3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

陽気な運転手ルディさんの涙

夏休み明けて新学期から、

こどもたちの通学バスの運転手さんが

ポルトガル人のルディさんに替わった。

 

学校が契約しているタクシー会社の運転手さんたちの顔ぶれは

大体把握しているが、彼のことは一度も見たことがなかった。

新しく契約した人なのかな?

 

若く髪型はいつもびしっと決まっている。

濃い眉毛と濃い目もと。

ディズニー映画のように大きな口でニカッ!っと笑う。

 

担当になって最初の朝に、

親と挨拶し握手するのは大抵誰もがすることだが、

彼の場合、親との握手は最初だけではなかった。

毎朝なのだ。

 

ボンジュールマダム! でがっしり握手。ニカッ!!

 

あくる日も 

 

ボンジュールマダム! でがっしり握手。ニカッ!!

 

来る日も来る日も 

 

ボンジュールマダム!ニカッ!!

 

どの親とも目と目を合わせてしっかり握手。

こんなことは初めてだった。

お子さんお預かりしますぜ!っていう気合がストレートに感じられる。

もしかしたら新しい職場ではりきっているのかな?

やる気にあふれ初々しい感じ。

なにより朝からすごく楽しそうなのだ。

 

これまで何人もの運転手さんに出会ってきたが、

こんなに楽しそうにしている人には初めて会った。

 

で、多分、彼が一番こどもに人気。

いつも私の腕の中で姉兄に手を振っている末っ子のことも、

スルーすることはない。

くすぐったり、変顔して笑わせようとしたり、とにかくいじる。

(スペイン暮らしを思い出した。ポルトガル出身と聞いて納得)

 

最初は無視していた末っ子も、

そのうち今日もくるな~♪と楽しみにするようになった。

出発前、ルディさんが運転席に乗り込むと、

窓を下ろしてくれるのを分かってて、

末っ子は両手をぶんぶん振って、盛大に見送るのが恒例だった。

 

乗っているこどもたちの名前も早々に覚え、

乗り込むときになんだかんだと話しかける。

 

そして おやおや??

そのうち子どもたちが、手にコテコテのお菓子を持って

バスから降りてくるようになった。

 

だれから??

え?ルディさん。お菓子の袋車置いてあるんだよ!

 

学校に持っていくスナックもヘルシーなものを、と言われているのに

運転手さんからバンバンふりまかれる魅惑のお菓子・・・苦笑

子ども同士でじゃんけんするのかなんなのか、

すごく盛り上がって降りてくる。

こんなに一体感のあるバスが今まであっただろうか。

 

また、用事があって学校へ親が直接迎えに行く場合は、

バスをキャンセルすることになるのだが、

ある雨の日に、学校からこどもたちと出ようとしたら、

まさに学校を出ようとしているバンから彼が大きく顔を出して、

「乗せてあげる!!」

と叫んでいる。

 

いやいや・・親は乗ってはいけないルールだし。

 

「いいよいいよ乗りなよ!」

 

いやいや。大丈夫!!

こっちはこっちで帰るからいいよ!

 

そんなやりとりを遠いながらして。

 

彼は多分そういうルールも知らないんだな。

でもいい人だった。

 

 

お別れは突然やってきた。

金曜日の朝にはいつものように

ボンジュールマダム!ニカッ!!だったのに、

夕方、バスから降りるなり、娘がものすごい勢いで言った。

 

「ルディさん今日で最後なんだって!」

 

見ると、続いて降りてきた韓国の女の子がしくしくと泣いている。

 

そして、こどもたちの荷物を下ろしたルディさんは目が真っ赤。

 

「ムシュー、あなたここを去るの?」

 

彼は嗚咽を抑えながら無言で何度もうなずいた。

 

「なにがあったの?」

 

「ポルトガルで問題があって・・・帰ることになった・・・」

 

何かを察することができた。

ご家族に何かがあったのだろう。

 

「さみしくなるわ」

 

真っ赤な目でいる彼の背中をさすってあげたかったが、

できなかった。

 

「ねえ、写真を撮りましょう」

 

その日、息子2人ともいなかったことが悔やまれた。

大好きだったから。

 

運転席に戻る前に、助手席から何やら取り出して、

私にくれた。

息子2人へのコテコテのチョコレートだった。

 

韓国のお母さんが

「パリへは戻るの?」と聞いた。

 

「ジュヌセパ」(わからない)と苦笑いした。

 

 

運転席に戻る背中に、何か言いたくなって、

 

 Good luck! 

 Stay strong!!

