本
第1子妊娠中の話。
仕事が産休に入ったらどんどんお腹が膨らむから不思議である。
臨月は夏だったし、誰も目からも妊婦であることは明らかだった。
1人で電車に乗っていると、いかにも品の良い老夫婦が乗ってきた。
目と目が合って微笑みあう。
私の隣に奥様が座り、ご主人に席を譲ろうとしたが、丁寧に断られた。
(妊婦に譲られても困るよね・・・)
「いつなのかしら?」
「あ、来月なんです」
「ああやっぱり。そんな感じだと思ったから。楽しみねえ」
「あのね、赤ちゃんが生まれたらね、いい言葉を沢山かけてあげてね」
「赤ちゃんて何も分からないように思うでしょ。
でも言霊ってあるのね。
赤ちゃんも全部分かっているのよ。
お外の風にあたったら 気持ちいいねえ
沐浴したら さっぱりするねえ
音楽が聞こえたら 楽しいねえ
パパの顔見せたら うれしいねえ。
そうやって楽しい言葉、うれしい言葉、きれいな言葉、
いい言葉を沢山たくさん浴びせてあげるでしょ。
そうするとよい心がどんどん育つものなのよ」
次の駅で私は降りた。
この出会いはたった3、4分だったのだが、
私の中に鮮烈な印象を残した。
そうか、そうだな、
意識していい言葉をいっぱいかけてあげよう。
これは私の育児の軸になった。
新生児に小声で話しかけまくる私。
「お尻きれいになった~気持ちいいねえ。すっきりすっきり!」
「お外あったかいねえ。そう?うれしいのねえ。そうかあ。うれしいねえ」
「お花が咲いてるねえ。きれいねえ。そう?〇〇ちゃんも好き?」
こんな感じ。
目や手足の動きや表情から、勝手に返事も受け取っていたので、
私は本気で、娘は新生児から話していた、と信じているくらいである。
(ちなみに、産後2週目、夜中の授乳でへとへとで、さっと起きれず、
添い寝したまま、ごめんねママちょっと疲れちゃった・・と言ったら、
手を伸ばして頭を触ってくれたことも、
「いいよ」って慰めてくれたのね!と勝手に感激したり・・)
もう少しして難しい時期、娘は癇癪をおこすことがあった。
「だーいじょうぶ。大丈夫よ」
「はい!じゃあこうしてみる?ほら~できたね」
うーん、今思えばなんと忍耐強かったことだろう。
この電車で数分会った老夫婦のおかげで、
意識してポジティブな言葉を通して、娘と対話を続け、
通じ合う一体感を感じながら育児できたような気がするし、
そのことで生まれた親密な感情は、
娘にとってよかったという以上に、
産後の心身ともに疲れ切っていた時期から
初めての育児に戸惑う私自身を大いに支えてくれた。
でも、、、、、、
親とは子どもの成長と共に、欲張りになるもので、
大きくなるごとに、
「どうして〇〇してないの?」
「早く〇〇しなさい!」
ついイライラもぶつけるし、
肯定しそのまんまを受け止める言葉より、
要求する言葉が増えている気がして(いや、そう)反省。
赤ちゃんの時、私ってマリア様?と思うくらい
あんなに広い心で楽しくやっていたのに(笑)
まあお母さんも人間だからゆるしてね。
今日の言葉。
「言葉には言霊があるのよ。
よい言葉をたくさんかけてあげてね」
指針になったことは間違いない。
お二人の雰囲気といい、タイミングといい、
不思議な出会いだった。