3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

美人姉妹に不思議がられたこと

バルセロナ時代のこと。

 

娘の通学途中、バスでよく会う同じ学校の女の子たちがいた。

娘の学年の一つ上と一つ下の姉妹だ。

どうやらお金持ちのお家のようで、

いつもナニーと一緒に通学していた。

 

お姉ちゃんはちょっとおすましさんで、

かわいいというより美人。

わずかに大人の女性の風情を漂わせている。

 

妹の方はくりくりとしたよく動く青い目が人懐っこく、

いつでもケラケラ笑っているような子だった。

いつも娘を見つけると、

隣に座りたいとナニーに懇願する。

 

その日、私はいつもならベビーカーに座らせている一歳の息子を

珍しく <抱っこひも> に入れて、

帰りのバスに乗っていた。

 

妹の方が大きな瞳でじーっと私が息子を抱いている様を見ている。

そして、言った。

 

「あなたはなぜ赤ちゃんを抱っこしているの?」

 

「え?うんと・・そうね、

 彼はいま機嫌が悪くてこれがいいみたい」

 

すると、いつもあまりしゃべらないお姉ちゃんがすかさず言った。

 

「じゃあなぜあなたはベビーカーも持ってきているの?

 ベビーカーがあるのに抱っこしているなんて」

 

 

(・・・・・た、たしかに)

 

 

私からすると、たとえベビーカーに乗せていても、

ずっといい子に座っているとは限らない。

愚図って人さまに迷惑かけないように、

いざとなったらさっと抱いて移動できるように、

保険として抱っこひも。 

これ結構ありませんか?

 

日本ではよく見る光景でも、

幼い彼女には

ベビーカーという大きな道具がそこにありながら、

それを使わずして、

重そうなこどもを抱っこひもに入れている私は

明らかに奇妙だったのだ。

 

ちなみに。

バルセロナの住宅街で抱っこひもに息子を入れて歩いていると、

結構じろじろ見られた。

抱っこスタイルが可愛いというような視線もあれば、

珍しい、もしくは怪訝そうな視線もあった。

 

というのもこちらの人たちは、

ベビーカー(それも結構ごっついの)でどこへでも行くからだ。

バスにも4台は入るし、

スーパーも、デパートも、カフェもベビーカーでいっぱいだった。

赤ちゃん好きのお国柄。だれも拒まない。

 

ベビーカーにおしゃぶりをした赤ちゃんを入れて、

時にミルクや瓶詰の離乳食をあげながら、

悠々とカフェでお茶をする人たち。

 

メトロにはエレベーターがないところも多い。

石畳でぼこぼこした道もある。

けれど、どこでもベビーカーで行く。

 

日本のお母さんが赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、

さらに両手にスーパーの買い物袋を提げて歩いているのを見たら

さぞびっくりすることだろう。

なんの修行なの?

重いのになぜベビーカーを使わないの?と。

 

うーーーん。

抱っこのほうが子どもが安心するから。

肩はものすごく凝るけど、それさえ我慢すれば身軽に動けるから。

人の手を借りずに済むから。

ベビーカーの赤ちゃんが騒いで、

周りの人に白い目でみられるという事態を避ける最終兵器として。

かな。

 

バルセロナを去るころには、

巻物のようなスリングにごく小さい赤ちゃんを入れている

ロハスな感じの奥さんもたまーーーに見るようになった。

デパートにも片隅に抱っこひもが売られていた。

 

ベビーカー主流のバルセロナでも

抱っこひもの良さを感じる人は増えているのかな?

きっと使う理由は、赤ちゃんと母親の快適性。

<人さまに迷惑をかけないため>ではなさそうだ。

魔法の言葉「マダム」

パリに住んで一年になる。

フランス語のレベルは挨拶とスーパーのレジ通過可能レベル・・

マルシェで込み入った会話とかはできない・・

大抵のことを笑顔とジェスチャー、それに推測とウィで乗り切っている(笑)

 

以前住んでいたバルセロナで使っていたスペイン語は

べたーっと発音するところが

日本人にとても合っていた気がする。

書いてある文字をそのままカタカナでローマ字読みする感覚。

 

フランス語は聞いたことのない特有の音がいっぱい聞こえてくる。

心のハードルが上がる上がる・・・

その点、子どもは上手ですね~。

例えばトレビアンのレ。トヘビアンという感じ。

母がやると何か違うらしい。

 

