3児のママが見たヨーロッパ

バルセロナ・ロンドン・パリで暮らしてきた3児の母からの欧州の風便り。長年の主婦生活で抱えていたいらいら&もやもやをコーチングがきっかけで払拭。あなたはあなたのままでいい。みんなちがってみんないい。一緒に「よい母親」より「幸せな母親」になりましょう。

NYのマグを持ちたたずむパリジェンヌを見たとき思ったこと

夫の転勤でバルセロナに住むことになり、

その後、思いがけず、ロンドン、パリと

転々とすることとなった我が家。

 

バルセロナ、ロンドン、パリ。

 

へ??

どこかの旅行会社に「欧州三都物語」とかって

名づけられそうな行き先ばかりである。

名前がもつ華やかさったらない。

 

 

バルセロナに引っ越すと言ったら

「いいなあ!今まで旅行した中で一番好きな街だよ」 

と友人は応援してくれた。 

 

 家族旅行でローマに行ったら

「バルセロナから来たの?明るくてビーチがあって、

   あんなにファンタスティコな場所はないよ!」 

とローマの運転手さんは言った。

 

ロンドンへ引越すことになったと言ったら、 

「うらやましい!ここだけの話、私はロンドンが大好きなのよ!」

とスペイン人の友人は言った。

 

パリへ引っ越すことになったと言ったら、 

「PARIS!!!!」

と隣のロンドン婦人は絶叫した。 

 

 

そして、パリにやってきた。

 

ビストロの店先で、タバコを吸っている女性店員さんが

こう書いてあるマグカップを持っていた。

 

  

 

I♡NY

 

 

 

 

 

 

!!!!!!

 

 

 

 

 

そうか、どこに住んでいたって

どこか遠くに憧れるものなんだな。

ここではない、どこかに。

 

 

夏に旅行した南仏の宿には、

ハーレーダビッドソンの額縁が恭しくかけてあったっけ。

 

エレベーターで会ったフランス人に日本人だと言ったら、

「トーキョーって最高にクールだよね」

と熱く言われたこともある。

 

 

 

つまり、、、

 

エッフェル塔も素敵だけど、

コロッセオも、

ビックベンも、

五重塔も、

みんな素敵ってこと。

 

 

マカロンも素敵かもだけど、

スコーンも、

人形焼きも、

アメージングだってこと。

 

 

遠くへの憧れは

人やものを移動させ、インスピレーションを交換し、

新しい文化も形作られてきた。

 

 

でも、ふと思う。

ここだっていいじゃん、と。

 

 

小さい頃から色々な町を転々としてきた。 

そもそも町がじぶんを幸せにしてくれるのだろうか?

 

それは違うと思う。

そこで楽しく暮らそうと覚悟を決めるから楽しくなってくるのだ。

 

 

もし町が幸せを保証してくれるなら、

世界の人が憧れるというパリにいる人は

全員幸せってことになる。

そうは見えない人もいっぱいいる。

 

かくいう私もパリに来た最初の冬は

最高に落ち込んでいた。

家の窓からエッフェル塔が見えたって、

空虚な気持ちがさらに空虚になるだけだった。

 

 

本当の幸せとは

「住む場所でも、持ってるものでも決まらない」

とはっきりわかった。

 

どれだけ心が豊かに、心満たされて

生きていくかということ。

揺れながらも、ゆるぎない世界を

じぶんの心につくれるかということ。

 

地に足を付けて、感覚を開いて、

< いまここ > を感じたとき、

人は誰でも幸せになりえると思う。

 

感じられる心さえあれば、

大切なものはぜんぶ < ここ > にある。 

そんな気がする。

パリジェンヌマラソンに参加してみたら3

スタートしたらパリの石畳を走る。

普段車でしか通れない道を走るのはすこぶる気持ちがいい。

ど真ん中を走ると、景色も違って見える。

左右には並木道。

もう完全に夏は終わって、結構色づき始めている。

ああ、ロンドン時代のご近所のたっぷりの秋の落ち葉が懐かしい。

 

そうこうしているうちにアルマ橋。

今日は車道を走るから、地上ではなく、地下のトンネルに潜る。

 

そのトンネルはまさに

先日20周忌を迎えたダイアナ妃が亡くなった現場。

 