 

と声をかけた。

背中のまま大きく何度もうなずいた彼はこらえきれなくなり、

ハンドルに突っ伏して号泣していた。

 

 

詳しいことは分からない。

何かがあって、明日ポルトガルに帰らなければならなくなったってこと。

パリへ夢もあって来ていたのだろうな。

 

たった一か月だったが、

彼の憎めないピュアで陽気な仕事ぶりが思い出され、

もらい泣きしてしまう。

 

出会いと別れ。 

ルディさんのことを子どもたちは絶対忘れないだろう。

 

 

iPhoneの中のルディさんは

目がうさぎのように真っ赤だけれど、

いつものように思いっきりニカッ!!と笑っている。

母カフェParis☆まもなく開店します

こんにちは。

パリ在住3児の母、tomokoです。

 

今日は珍しく、というか初めてのお知らせです。

パリで育児中のお母さん方の集まる場所

 ☆☆☆母カフェParis☆☆☆

をスタートします!

 

決めてからつくづく分かったんですが、

私ずっとつくりたかったんです。こういう場を。

 

まだ幼い子どもを24時間体制で育てている

お母さんたちが集まっておしゃべりする場所。 

 

子連れでも気楽な場所。

リフレッシュできる場所。

元気をもらえる場所。

ちょっと知恵をもらえる場所。

 

幼子を育てているころ、

我が子以外の大人と話すことが

どんなに楽しかったでしょう。

 

ささやかな悩みを話しながらも

大笑いすることが

どんなに明日へのパワーになったことでしょう。 

 

日本でもバルセロナでもロンドンでも

たくさんのママ友と出会い、話し、

共に笑い、時に涙してきました。

 

お友達という関係を超えて、

とにかく育児真っただ中のお母さん方をサポートするには、

「場」をつくること。

それが今の私にできることかなと思いました。

 

だって女性はとにかくおしゃべりしたいんです(笑)

そう私も(笑) 

 

そういえば、、、

パリはどこもかしこもカフェだらけ。

そして、パリジャン&パリジェンヌが

小さいカフェ一杯で延々と話しこんでいます。

 

そう!日本人ママンだってカフェしようじゃないの。

 

 

ちなみに、母カフェの開催場所は我が家です。

 

実は、この家を不動産屋さんと訪れたとき

この部屋から見えるあまりの景色に、

家族全員目を丸くして、感嘆の声をあげました。

 

エッフェル塔が目の前にどどーんと!!

そして、なんということでしょう。

高層のためパリの主要観光地ほぼ見えます。。。はい。

  

同じ建物でも、向きが違えば景色は違ったわけで。

こんなにスペシャルな部屋に縁をもらえたということは、

なにかにこの場所を使いなさいってことだなとずっと思っていました。

 

これまでも沢山の友人や会社の方々に来てもらって

昼も夜も景色を堪能してもらいましたが、

私が今お呼びしたいのは、

異国での育児に奮闘しているお母さんたち。

 

忙しい夫、

母子だけの時間が長くなりすぎる育児、

異国における各種ストレスや不安、

初めての育児だったらより悩むこともあるでしょう。

いや、二人目だってそれはそれでいらいらすることもあるでしょう。

渡仏することで仕事をやめることになり、

初めて専業主婦になってとまどっている人もいるでしょう。

妊婦さんで体の変化にこれからの出産にとまどっている人もいるでしょう。

 

そんな時、女性は女性同士語り合い、

支え合うことができると思うのです。

 

子どもを安心して床に置いて(これは外のカフェではできない・・) 

パリの景色を見ながら、ゆーっくりお茶を飲んで、

おしゃべりしてほしかったのです。

 

お母さん同士がしゃべれば共感の嵐吹き荒れること間違いなし。

そして、励ましをもらえたり、

経験者に情報や知恵をもらえることもあるでしょう。

 

みんながそれぞれ違う経験をもっているから

みんなが誰かの役に立てると思うのです。 

 

さあ、どなたか来てくださるでしょうか。

もし、パリにお住まいの方がいらしたら、

そして育児中のお母さんがいらしたらご紹介下さるとうれしいです。

(ひとまず今月分の予定のみ書きます) 

 

◆対象

小学生以下のお子さんを持つお母さん。妊婦さん。子連れ大歓迎。

 

◆場所

パリ15区

※詳細はお申込み受付時にメールにてご連絡。

 

◆日時

10月12日(木)10:00-12:00

10月19日(木)10:00-12:00

 

◆定員

各回5組

 

◆参加費

お茶代として3ユーロユーロへ変更しています

 

◆持ち物

いつものお子さんとのお出かけセット

 

◆申し込み方法

cafedesmamansinparis@gmail.com まで

ご自分のお名前、お子さんのお名前と年齢、パリ在住歴、

携帯電話番号、もし分かればどなたからのご紹介かを書いたメールをお送りください。

(定員になり次第締め切らせていただきますね)

NYのマグを持ちたたずむパリジェンヌを見たとき思ったこと

夫の転勤でバルセロナに住むことになり、

その後、思いがけず、ロンドン、パリと

転々とすることとなった我が家。

 

バルセロナ、ロンドン、パリ。

 

へ??