来た当初は、

それまで話していたスペイン語の脳みそが切り替わらず、

どうしてもウィをシィ(スペイン語の「はい」)と言ってしまい、

それを直すだけで4か月かかったっけ・・・

 

それと特有といえば、

リエゾンなど滑らかにつなげて読む習慣。

 

これは笑い話なんだけれど、

例えば、「子ども」という単語が「アンファン」と覚えても

あまり意味がない。

私はいつも3人連れているので、

エレベーターで一緒になる人にかなりの頻度で

「レゾンフォン」と言われていたが、

最初は意味が全く分からず、???で、

レゾン何とかという単語があるのかと

夫に聞いたり、真剣に辞書で調べていた。

すると、それは複数形の冠詞のついた「子どもたち」という単語だったのだ。

 ※Les enfants(レゾンフォン=こどもたち)

アンファンのアの字もないじゃん!

 がーん・・・耳で聞いて覚えるしかない。うん。

 

ところで。

フランス語が分からないなりに日々暮らしていて、

やはりその重要性を感じ、

これだけははったりきかせてやってます、というのは挨拶。

あなためっちゃ話せるんじゃない?と誤解されるくらい流暢に挨拶できます(笑)

 

大事なのは目とタイミング、若干のイントネーション。

そして印象のよい挨拶の最大のコツは、

最後に必ず「マダム」か「ムシュー」をつけること。

 

とりあえずこの挨拶をマスターすれば、

通りすがりの人や、お店の人にそれなりの人物として

認識してもらうことができます。

 

最後につける「マダム」。

これは言われてみればいかに気分がよいかがわかります。

 

 ボンジュールマダム (こんにちはマダム)

 メルシーマダム (ありがとうマダム)

 パードンマダム(失礼マダム)

 

最後にマダム、と添えられるだけで、

背筋が伸び、にこやかに返事をすることができる魔法の言葉。

 

日本語のマダムって、イメージ的に高級感あふれるというか、

時に冷ややかにも使われますが、

こちらでは女性への尊敬の念を表している感じ。

(マドモアゼル(未婚)とマダムで迷ったら

 マダムにしておくことが無難だそう。

 女性の価値は若さじゃないのです)

 

不愛想な人も多いパリですが、

お店でも、マンションでも会った人にマダムと声をかけられると

とても尊重された気分になり、

その言葉にふさわしい行いのできる女性であろうとする自分がいます。

女性を成長させてくれる言葉のよう。

ムシューと言われる男性もしかり。

 

先日、最高にうれしかった「マダム」は

雨の日にすれ違ったお年を召したムシューが

頭のベレー帽をちょっと持ち上げて、にっこりと

 ボンジュールマダム

と言ってくれたとき。

 

寒い雨の日、子どもの体調不良、週末の一人買い出し、

はあ~と歩いていたが、

ムシューの紳士的な挨拶で、

一気に(!)ほわーっと温かい気持ちになった。

 

挨拶ってすごいな。

 

欧州大陸にあって、いろいろな国とぶつかった歴史があって、

互いに敵でないことを示す意味でも挨拶は重要だったんだろうな。

スペインもそうだったけれど、

フランスも挨拶がすごく大切にされている国。

なので挨拶できないと軽蔑される可能性大・・・

 

郷に入れば郷に従え。

日本にいるとお店側が挨拶することはあっても、

お客側が挨拶して入店することはあまりないように思いますが、

ヨーロッパを旅行するときは、

常に自分から目と目を合わせて挨拶しましょう。

きっといい気分で過ごせる確率が著しく上がることでしょう。 

日曜日のバルセロネータ2

住宅街に人影がない日曜日のバルセロナ。

みんな海や山に繰り出していたのだった。

(もしくは親族の家で集合ランチ)

 

バルセロネータと呼ばれる海沿いを歩いて見える景色は

誰もが渇望するであろうビーチリゾート。

まぶしい!

 

ビーチで焼いている人に目が行くが、

よく見ると、水着でなく普段着でビーチの手前にある歩道を

たくさんの人がそぞろ歩きしている。

 

海辺の光と風と匂いを浴びながら、

老若男女がただただ歩いている。

歩くことを楽しんでる。

 

日本で、普段の日曜日ってどう過ごしていたかな?