幼心にきれいだなあと思っていたダイアナさん。

大学一年生の夏休み、サークル活動していたら、

同級生が到着するや「ダイアナさんが死んだんだって!」

と教えてくれ衝撃を受けたこと。

大学の卒業旅行でロンドンに立ち寄った際に、

ダイアナさんの輝く笑顔のポストカードを買ったこと、

ロンドン駐在時代、ケンジントン宮殿の

メモリアルプレイグラウンドでこどもを遊ばせ

そこの古い時計台に Time Flies と書いてあって、

育児疲れだった私に何かを教えてくれたことなど思い出しつつ、

2人の子どもを残し逝った女性の冥福を祈ってトンネルを走る。

 

そこから華やかなグランパレを過ぎ、しばらく行くと、

コンコルド広場の中心にそびえるオベリスクが見える。

真正面に見たのは初めて。

コンコルドといえばマリーアントワネット最期の場所だよねえ。

 

沿道には、おそらくママが走っているから応援に来た、

というような父子がいっぱい。

段ボールに「ママがんばって!」と書いてある。

ママやおばあちゃんたちが

自分の家族のもとへ寄って手を振っている。

 

そして、沿道には絶えず、音楽が。

吹奏楽やサンバや、和太鼓の演奏も!

打楽器って元気出ます。 

 

面白いのは、走っている人が演奏グループへ吸い込まれていって、

一緒に踊り出すことがあること。

あ、タイムとかじゃないのね。

止まらないまでも、演奏している人たちに向かって

ランナーがさかんに拍手を送っていたり。

もう走るのなんかあきらめて普通におしゃべりしながら歩いている人も結構いる。

まさに自由。

なんかいいね。

 

そして、パリで一番ゴージャスな橋、アレクサンドル三世橋の奥に、

ナポレオンが眠るアンバリッドのドームがどどーんと目に飛び込んできたとき、

思わず息をのんだ。う、美しい・・・

 

iPhoneをウエストポーチに入れていたが、写真撮る余裕がなかった。

が、

ここだけは取りたいと揺れながらカシャ!

空は厚い雲に覆われて、相変わらずのグレーっぷりだったが、

橋の上の黄金の女神たちはしっかり輝いていた。

 

待ち時間にしゃべりすぎて喉カラっカラの私は、

給水所を心待ちにしていた。

紙コップに向かって突進。手をつっこむ。

持ったはいいが、走りながら飲むのがこんなに難しかったとは。

半分以上口の両脇にこぼれたね( 一一)

 

でもうるおった。

 

角を曲がるとき、赤いトレーナーのお兄ちゃんたちから

「アレ(行け)!トーキョー!」と聞こえてくる。

 

ん??もしや私?

 

振り返ると彼らとばっちし目が合って応援されていた。

パリジェンヌになろうと思ったら、トーキョーって(笑)

 

次は、息子くらいの男の子が2人。

意を決したように手を出してきた。

ボーイズとハイタッチ。

うれしいなあ。元気出るなあ。

 

うん。一人で走るときと全然違う。

まだ〇キロ?じゃなく、もう〇キロ?って思えるくらい、

やっぱり応援されると元気出る。

楽しい!

 

最後のトンネルは真っ暗にカラフルな照明でディスコ状態!

トンネル内にもいた!マイクパフォーマンスのおじさん。

走るパリジェンヌとハイタッチして盛り上げる。

完全ディスコ状態のトンネル内では、セクシーに踊るランナー多発。

いいねラテン。

自由ね。

 

ゴールを目前に娘を発見!

「おかあさん!これ食べて!」とクッキーをパスしてくれる。

たぶん、スタート前に「もうお腹すいた・・」と夫にメールしたからだ(笑)

 

「ありがとう!」

うん、でも、口の中ぱさぱさで食べれない(笑)

娘の愛はいっぱいで。

 

もう終わっちゃうのか。

クッキー持ってゴール!

 

いやー楽しかった!!

まだ行けそう。なんて。

 

娘に会う前にクッキーをほおばる。

遠くに見える息子もうれしそうにぴょんぴょんしている。

母さんがんばったよー!