どこかの旅行会社に「欧州三都物語」とかって

名づけられそうな行き先ばかりである。

名前がもつ華やかさったらない。

 

 

バルセロナに引っ越すと言ったら

「いいなあ!今まで旅行した中で一番好きな街だよ」 

と友人は応援してくれた。 

 

 家族旅行でローマに行ったら

「バルセロナから来たの?明るくてビーチがあって、

   あんなにファンタスティコな場所はないよ!」 

とローマの運転手さんは言った。

 

ロンドンへ引越すことになったと言ったら、 

「うらやましい!ここだけの話、私はロンドンが大好きなのよ!」

とスペイン人の友人は言った。

 

パリへ引っ越すことになったと言ったら、 

「PARIS!!!!」

と隣のロンドン婦人は絶叫した。 

 

 

そして、パリにやってきた。

 

ビストロの店先で、タバコを吸っている女性店員さんが

こう書いてあるマグカップを持っていた。

 

  

 

I♡NY

 

 

 

 

 

 

!!!!!!

 

 

 

 

 

そうか、どこに住んでいたって

どこか遠くに憧れるものなんだな。

ここではない、どこかに。

 

 

夏に旅行した南仏の宿には、

ハーレーダビッドソンの額縁が恭しくかけてあったっけ。

 

エレベーターで会ったフランス人に日本人だと言ったら、

「トーキョーって最高にクールだよね」

と熱く言われたこともある。

 

 

 

つまり、、、

 

エッフェル塔も素敵だけど、

コロッセオも、

ビックベンも、

五重塔も、

みんな素敵ってこと。

 

 

マカロンも素敵かもだけど、

スコーンも、

人形焼きも、

アメージングだってこと。

 

 

遠くへの憧れは

人やものを移動させ、インスピレーションを交換し、

新しい文化も形作られてきた。

 

 

でも、ふと思う。

ここだっていいじゃん、と。

 

 

小さい頃から色々な町を転々としてきた。 

そもそも町がじぶんを幸せにしてくれるのだろうか?

 

それは違うと思う。

そこで楽しく暮らそうと覚悟を決めるから楽しくなってくるのだ。

 

 

もし町が幸せを保証してくれるなら、

世界の人が憧れるというパリにいる人は

全員幸せってことになる。

そうは見えない人もいっぱいいる。

 

かくいう私もパリに来た最初の冬は

最高に落ち込んでいた。

家の窓からエッフェル塔が見えたって、

空虚な気持ちがさらに空虚になるだけだった。

 

 

本当の幸せとは

「住む場所でも、持ってるものでも決まらない」

とはっきりわかった。

 

どれだけ心が豊かに、心満たされて

生きていくかということ。

揺れながらも、ゆるぎない世界を

じぶんの心につくれるかということ。

 

地に足を付けて、感覚を開いて、

< いまここ > を感じたとき、

人は誰でも幸せになりえると思う。

 

感じられる心さえあれば、

大切なものはぜんぶ < ここ > にある。 

そんな気がする。

パリジェンヌマラソンに参加してみたら3

スタートしたらパリの石畳を走る。

普段車でしか通れない道を走るのはすこぶる気持ちがいい。

ど真ん中を走ると、景色も違って見える。

左右には並木道。

もう完全に夏は終わって、結構色づき始めている。

ああ、ロンドン時代のご近所のたっぷりの秋の落ち葉が懐かしい。

 

そうこうしているうちにアルマ橋。

今日は車道を走るから、地上ではなく、地下のトンネルに潜る。

 

そのトンネルはまさに

先日20周忌を迎えたダイアナ妃が亡くなった現場。

 