あんまり思い出せない。

買い物したり商業施設をぶらぶらしていたんだろうか。

 

お店が全部閉まっていると、仕方ないから潔く別のことができるな。

そんなことを思いながら歩いていたら、

 

「ひゃっ!うわーへー!えーー?ほほーーー」

 

と思った光景が目に飛び込んできた。

 

砂浜の片隅に一人のビキニ姿の女性が寝転がっている。

その横にはベビーカー。新生児から使えるフラットタイプだ。

そしてその中にまさに「新生児」と思われる赤ちゃんが入っている。

 

どひゃーー!

日本じゃ1か月健診までは外出すらはばかられるというのに。

 

赤ちゃんへの日差しを遮るように

外部取り付け式の日傘がかかっていて、

すやすやと寝ている赤ちゃん。

そして同じくすやすやと寝る堂々ビキニ姿のお母さん。

 

自由だ!

 

日本のように湿度がないので、

日陰は涼しく快適。

完全リラックスムードの産後ママと赤ちゃんの姿。

 

ランチに訪れたレストランでも

生後2週間という赤ちゃんを連れた若い夫婦とおばあちゃんに遭遇。

ベビーカーに入れたまま優雅に食事している。

レストランの人もニコニコ。

 

気候とミルク育児のなせる業とはいえ、

そもそも誰も母親の行動をとがめない。

産後も果敢にリフレッシュする母親たち。

ところ変わればである。

日曜日のバルセロネータ1

バルセロナの日曜日は不思議だった。

窓の外を見ても人がいない。

車も少ない。

しーん。。。実に静か。

 

確かに日本と違い、

日曜日はほとんどのお店が営業していない。

デパートもスーパーも。

 

だからそういう意味では静かなんだけれど、

じゃあこのピソ(マンション)群の住民たちは

一体全体どこにいるんだろう????

 

あらゆる買い物は土曜日にしかできないので、

日曜日は行くべき場所もなく、

海の方にでも行くか、

今日は山の方に行くかとしばしばドライブした。

 

そして分かったこと。

海と山は人がうじゃうじゃいる!!!

みんな歩いている。寝そべってる。食べてる。

 

そうか。日曜日は自然回帰の日なんだ。

 

バルセロナは神戸のような街で、

背後にほどよい山をしたがえ、眼前には真っ青な海。

海でも山でもどっちも楽しめる、

ほどよい大きさの街なのである。

 

バルセロネータと呼ばれる海をそぞろ歩きして、

トップレスの女性の確率と、

ゲイカップルが浅瀬で楽しそうにはしゃぐ光景を見て、

 

<自由><ありのまま>

 

そんな言葉が浮かび、

青空と青い海の光と相まって実にまぶしい。

 

そしてもう一つ衝撃だった光景は・・・

つづく。

フィリピン人ナニーのリン2

バルセロナの娘の学校で出会った美人姉妹のナニーをしているリン。

この日も通学中のバスで会い、

互いの子ども同士を一緒に座らせ、しばしおしゃべり。

 

私は先日の過ちを告白。。

「貴女のふるまいが本当のお母さんのようで、

 この前、彼女たちの父親に、あなたの奥さん親切ね♪って話かけちゃったのよ・・」

 

リンは嬉しそうに笑ってくれた。

 

「ところで」と彼女。 

「あなたはベビーシッターを雇っていないの?」と質問される。

 

「毎日赤ちゃん連れでしょ。送迎もしているのに、料理も買い物も洗濯も自分で?」

 

そうよ、と私。

 

「じゃあアイロンは?掃除も誰かに頼んでいないの?」

 

とさらに聞かれる。

 

「うーんとね。日本人でお手伝いさんを雇っている人っていうのはすごくお金持ちとか、本当にごくごく一部なの。ほとんどの母親が誰にも頼まずに自分でやってるのよ」

 

と言うと、

リンは心底驚いたように言った。

 

「日本人女性はindependentなのねえ!」

 

Independentという単語が出てくるとは思わず、

しばし飲み込めず、しばらくして、

Independentっていうか、、そういう習慣がないから

お手伝いさんに頼もうっていう選択肢は浮かばないんだよなあ、

と窓の外を見ながら考える。

 

毎日0歳児をベビーカーに乗せて、

混雑するバスに4歳の娘と乗っていた私を相当大変そうに思ったらしい。

 