 

ん?そんな状況って過去にあっただろうか。

お母さんが応援されてるって。

あ、出産のときか。

いや、こどもは見てないか。

お母さん日々色々とやってるんだけどね。

たまには、お母さんに「ザ出番」あるのもいいもんです。

 

ゴールして通路を進むと、メダルや首飾りをくれたり、

水をくれたり、菓子パンくれたり、薔薇までくれたり。

みんなが「おめでとう!」と言ってくれて。

なんかいいことした気分。

 

通路からやっと出れて家族と合流。

寒い中、ありがとうね。

 

帰り道、あたりのビストロやカフェは

ランニングウェアのパリジェンヌで埋まっていた。

 

ネイルして、おしゃれして、適当に並んで、

走って、踊って、歩いて、カフェへ戻る。

 

みんな気楽に、思い思いに楽しんでいた

パリジェンヌマラソン。

悲壮感とは無縁のこの気楽さがなんともいい。

 

運動音痴の三児の母もとっても楽しめました。

誘ってくれたNさん。本当にありがとう!!!

パリジェンヌマラソンに参加してみたら2

大会前日にゼッケンをもらいに行った時も、

エッフェル塔のふもとの大会のためのビラージュ(村)は

えらい騒ぎで。

 

ステージ上ではサンバのリズムでダンスレッスン。

小雨の中、みんな踊りまくってました。

 

テントでエントリー用紙とお医者さんの診断書を渡し、

ゼッケンや協賛グッズの入ったピンクのバッグをもらう。

 

ひとが群がっている壁を見ると、

なんと参加者の名前が石碑のようにびっしり書かれている!!

AーZ順だから子ども達が私の名前を喜んで探すさがす(笑)

 

あった!!!

 

本人より盛り上がるこどもたちと記念写真♪

偉人になった気分(笑)

 

 

当日は、朝食食べて、柔軟して、

バナナ持って出発!

 

誘ってくれたママと早朝のパリを歩く。

エッフェル塔前はすでに巨大画面にDJブース、コースの準備がされている。

例年通りだと、参加者は3万人弱?

女性ばっかり!!

普段こんなにパリで走ってる女性いるっけ?

もしかして走らない人もイベントとして参加しているのかな?

 

フラダンスのような恰好をした団体さん、

勤めているお店のロゴで合わせている若い子たち、

花嫁さんのベールをかぶった真っ赤なネイルのおばあちゃんたち、

スカーフを頭にかわいく巻いている学生さん、

見ていて飽きない。

 

想定タイムの早い遅いで

出発時間が色別に3グループに分かれているのだが、

さすがフランス。全然時間通りじゃない。

 

一番遅いグループで登録した私たちは、

かなり待つこととなった。おしゃべりタイム。

もし一人で参加していたら待ち時間きつかったよね!ってお互いに。

 

スタート付近で3児と待機中の夫からは「いまどこ」メールが頻繁に。

うーむ、まだ到底先だなあ。

3人と待つのも大変だよねえ。

おむつを取ったばかりの末っ子のトイレ事情も気になったり。

 

出発場所まで進む長い列には、あれ?あれ?

先に行くべきピンクグループの人も混じっていて、

「ピンク先に行ってー」と叫ぶ人や

「わたしピンクなんですー」と手首のピンクバンドを突き上げて、

我々みどり集団の中を突き進む人が多発。

日本での大会を知らないけれどなんかこの適当さがフランスっぽいよなあ。

 

ようやくエッフェル塔正面の橋まで来た。

あとは橋を渡り切ったところにあるスタート地点へ。

でも、ひとグループずつ時間を空けて出発だから、ここからも長い。

正面ステージでは大音響の音楽生演奏とマイクパフォーマンス。

 

この日は9月初旬というのに

20度切ってかなり肌寒かったので、

最後の待ち時間は日本人であることも忘れてサンバのリズムで踊る(笑)

迷ったけど、上着持ってきといてよかった!

 

ようやくスタートライン。

早く走りたい!寒いから(笑)

 

メールもらっていた位置に、夫と娘の存在を認識し、

まずはそこへ向かって出発!

寒空で待ちくたびれた末っ子はパパの肩車で文字通りかたまっていた(笑)

お姉ちゃんと息子にハイタッチ!いってくるねー!!