幼心にきれいだなあと思っていたダイアナさん。

大学一年生の夏休み、サークル活動していたら、

同級生が到着するや「ダイアナさんが死んだんだって!」

と教えてくれ衝撃を受けたこと。

大学の卒業旅行でロンドンに立ち寄った際に、

ダイアナさんの輝く笑顔のポストカードを買ったこと、

ロンドン駐在時代、ケンジントン宮殿の

メモリアルプレイグラウンドでこどもを遊ばせ

そこの古い時計台に Time Flies と書いてあって、

育児疲れだった私に何かを教えてくれたことなど思い出しつつ、

2人の子どもを残し逝った女性の冥福を祈ってトンネルを走る。

 

そこから華やかなグランパレを過ぎ、しばらく行くと、

コンコルド広場の中心にそびえるオベリスクが見える。

真正面に見たのは初めて。

コンコルドといえばマリーアントワネット最期の場所だよねえ。

 

沿道には、おそらくママが走っているから応援に来た、

というような父子がいっぱい。

段ボールに「ママがんばって!」と書いてある。

ママやおばあちゃんたちが

自分の家族のもとへ寄って手を振っている。

 

そして、沿道には絶えず、音楽が。

吹奏楽やサンバや、和太鼓の演奏も!

打楽器って元気出ます。 

 

面白いのは、走っている人が演奏グループへ吸い込まれていって、

一緒に踊り出すことがあること。

あ、タイムとかじゃないのね。

止まらないまでも、演奏している人たちに向かって

ランナーがさかんに拍手を送っていたり。

もう走るのなんかあきらめて普通におしゃべりしながら歩いている人も結構いる。

まさに自由。

なんかいいね。

 

そして、パリで一番ゴージャスな橋、アレクサンドル三世橋の奥に、

ナポレオンが眠るアンバリッドのドームがどどーんと目に飛び込んできたとき、

思わず息をのんだ。う、美しい・・・

 

iPhoneをウエストポーチに入れていたが、写真撮る余裕がなかった。

が、

ここだけは取りたいと揺れながらカシャ!

空は厚い雲に覆われて、相変わらずのグレーっぷりだったが、

橋の上の黄金の女神たちはしっかり輝いていた。

 

待ち時間にしゃべりすぎて喉カラっカラの私は、

給水所を心待ちにしていた。

紙コップに向かって突進。手をつっこむ。

持ったはいいが、走りながら飲むのがこんなに難しかったとは。

半分以上口の両脇にこぼれたね( 一一)

 

でもうるおった。

 

角を曲がるとき、赤いトレーナーのお兄ちゃんたちから

「アレ(行け)!トーキョー!」と聞こえてくる。

 

ん??もしや私?

 

振り返ると彼らとばっちし目が合って応援されていた。

パリジェンヌになろうと思ったら、トーキョーって(笑)

 

次は、息子くらいの男の子が2人。

意を決したように手を出してきた。

ボーイズとハイタッチ。

うれしいなあ。元気出るなあ。

 

うん。一人で走るときと全然違う。

まだ〇キロ?じゃなく、もう〇キロ?って思えるくらい、

やっぱり応援されると元気出る。

楽しい!

 

最後のトンネルは真っ暗にカラフルな照明でディスコ状態!

トンネル内にもいた!マイクパフォーマンスのおじさん。

走るパリジェンヌとハイタッチして盛り上げる。

完全ディスコ状態のトンネル内では、セクシーに踊るランナー多発。

いいねラテン。

自由ね。

 

ゴールを目前に娘を発見!

「おかあさん!これ食べて!」とクッキーをパスしてくれる。

たぶん、スタート前に「もうお腹すいた・・」と夫にメールしたからだ(笑)

 

「ありがとう!」

うん、でも、口の中ぱさぱさで食べれない(笑)

娘の愛はいっぱいで。

 

もう終わっちゃうのか。

クッキー持ってゴール!

 

いやー楽しかった!!

まだ行けそう。なんて。

 

娘に会う前にクッキーをほおばる。

遠くに見える息子もうれしそうにぴょんぴょんしている。

母さんがんばったよー!

 

ん?そんな状況って過去にあっただろうか。

お母さんが応援されてるって。

あ、出産のときか。

いや、こどもは見てないか。

お母さん日々色々とやってるんだけどね。

たまには、お母さんに「ザ出番」あるのもいいもんです。

 

ゴールして通路を進むと、メダルや首飾りをくれたり、

水をくれたり、菓子パンくれたり、薔薇までくれたり。

みんなが「おめでとう!」と言ってくれて。

なんかいいことした気分。

 

通路からやっと出れて家族と合流。

寒い中、ありがとうね。

 

帰り道、あたりのビストロやカフェは

ランニングウェアのパリジェンヌで埋まっていた。

 

ネイルして、おしゃれして、適当に並んで、

走って、踊って、歩いて、カフェへ戻る。

 

みんな気楽に、思い思いに楽しんでいた

パリジェンヌマラソン。

悲壮感とは無縁のこの気楽さがなんともいい。

 

運動音痴の三児の母もとっても楽しめました。

誘ってくれたNさん。本当にありがとう!!!