実際、じりじりと肌を焼く太陽の下、

坂道を往復しバス停に行き、

送った後はそのまま買い物に行き、

重いベビーカーと帰宅し、

昼食を食べさせて、家のことをしたら、今度はお迎えの準備して、

また息子のご機嫌をとりつつ、えんやこら迎えに行き、

これまたお疲れモードの娘と帰宅。

そして夕飯にお風呂に歯磨きに合間合間の授乳に、、

夫は子どもが寝るころの帰宅。

でもまだアイロンは溜まっている。。

強い日差しにまだ適応できていないのもあって、当初はくたくただった。

 

インターナショナルスクールに入れるような家は

お手伝いさんがいるものだと思ったのかな。

いやいや一般の会社員です。

 

でもバルセロナに来て分かったのは、

お手伝いさんを依頼しているのは特別のお金持ちではないということ。

 

一時間1000円くらいの相場で、

週一回溜まったアイロンがけ、水回りの掃除を頼んでいる人、

子供の習い事への送迎を頼んでいる人、

金曜夜の夫婦ディナーデートのため子どもの寝かしつけを頼んでいる人、

多くの人がとっても気軽に家事、育児の一部を他人に頼んでいるのだった。

 

「外出の間に掃除を頼んでおいて、

 ピカピカの家に帰宅するのは気持ちいいですよ」

 

経験者のキラキラしたお言葉。

 

頼んでみたいな。

でも、根っから日本人の私。

主婦業を人様にお願いすること、

人様を家のプライベートな部分に入れることにどうも慎重な自分がいる。

 そして目の届かないところで子どもに何かあってはいけないから、

人選は重要だ。

 

その点リンみたいな人はいいなあ。

そう思ったとき、リンは言った。

 

「私は月曜から土曜の午前中までこの家で働いているから

 あまり役には立てないわね。もし日曜日に必要があったら連絡して」

 

本当のお金持ちは雇い方も大胆である。

 

この日はこんなことを叫びたくなった。

 

「日本のお母さんって偉すぎる~!!!」

 

核家族。長時間勤務の旦那。

母は一人でいっぱい抱えてる。

そして食事も、どの国より手が込んでるものを期待されているのじゃないのか。

バルセロナもロンドンもパリも朝食もお弁当も超簡単だし!!

 

ああ日本のお母さん、堂々と手抜き・息抜きしようじゃないか!

まずは自分で自分にそれを許してあげること。

ね。どうでしょう?

フィリピン人ナニーのリン1

バルセロナで幼稚園時代を過ごした娘は

インターナショナルスクールに通っていて、

最初のうちは公共バスで通学していた。

 

通勤通学で混み合うバスで、

頻繁に会うのが、娘と同じ学校の小さな姉妹。

お人形のように目がくりくりとした金髪美人姉妹だ。

 

彼女たちに付き添っているのは、褐色の肌に黒髪のアジア系の女性。

一方、金髪の姉妹にはアジア人の面影はない。

 

お手伝いさんかな?

 

でも待てよ。

バルセロナで暮らしていると、

白人のカップルが中国系や黒人の赤ちゃんを養子にして、

ベビーカーに乗せて歩いているところを時折見かける。

 

見た目は全く違っても親子。

つまり見た目の違いでは測れない親子関係がよくあるのだ。

 

彼女たちはどうなのかな?

 

アジア系の彼女はバス内でいつも親しみを込めて視線を送ってくれ、

英語も堪能。ベビーカーと乗車する私をいつも気にかけてくれて、

バスのチケットがセンサーにどうにも反応しないときは、

新しいチケットまで分けてくれた。

 

ただ付き添っているというのではなく、

バス内で姉妹のふるまいをたしめる真剣さや、

愛情あふれる視線はお母さんそのもの。

 

そして何より、

学校で出会う他のシッターさん達より

社交的で常に堂々としていた。

 

そんな様子からきっとお母さんなんだろうな。

そう勝手に思っていた。

 

ところが、それは大間違いだった。

 

ある日、珍しく父親と登校してきた姉妹。

私は父親に挨拶し「貴方の奥さんはとても親切ですね」と話しかけた。

 

「???」

 

「あれ?」

 

「ああ!リンのことか!彼女はナニーさ」

 

と。

 

はあーーーーーやっちゃった!!!