 

いつも子どもを見送っているから、

たまには子どもに見送られるのも悪くない。

 

走り出したら上着は暑くてすぐ腰に巻いた。

パリジェンヌマラソンに参加してみたら1

先日、知人に誘われて、

パリジェンヌマラソンというものに参加しました。

 

距離は6.7キロと短い(!)ですが、

小さい頃から体育の授業と、運動会が苦手という

運動音痴の私としては出ると決めるのには勇気がいりました。

 

大学以来ろくに運動していないし、

3人産んで欧州暮らしで骨密度も低すぎるし(関係ないか笑)、

なにしろ、みっともない姿を見せるのも何かなーと。。

 

でも、これ以上ない絶好のチャンスと思ったんです。

 

今年に入り、コーチングを受けてからちょっとした気づきがあり、

だらだら走りですが、週一回母娘ジョギングしていたこと、 

 

たまたま母娘ジョギング中に出会った知人が

私がジョギングしていることを知って今回誘ってくれたこと、

(私はパリのイベント情報に疎いので自分では申し込むことがない・・)

 

初心者にぴったりの距離の短さと、

仮装などでも楽しむ女性だけの大会だってこと。 

 

 

うん。今でしょ!

 

 

ゴールが決まると、体が動く。

2週間切ってこりゃまずいな、、と

末っ子が託児所行っている間にも一人で走って。

 

走ってると、自分の「へへ、ほほ、へへ、ほほ」という

一定のリズムの呼吸だけが聞こえる。

左手前方には、セーヌ川にたたずむ自由の女神。

 

そのとき、

 

「わたし、いま、ここ、じゆう」

 

そんな言葉が浮かんで、

「運動音痴」とか「かっこわるいかも」なんてことは

どうでもいいことに思えました。

 

今生きてるって感じる幸せ!

常に赤ちゃんを抱いて身動きが取れなかった育児時代から、

人さまへ預かっていただいて、

自分の自由になる時間を確保できる新時代へ。 

育児のフェーズが変わったことも実感。

 

そして、向かいからやってくる文字通り多種多様で

自然体のパリジェンヌたちを見ながら、

最近読んで感銘を受けた

オードリーヘップバーンの短い言葉を思い出す。

 

「どのしわも私が手に入れたもの」

 

そうだ!

シミもしわも白髪もセルライトも妊娠線もぜーんぶ私。

私の歴史。

そのぜーんぶをひっさげて、堂々と私まるだしで走ろう!

って思ったら心から楽しく気持ちいい!!

 

さらには、

 

「わたしは運動しない」

「わたしは根気がない」

「小さいこどもいるし」

 

自分でつくっている勝手な思考の枠ってあったんだなーって。

そういったものよ、さようならー。

 

感覚を開いて、シンプルに今を楽しむ。

 

パリジェンヌマラソンに出るべく、

ジョギングしながらそんなことを思ったのでした。

バルセロナのテロのニュースで考えたこと

2年半子育てをさせてもらったバルセロナでテロが起きた。

よく知っている場所だから、

地元のお友達も多いから、余計に映像が悲しい。 

ついにバルセロナまでいってしまったか。。

 

パリでもロンドンでもテロがあった。

テロのニュースを見る度、ショックと悲しさに襲われる。

同時に、そのあとに人々が見せる連帯にも心打たれてきた。

 

 

ただ、実際に現地で明日からも生活していくとき、

ひとりの母としては、少なからず恐怖心と闘うことになる。

 

思い出すのが、一昨年のパリでの大きなテロのあと。

道すがら出会う人たちが、

なんとなく互いに警戒しているのを感じたものだ。

 

フランス人はテロでも屈せず、

カフェのテラスに座ってる、なんて報道されていたが、

あれだけのことがあってインパクトを受けない人はいない。

 

当時は、レストンラン、カフェ利用も減っているようだったし、

行きたかったサッカーの試合に行くのをやめた、とか

娘の夜の外出を控えさせた、とか

できるだけメトロに乗らないようにしている、とかいう声を聞いた。

 

我が家のマンションの入り口には

ロックのかかった大きなゲートがあるが、

そこでの光景も違っていた。

 

いつもは、自分の背後に一緒に入ろうとする人がいた場合に、

互いに挨拶して入れちゃったりするのだが、

当時は、

 

「これは私の鍵で開けたのよ。

 あなたは一緒に入って来ないで!」

 