パリジェンヌマラソンに参加してみたら2

大会前日にゼッケンをもらいに行った時も、

エッフェル塔のふもとの大会のためのビラージュ(村)は

えらい騒ぎで。

 

ステージ上ではサンバのリズムでダンスレッスン。

小雨の中、みんな踊りまくってました。

 

テントでエントリー用紙とお医者さんの診断書を渡し、

ゼッケンや協賛グッズの入ったピンクのバッグをもらう。

 

ひとが群がっている壁を見ると、

なんと参加者の名前が石碑のようにびっしり書かれている!!

AーZ順だから子ども達が私の名前を喜んで探すさがす(笑)

 

あった!!!

 

本人より盛り上がるこどもたちと記念写真♪

偉人になった気分(笑)

 

 

当日は、朝食食べて、柔軟して、

バナナ持って出発!

 

誘ってくれたママと早朝のパリを歩く。

エッフェル塔前はすでに巨大画面にDJブース、コースの準備がされている。

例年通りだと、参加者は3万人弱?

女性ばっかり!!

普段こんなにパリで走ってる女性いるっけ?

もしかして走らない人もイベントとして参加しているのかな?

 

フラダンスのような恰好をした団体さん、

勤めているお店のロゴで合わせている若い子たち、

花嫁さんのベールをかぶった真っ赤なネイルのおばあちゃんたち、

スカーフを頭にかわいく巻いている学生さん、

見ていて飽きない。

 

想定タイムの早い遅いで

出発時間が色別に3グループに分かれているのだが、

さすがフランス。全然時間通りじゃない。

 

一番遅いグループで登録した私たちは、

かなり待つこととなった。おしゃべりタイム。

もし一人で参加していたら待ち時間きつかったよね!ってお互いに。

 

スタート付近で3児と待機中の夫からは「いまどこ」メールが頻繁に。

うーむ、まだ到底先だなあ。

3人と待つのも大変だよねえ。

おむつを取ったばかりの末っ子のトイレ事情も気になったり。

 

出発場所まで進む長い列には、あれ?あれ?

先に行くべきピンクグループの人も混じっていて、

「ピンク先に行ってー」と叫ぶ人や

「わたしピンクなんですー」と手首のピンクバンドを突き上げて、

我々みどり集団の中を突き進む人が多発。

日本での大会を知らないけれどなんかこの適当さがフランスっぽいよなあ。

 

ようやくエッフェル塔正面の橋まで来た。

あとは橋を渡り切ったところにあるスタート地点へ。

でも、ひとグループずつ時間を空けて出発だから、ここからも長い。

正面ステージでは大音響の音楽生演奏とマイクパフォーマンス。

 

この日は9月初旬というのに

20度切ってかなり肌寒かったので、

最後の待ち時間は日本人であることも忘れてサンバのリズムで踊る(笑)

迷ったけど、上着持ってきといてよかった!

 

ようやくスタートライン。

早く走りたい!寒いから(笑)

 

メールもらっていた位置に、夫と娘の存在を認識し、

まずはそこへ向かって出発!

寒空で待ちくたびれた末っ子はパパの肩車で文字通りかたまっていた(笑)

お姉ちゃんと息子にハイタッチ!いってくるねー!!

 

いつも子どもを見送っているから、

たまには子どもに見送られるのも悪くない。

 

走り出したら上着は暑くてすぐ腰に巻いた。

パリジェンヌマラソンに参加してみたら1

先日、知人に誘われて、

パリジェンヌマラソンというものに参加しました。

 

距離は6.7キロと短い(!)ですが、

小さい頃から体育の授業と、運動会が苦手という

運動音痴の私としては出ると決めるのには勇気がいりました。

 

大学以来ろくに運動していないし、

3人産んで欧州暮らしで骨密度も低すぎるし(関係ないか笑)、

なにしろ、みっともない姿を見せるのも何かなーと。。

 

でも、これ以上ない絶好のチャンスと思ったんです。

 

今年に入り、コーチングを受けてからちょっとした気づきがあり、

だらだら走りですが、週一回母娘ジョギングしていたこと、 

 

たまたま母娘ジョギング中に出会った知人が

私がジョギングしていることを知って今回誘ってくれたこと、

(私はパリのイベント情報に疎いので自分では申し込むことがない・・)

 

初心者にぴったりの距離の短さと、

仮装などでも楽しむ女性だけの大会だってこと。 

 

 

うん。今でしょ!