フィリピンから来たお手伝いの女性だったのだ。

幸いご主人が気を悪くした様子はない。ほっ。。。

でも穴があったら入りたい。。。

 

いやー決めつけるのはいけない。

つくづく。

 

後日、本物のお母さんが一度だけ(!)学校に現れた。

とんでもなく華やかでモデルのような人。

毎日リンが子どもの送迎も買い物もご飯も作ってるんだから

生活感もないはずである。

でもほんとう、この母にしてこの美人姉妹。 

 

よく気の利く、実に賢そうなリンをナニーに雇えた彼らはラッキーだな。

リンはそんな風に思わせる魅力のある女性なのである。

通勤地獄@日本

妊娠の経過は人それぞれ、とはいえ、

首都圏のあの満員電車通勤というのは、

健康な大人でも辛いのだから、

まして妊婦や、

その他心身の病気を抱えた人には本当に酷な場所だなと思う。

 

第一子妊娠中にはまだ仕事をしていて、

私は田園都市線を端から端まで乗るような通勤をしていた。

 

この田園都市線というのは、住宅街を通っていて、

出発してから、駅に停車するたびに、

どんどん乗り込んでくるものの、

降りる人が一向にいないのが特徴だった。

渋谷まで来て、初めてごそっと降りるのだ。

 

だから、途中で、お、苦しい状況かも、と思っても、

次の駅で楽になるなどと期待してはいけない。

渋谷に着くまで、混雑は激しさを増すばかりだった。

 

妊娠初期は傍目からは分からない。

たとえ気分がすぐれなかったり、

お腹に鈍痛を感じても、

駅のホームに整然と並んで、我先にと殺気立って乗ってきた人々、

座れた安堵感で、寝たり携帯を凝視する人々に

あの、、座らせてくださいとは相当の勇気がないと言えない。

かと言って降りても、次もまた満員電車が来るだけである。

 

9年前にもマタニティマークがあって、一応ぶら下げてみたが、

そのマークを見せてはいけないような気も同時にしていた。

席をゆずれと強制しているようで。。

 

でも身体がしんどいときは、座りたいと切に思った。

それはお腹の赤ちゃんに何かあったら、、と気にかかる

芽生えだした母性らしき気持ちゆえでもあった。

 

そこで、帰りはルートを変え、

新宿始発の小田急線を二本見送って、確実に座るようにしていた。

結局私は、座れた時に、妊婦なので座らせてもらっていますとばかりに

マタニティマークをさりげなくアピールしていた気がする・・

 

ちなみに父親にマタニティマークを見せたところ、

「これなに?何のマーク?」

と聞かれたくらいなので、

実際は見えるようになっていても

特に中高年の男性に意味が分かる人は少なかったかもしれない。

 

実際にお腹が随分目立ってきて、さっと席を譲ってくれるのは、

若いパパと思われるような人たちであった。

奥さんの経験があって、気にかけてくれるのだろうなと思うとうれしかった。

もしくは、自分の母親くらいの女性も

「さあ座って」と有無を言わさず呼んでくれたりして身に染みる。

若い女性と中高年の男性からは譲られたことがなかったかも・・・ 

 

 

話は戻って。

心臓が圧迫されるほど の朝の混み具合で、

いかに腹部を守るかは命がけであった。

時に誰かの通勤バッグの角がお腹ぐりぐりあたる。

そういう時は遠慮なしに、混雑にまぎれて、

そのかばんを押したり、自分の身を反転させるなどした。

基本的には座っている人の前に立つようにしていたと思う。

お腹のスペースが少しでも確保されるように。

それでも究極的に押されると、

前に座っている人の頭上に両手が行き、窓を支えに立つという

なんとも言えない体勢になる。。

足を広げ仁王立ちし、かばんも持ちながら、

支えを探して、つり革や壁や時に窓に手をやり、

かつお腹もガードし、全身の力を入れたまま、

何十分と乗っているのは本当に疲弊した。

よく長女もお腹でがんばったと思う。

  

欧州に住んで、妊婦も経験したが、

バルセロナのバスでも、

ロンドンのメトロでも、

タトゥーしたいかつい兄ちゃんが何も言わず、

席を立って目で合図してくれたり、

おじいさんが譲ってくれたり、

年齢や性別によらず、よく気付いて行動してくれることに驚いた。

ちなみに、いずれも日本ほどの混雑ではない。

 