とはっきり威嚇しているマダムを見たのも一度ではない。

みんな警戒モード。

 

かくいう私も白状すれば、

ヒジャブをかぶってカートを持つ女性が

バス内でうつむいて座ってたりすると、

胴体におそろしいものを巻いていないか、、なんて、

目でさぐってしまって。

弱い心が生む疑心暗鬼。

 

安全を守るため、

あちこちに銃を構えた兵士が集団で歩いている。

それが普通になってしまった日常。

 

スーパーやショッピングセンターの入り口では

カバンを開けるだけではなく、

女性もコートの中を見せねばならなかった。

 

店内は、クリスマス前の華やかなデコレーション。

それなりの人込み。

でも、その光景の中にあって、

 

「もし、爆発があったらどこに逃げようか」

「家族が離れないようにくっついていよう」

 

などとつい考えてしまう。

 

だめだ。悪いことは考えないことだ。

子どもに悟られてはいけない。

むやみに怖がらせるものではない。

笑顔、笑顔。

 

夫は全く動じていなかったので、

これは危険察知に長けた?女性脳特有の心配だったのかも知れない。

 

「何かが起こった時に、一緒にいる子ども3人を

 どうやって守るか。守れるのか?」

 

それを考えながらの外出。

一言でいうと疲れる。

ストレスである。

 

何より人間の根底にある善良性を信じて生きてきた人間にとって

人を疑うということ自体が苦しく、気持ちが塞ぐことだった。

 

だから、できるだけ路上でも笑顔を心がけた。

前から歩いてくる人と目と目があって、

温かく微笑みあうと大丈夫だと守られている気持ちになった。

人は人に癒される。

 

 

こういった緊張感を味わうと、

自分の外の世界のことを本気で考える。

 

先進国にあって、

この事態だけでもストレスだというのに、

いま、戦争、内乱、圧政に苦しんでいる国の女性と子どもたちは

どんな辛い状況下で生きているのだろう。

 

同じ時代に、

温かなベッドで、爆撃の心配なく、子どもの寝息を聞くことができる私と、

考えられない恐怖の中で、我が子をひしと抱いている母たち。

 

そして、想像は広がる。

同じ日本でも、時計を少し前に戻せば、

防空壕で我が子の泣き声を

つらい手段で黙らせねばならなかった母だっていたのだ。

 

タイムスリップ。

涙が出てきて、ふと我に帰る。

 

 

こんなこと考えても仕方がないだろうか。

私はそうは思わない。

 

戦争もテロも自然災害ではなく、

人間のすることだ。

人間は歴史に、記憶に、学ぶことができる。

 

そして何より、世界は完全に繋がっている。

いつかの誰かがしたことが、どこかの誰かに跳ね返ることがある。

弱い立場の人たちが巻き込まれる。

 

だから、テロってこわいね、嫌だね、で終わらずに、

バルセロナに住む友人の言葉を借りて

「世界への想像力を持つこと」をやめないでいたい。

 

想像し、実感して、

じぶんも世界の構成員であることを意識したい。

 

 

そして、

テロに対して、ひとりの母親としてできること。

 

それはすごく簡単に言うと、

<楽しく育児>していくことなんじゃないだろうか。

 

げらげらと笑い合うこと。

ぎゅうっと抱きしめ、あったかさを感じあうこと。

子どもの個性をそのまんま受けとめること。

 

子育てを通して、

そうやって人間どうしの愛情を交換していくこと。

 

夫婦喧嘩しても、折り合う姿を見せ、

暴力ではなく、コミュニケーションによって、

調和のある世界が築けることを子どもたちに見せること。

 

たとえ誰かと離別するようなことがあっても、

ネガティヴな感情に執着せず、

新たな人生をたくましく生きる姿を見せること。

 

悲しさの先の希望を語ること。

人間の良心を信じること。

世界が楽しいところだと感じさせること。

 

ぜんぶぜんぶ子どもの心に希望の種を与えるものだ。

 

そう考えると、

私たち母親は社会から遠い存在ではない。

出発点とさえいえる。

 

未来のよりよい世界を担う「こども」という人材を

それぞれの家庭で育てているのだ。

子育ても、立派な<社会貢献>である。

 

 

また、外に出て、色々な国の色々な人を見ていると、

日本人の「平和」と「調和」を愛する心は、

(日本では、そのこと自体、忘れてしまうほど普通であっても)

世界にとっては貴重なのだとつくづく感じている。

 

となると、、、

 

ニッポンのお母さんってある意味、

よりよい未来をつくる使者を育ててる!?