 

 

ゴールが決まると、体が動く。

2週間切ってこりゃまずいな、、と

末っ子が託児所行っている間にも一人で走って。

 

走ってると、自分の「へへ、ほほ、へへ、ほほ」という

一定のリズムの呼吸だけが聞こえる。

左手前方には、セーヌ川にたたずむ自由の女神。

 

そのとき、

 

「わたし、いま、ここ、じゆう」

 

そんな言葉が浮かんで、

「運動音痴」とか「かっこわるいかも」なんてことは

どうでもいいことに思えました。

 

今生きてるって感じる幸せ!

常に赤ちゃんを抱いて身動きが取れなかった育児時代から、

人さまへ預かっていただいて、

自分の自由になる時間を確保できる新時代へ。 

育児のフェーズが変わったことも実感。

 

そして、向かいからやってくる文字通り多種多様で

自然体のパリジェンヌたちを見ながら、

最近読んで感銘を受けた

オードリーヘップバーンの短い言葉を思い出す。

 

「どのしわも私が手に入れたもの」

 

そうだ!

シミもしわも白髪もセルライトも妊娠線もぜーんぶ私。

私の歴史。

そのぜーんぶをひっさげて、堂々と私まるだしで走ろう!

って思ったら心から楽しく気持ちいい!!

 

さらには、

 

「わたしは運動しない」

「わたしは根気がない」

「小さいこどもいるし」

 

自分でつくっている勝手な思考の枠ってあったんだなーって。

そういったものよ、さようならー。

 

感覚を開いて、シンプルに今を楽しむ。

 

パリジェンヌマラソンに出るべく、

ジョギングしながらそんなことを思ったのでした。

バルセロナのテロのニュースで考えたこと

2年半子育てをさせてもらったバルセロナでテロが起きた。

よく知っている場所だから、

地元のお友達も多いから、余計に映像が悲しい。 

ついにバルセロナまでいってしまったか。。

 

パリでもロンドンでもテロがあった。

テロのニュースを見る度、ショックと悲しさに襲われる。

同時に、そのあとに人々が見せる連帯にも心打たれてきた。

 

 

ただ、実際に現地で明日からも生活していくとき、

ひとりの母としては、少なからず恐怖心と闘うことになる。

 

思い出すのが、一昨年のパリでの大きなテロのあと。

道すがら出会う人たちが、

なんとなく互いに警戒しているのを感じたものだ。

 

フランス人はテロでも屈せず、

カフェのテラスに座ってる、なんて報道されていたが、

あれだけのことがあってインパクトを受けない人はいない。

 

当時は、レストンラン、カフェ利用も減っているようだったし、

行きたかったサッカーの試合に行くのをやめた、とか

娘の夜の外出を控えさせた、とか

できるだけメトロに乗らないようにしている、とかいう声を聞いた。

 

我が家のマンションの入り口には

ロックのかかった大きなゲートがあるが、

そこでの光景も違っていた。

 

いつもは、自分の背後に一緒に入ろうとする人がいた場合に、

互いに挨拶して入れちゃったりするのだが、

当時は、

 

「これは私の鍵で開けたのよ。

 あなたは一緒に入って来ないで!」

 

とはっきり威嚇しているマダムを見たのも一度ではない。

みんな警戒モード。

 

かくいう私も白状すれば、

ヒジャブをかぶってカートを持つ女性が

バス内でうつむいて座ってたりすると、

胴体におそろしいものを巻いていないか、、なんて、

目でさぐってしまって。

弱い心が生む疑心暗鬼。

 

安全を守るため、

あちこちに銃を構えた兵士が集団で歩いている。

それが普通になってしまった日常。

 

スーパーやショッピングセンターの入り口では

カバンを開けるだけではなく、

女性もコートの中を見せねばならなかった。

 

店内は、クリスマス前の華やかなデコレーション。

それなりの人込み。

でも、その光景の中にあって、

 

「もし、爆発があったらどこに逃げようか」

「家族が離れないようにくっついていよう」

 

などとつい考えてしまう。

 

だめだ。悪いことは考えないことだ。

子どもに悟られてはいけない。

むやみに怖がらせるものではない。

笑顔、笑顔。

 

夫は全く動じていなかったので、

これは危険察知に長けた?女性脳特有の心配だったのかも知れない。

 