人口密度、 交通事情が他の都市とは違う東京。

本当は他人を思いやれる、親切な日本人も、

この特異な環境では周りの様子を見たり、

やさしさを出す余裕がないということだろうか。

 

昔、

「私だって疲れてるのに、どうして妊婦だからって譲らないといけないのか」

という話をしてくれた人もいる。

 

うん、、やはり皆相当に疲れてるんだな。

 

でも、きっと自分より大変な人はいる。

妊婦だけじゃない。

お年寄り、幼子連れ、通学児童、けがをしている人、

その他安全の意味でも、座る場所を必要とする人たち。

 

見て分かることがあれば臆せず声をかけたり、

もしくは、本人から

「すみません、調子が悪いので座らせてもらえませんか」

と申し出があった場合に、

できる人が気持ちよく応えてあげられる社会になるといいなと思う。

 

「どうぞ」「ありがとう」

目と目でにこっとし合えるって、お互いに元気をもらえる。

 

今日も満員電車で通勤している妊婦さん。

さぞお疲れのことでしょう。

どうか身体の声をよく聞いて大切に。

いざというときは声に出して助けを求めてくださいね。

無痛分娩か自然分娩か@日本

9年前の1人目の出産は、

当時住んでいた家から最寄りの産院だった。

それがたまたま、日本では珍しく無痛分娩を薦める産院で、

無痛で産みたい妊婦さんが遠くからもやってきているようだった。

 

この産院の看板には、

各種分娩方法取り扱いと書いてあり、

無痛分娩も自然分娩もどちらを選ぶのも本人の自由、ということだった。

 

そして、いざ出産方法の決定日。

診察は院長先生だった。

 

「で、出産方法は?」

 

と聞かれ、

 

「自然分娩してみたいと思っています」

 

と答えたところ、

彼は私の目も見ずに言った。

 

「君は、歯医者で歯を抜くときも麻酔しないんですかあ?

 よく考えた方がいいよ」

 

えええ??出産と抜歯が一緒??

妊婦決死の覚悟に対し、

衝撃のツッコミをもらい、おそってくる不快感と嫌悪感。

しばし呆然としたことを覚えている。

 

きっと、無痛を売りにした産院なのに、

それを選ばない私にちくりと言いたかったのだろう。

でも「選択自由」と謳っているのは確かなのだ。

 

いざ一人目の出産に挑み、

陣痛がますます耐えがたく辛くなってくるとき、

ああなぜ無痛にしなかったのか?と一瞬よぎるのだが(笑)

 

私が無痛を選ばなかったのは、

無痛にすることの抵抗感とか、

やはりお腹痛めてこそ、という価値観からでもない。

 

単に、

赤ちゃんが出てきたいと思った時に、出てきてほしいな

と思ったからだった。

 

というのも、

無痛分娩に欠かせない麻酔科医が

24時間365日体制で待機している産院は

日本にはそうそうなく、

産気づいてから無痛分娩を行う体制ができていないのだ。

 

ちなみに、

欧米では、その医療体制により、

産院がある程度の規模の病院に集約され、

麻酔科医が常駐している。

そのため、自然に産気づいて産院に駆け込んでからでも

無痛を選択するというスタイルが可能となる。 

(副院長先生の両親学級でのお話しより)

 

でも、日本では、一部をのぞき、そのような体制がとれない。

ちなみに、この産院では、

麻酔科医の常駐日が月~金。

お産が長引く可能性を考慮し、月~木曜日が出産予定日とされた。

 

つまり、お産が誘発されやすいように子宮口にバルーンを装着したり、

陣痛促進剤を打つ日が事前に計画され、

当日か翌日には無痛で出産できるというわけである。

(計画無痛分娩と呼ばれる)

 

この方法だと、出産予定日が分かるので、

ご主人も休みをとって付き添いしやすかったり、 

無痛もうまくいけば本当に楽だったと聞くので

病気を抱えていたり、体力のない人なども

産後の体力が温存されるなどよさがあると思う。

 

赤ちゃんが出てきたいとき、つまり産気づいた時に、

無痛分娩を選択できるというなら、それを選んでいたかも?しれないなあ。

 

というわけで、

私の無痛分娩推奨産院での自然分娩が決定した。