 

 

話が飛躍してしまいました、、

 

 

よりよい社会をつくるには、

まずは、じぶんから。

 

自分でじぶんを受け入れよう。

<今を生きるよろこび>を素直に感じ、恐れず謳歌しよう。

多様なものを受け入れよう。

 

家庭に笑顔を。

自分の身近な人との関係性に平和を。

 

それが私なりの、世界で起こる争いへの抵抗です。

 

 

今、友人から聞くバルセロナの人々の

連帯と愛ある行動に、感動しています。

 

亡くなった方々のご冥福と

被害を受けた方々の回復を祈ります。

2歳児に教えてもらったリフレインすることの威力

私は母に「口から生まれてきた」と評されるほど、

よくしゃべる。

 

働いていたときは、

しゃべる仕事だったからそれが功を奏したかもしれないが、

育児においては、それが災いして、

子どもの話にもうっかり口をはさみがちだ。

 

 「え?それってだれが?」

 「はいはい、そのことね」

 「えーそれくらいがんばんなさいよ」

 

心の声が身内にはどんどん出る。

 

意識すればキャッチボールできるのに、

日常生活では、

子どもの声を受け止める余裕より、

私忙しいのよ、

何が言いたいのか結果を聞かせてくれ、

という感じ全開・・・

 

 

たとえば子どもが転んで泣いてしまったような時、

みなさんはどう声をかけますか?

 

私はかつて、 

 「大丈夫、大丈夫!」とか

 「いたいのいたいの飛んでいけー!」とか

 

抱っこしつつも、

いかに早急にポジティブにもっていくか?という発想で、

言葉が出ていたと思う。

 

 「あ!あれは何だろう?」

 

みたいな場面転換の言葉 とか 笑

(↑ 結構使えるけど)

 

でも、ポジティブな言葉を発しても、

場面転換の言葉を発しても、

こどもは「いたいよー」とか「ちがーうー」とか

案外、泣いていたような気もするのです。

 

で、最近、

相手の気持ちがすっと収まる、

もっといい方法があると気付きました。

 

教えてくれたのは、我が家の3番目。末っ子。2歳児。

彼は非常にコミュニケーション上手。

 

たとえば、私が何かにつまづいてイタッ!と言う。

 

すると、末っ子は、

 

「おかーさん、いたいの?」と聞く。

 

「うん」と答えると、

 

彼はしみじみとこう言う。

 

「そ~かあ~いたいかあ~」

 

これが言われてみると分かるのだが、

なーんとも心地いい!

 

その気持ちをあえて言葉にすると、

「そうなんだよ~気持ちに寄り添ってくれてありがとう!」という感じ。

 

転んで泣いた子どもも、

こうやって「そっか~いたかったか~」 って

ただ受け止めてもらいたかったのかもなあ・・

なんて思うわけです。 

 

 

また、ある時には、

キッチンの食洗器に食器をしまい終わると、

とことことやってきて、

 

「おかーさん、おわった?」と聞く。

 

「終わったよ」と答えると、

 

「そ~かあ~おわったかあ~」と。

 

小刻みにうなずきながらにこにこしている息子。

 

 

息子の言葉に、

「うんそうだよ、おわったよ」とまた心で答えて、

それがなんとも癒される。

 

なぜこんなに癒されるのだろう。

それは、末っ子の言葉に否定も肯定も

<ジャッジがない> からじゃないだろうか。

 

自分の言葉をそのままリフレインされることによって、

じぶんの在りようをすぽーんと

<そのまんま 受けとめてもらった>気持ちになるのです。

 

 

そういえば6年ほど前に

幼稚園で申し込んだ母親セミナーがあって、

コミュニケーションにおいて「オウム返し」が

いかに有効かという話を聞いていたのだった・・・汗。

 

その講師の方がおっしゃっていた例が、

面白いのでご紹介。

運動会の練習で疲れて帰宅した小学生の息子との会話。

 

  子:「おかーさーん、つかれたあーー」(玄関にて)

 

に対して

たいていの母親が何というか。

 

 

 

 

 母:「いいから手を洗いなさい」(リビングから)

 

 

 

 

母たち爆笑!