「何かが起こった時に、一緒にいる子ども3人を

 どうやって守るか。守れるのか?」

 

それを考えながらの外出。

一言でいうと疲れる。

ストレスである。

 

何より人間の根底にある善良性を信じて生きてきた人間にとって

人を疑うということ自体が苦しく、気持ちが塞ぐことだった。

 

だから、できるだけ路上でも笑顔を心がけた。

前から歩いてくる人と目と目があって、

温かく微笑みあうと大丈夫だと守られている気持ちになった。

人は人に癒される。

 

 

こういった緊張感を味わうと、

自分の外の世界のことを本気で考える。

 

先進国にあって、

この事態だけでもストレスだというのに、

いま、戦争、内乱、圧政に苦しんでいる国の女性と子どもたちは

どんな辛い状況下で生きているのだろう。

 

同じ時代に、

温かなベッドで、爆撃の心配なく、子どもの寝息を聞くことができる私と、

考えられない恐怖の中で、我が子をひしと抱いている母たち。

 

そして、想像は広がる。

同じ日本でも、時計を少し前に戻せば、

防空壕で我が子の泣き声を

つらい手段で黙らせねばならなかった母だっていたのだ。

 

タイムスリップ。

涙が出てきて、ふと我に帰る。

 

 

こんなこと考えても仕方がないだろうか。

私はそうは思わない。

 

戦争もテロも自然災害ではなく、

人間のすることだ。

人間は歴史に、記憶に、学ぶことができる。

 

そして何より、世界は完全に繋がっている。

いつかの誰かがしたことが、どこかの誰かに跳ね返ることがある。

弱い立場の人たちが巻き込まれる。

 

だから、テロってこわいね、嫌だね、で終わらずに、

バルセロナに住む友人の言葉を借りて

「世界への想像力を持つこと」をやめないでいたい。

 

想像し、実感して、

じぶんも世界の構成員であることを意識したい。

 

 

そして、

テロに対して、ひとりの母親としてできること。

 

それはすごく簡単に言うと、

<楽しく育児>していくことなんじゃないだろうか。

 

げらげらと笑い合うこと。

ぎゅうっと抱きしめ、あったかさを感じあうこと。

子どもの個性をそのまんま受けとめること。

 

子育てを通して、

そうやって人間どうしの愛情を交換していくこと。

 

夫婦喧嘩しても、折り合う姿を見せ、

暴力ではなく、コミュニケーションによって、

調和のある世界が築けることを子どもたちに見せること。

 

たとえ誰かと離別するようなことがあっても、

ネガティヴな感情に執着せず、

新たな人生をたくましく生きる姿を見せること。

 

悲しさの先の希望を語ること。

人間の良心を信じること。

世界が楽しいところだと感じさせること。

 

ぜんぶぜんぶ子どもの心に希望の種を与えるものだ。

 

そう考えると、

私たち母親は社会から遠い存在ではない。

出発点とさえいえる。

 

未来のよりよい世界を担う「こども」という人材を

それぞれの家庭で育てているのだ。

子育ても、立派な<社会貢献>である。

 

 

また、外に出て、色々な国の色々な人を見ていると、

日本人の「平和」と「調和」を愛する心は、

(日本では、そのこと自体、忘れてしまうほど普通であっても)

世界にとっては貴重なのだとつくづく感じている。

 

となると、、、

 

ニッポンのお母さんってある意味、

よりよい未来をつくる使者を育ててる!?

 

 

話が飛躍してしまいました、、

 

 

よりよい社会をつくるには、

まずは、じぶんから。

 

自分でじぶんを受け入れよう。

<今を生きるよろこび>を素直に感じ、恐れず謳歌しよう。

多様なものを受け入れよう。

 

家庭に笑顔を。

自分の身近な人との関係性に平和を。

 

それが私なりの、世界で起こる争いへの抵抗です。

 

 

今、友人から聞くバルセロナの人々の

連帯と愛ある行動に、感動しています。

 

亡くなった方々のご冥福と

被害を受けた方々の回復を祈ります。

2歳児に教えてもらったリフレインすることの威力

私は母に「口から生まれてきた」と評されるほど、

よくしゃべる。

 

働いていたときは、

しゃべる仕事だったからそれが功を奏したかもしれないが、

育児においては、それが災いして、

子どもの話にもうっかり口をはさみがちだ。

 

 「え?それってだれが?」

 「はいはい、そのことね」

 「えーそれくらいがんばんなさいよ」

 

心の声が身内にはどんどん出る。

 

意識すればキャッチボールできるのに、

日常生活では、

子どもの声を受け止める余裕より、

私忙しいのよ、

何が言いたいのか結果を聞かせてくれ、

という感じ全開・・・

 

 

たとえば子どもが転んで泣いてしまったような時、

みなさんはどう声をかけますか?

 

私はかつて、 

 「大丈夫、大丈夫!」とか

 「いたいのいたいの飛んでいけー!」とか

 

抱っこしつつも、

いかに早急にポジティブにもっていくか?という発想で、

言葉が出ていたと思う。

 

 「あ!あれは何だろう?」

 

みたいな場面転換の言葉 とか 笑

(↑ 結構使えるけど)

 

でも、ポジティブな言葉を発しても、

場面転換の言葉を発しても、

こどもは「いたいよー」とか「ちがーうー」とか

案外、泣いていたような気もするのです。

 

で、最近、

相手の気持ちがすっと収まる、

もっといい方法があると気付きました。

 

教えてくれたのは、我が家の3番目。末っ子。2歳児。

彼は非常にコミュニケーション上手。

 

たとえば、私が何かにつまづいてイタッ!と言う。

 

すると、末っ子は、

 

「おかーさん、いたいの?」と聞く。

 

「うん」と答えると、

 

彼はしみじみとこう言う。

 

「そ~かあ~いたいかあ~」

 

これが言われてみると分かるのだが、

なーんとも心地いい!

 

その気持ちをあえて言葉にすると、

「そうなんだよ~気持ちに寄り添ってくれてありがとう!」という感じ。

 

転んで泣いた子どもも、

こうやって「そっか~いたかったか~」 って

ただ受け止めてもらいたかったのかもなあ・・

なんて思うわけです。 

 

 

また、ある時には、

キッチンの食洗器に食器をしまい終わると、

とことことやってきて、

 

「おかーさん、おわった?」と聞く。

 

「終わったよ」と答えると、

 

「そ~かあ~おわったかあ~」と。

 

小刻みにうなずきながらにこにこしている息子。

 

 

息子の言葉に、

「うんそうだよ、おわったよ」とまた心で答えて、

それがなんとも癒される。

 

なぜこんなに癒されるのだろう。

それは、末っ子の言葉に否定も肯定も

<ジャッジがない> からじゃないだろうか。

 

自分の言葉をそのままリフレインされることによって、

じぶんの在りようをすぽーんと

<そのまんま 受けとめてもらった>気持ちになるのです。

 

 

そういえば6年ほど前に

幼稚園で申し込んだ母親セミナーがあって、

コミュニケーションにおいて「オウム返し」が

いかに有効かという話を聞いていたのだった・・・汗。

 

その講師の方がおっしゃっていた例が、

面白いのでご紹介。

運動会の練習で疲れて帰宅した小学生の息子との会話。

 

  子:「おかーさーん、つかれたあーー」(玄関にて)

 

に対して

たいていの母親が何というか。

 

 

 

 

 母:「いいから手を洗いなさい」(リビングから)

 

 

 

 

母たち爆笑!

うん、あるある!!

でも、よく会話を見てみると、全然かみ合ってない!(笑)

 

こうしたらどうだろう。

 

 子:「おかあさん、つかれたー」

 

 

 母:「そうかあ、つかれたかー」 

 

「手洗ってね」はそのあとでいいのだと。 

子どもの目線で会話を見てみると、

後者の会話は気持ちがスーッとしませんか?

 

 

 

で、、、おそるべし我が末っ子。

 

 「そ~か~いたいか~」

 「そ~か~おわったか~」

 「そ~か~おもしろいか~」

 

自然体で、母に、

6年前の話を実感として思い出させてくれたわけです。

 

リフレインは、

言葉の発達段階にあるものの常なのかも知れないけれど、

実際に言われてみるとその威力がよく分かります。

とにかく ものすごい「包容力」デス!!

  

だから私も、こどもたちが何かを訴えてきたとき、

 

 「それはこうだからでしょ」とか

 「こうすればいいじゃない」とか

 「いいからこれしなさい」とかって

 

会話を打ち返す前に、

意識的にワンクッション入れるようにしている。

 

 「そうかあ。そうだったかあ~」 

 「そうかあ。そうだねえ~」

 

これで子どもがムスッとしたことは一度もない。

コミュニケーションがスムーズにいくコツです。

 

ぜひみなさんもお子さんの言葉、

そのまんまリフレインしてみてくださいね。

(できるときだけで大丈夫!) 

 

自分の気持ちをそのまーんま受けとめられた子が、

う、うん!って

落ち着く姿を見れると思います。