うん、あるある!!

でも、よく会話を見てみると、全然かみ合ってない!(笑)

 

こうしたらどうだろう。

 

 子:「おかあさん、つかれたー」

 

 

 母:「そうかあ、つかれたかー」 

 

「手洗ってね」はそのあとでいいのだと。 

子どもの目線で会話を見てみると、

後者の会話は気持ちがスーッとしませんか?

 

 

 

で、、、おそるべし我が末っ子。

 

 「そ~か~いたいか~」

 「そ~か~おわったか~」

 「そ~か~おもしろいか~」

 

自然体で、母に、

6年前の話を実感として思い出させてくれたわけです。

 

リフレインは、

言葉の発達段階にあるものの常なのかも知れないけれど、

実際に言われてみるとその威力がよく分かります。

とにかく ものすごい「包容力」デス!!

  

だから私も、こどもたちが何かを訴えてきたとき、

 

 「それはこうだからでしょ」とか

 「こうすればいいじゃない」とか

 「いいからこれしなさい」とかって

 

会話を打ち返す前に、

意識的にワンクッション入れるようにしている。

 

 「そうかあ。そうだったかあ~」 

 「そうかあ。そうだねえ~」

 

これで子どもがムスッとしたことは一度もない。

コミュニケーションがスムーズにいくコツです。

 

ぜひみなさんもお子さんの言葉、

そのまんまリフレインしてみてくださいね。

(できるときだけで大丈夫!) 

 

自分の気持ちをそのまーんま受けとめられた子が、

う、うん!って

落ち着く姿を見れると思います。

息子とのデートで分かった「母が自分のためだけにそこにいる」ということの威力

こどもが複数いると、

上の子にこそ手をかけるべきだとか、

たまには上の子どもだけとの時間も大切だ、とか

そういうことを聞く。

 

そうだよなあ、そうできたらいいよなあ、と思うのだが、

実際、日々のこどもとの生活では、

 

「いかにこども全員の生活のリズムを崩さずに、

色々なルーティンを終えられるか」

 

という価値観が第一となりがちだ。

 

だって、規則正しく生活することが

子どもの明日のご機嫌や健康状態に影響することを

母親は経験的に知っているから。

 

寝不足だとぐずる、

免疫が下がって病気をもらう、

翌日の夕方あたりには機嫌が最悪、

予定をこなすことができない、

 

それを避けるための、

明日の自分を楽にするための、今日の生活、という感じ。

 

そうなると、あれしなさい、これしない、のオンパレード。

子どもとしゃべっているようで、

頭の中では別のことを考えていたりなんてことも日常茶飯事。

 

思い返すと3人のこどもとの生活を回すことに必死で、

雑念のないフラットな心で、子どもの言葉に耳を傾けたり、

子どもの姿を見てやることが、少なかった気もする。

 

<いま、ここ>

 

に自分という存在が集中していないという状況。

 

 

<やらなきゃならないこと>

<やらせなきゃならないこと>

 

(と思われることに)意識が向かってしまう。

  

そして一日の終わりかけ、

こどもたちの仕上げ磨きが終わったときの達成感、

ベッドで寝入った時の安堵感&解放感、

そして自分も寝落ち・・・

 

朝が来て、またひー!と一日が始まる。

 

 

先日、思いがけず、6歳の長男と2人きりになる日があった。

長男・長女とも通っているインターが夏休みに入っていたが、

その日は、姉だけ日本人学校に体験入学に行っており、

そして末っ子は託児所へ。

 

あれ?今日は真ん中だけ??

 

そんな思いがけない時間。

真ん中っ子である長男と2人きりとはいつぶりだろうか。

少なくとも、末っ子が生まれてから初めてかもしれなかった。

 

朝。

末っ子を一緒に託児所まで見送り、託児所の扉を出たとたん、

息子は私の手を取って、スキップしだした。

私も末っ子と歩く時とは違った身軽さ。

 

「デートみたいだねー♪」

 

そういって、茶化すと、

まんざらでもなさそうにニマニマしている。

いやそれを通り越してウキウキしまくっている(笑)!!

ウキウキしすぎてぴょんぴょん跳ねているし、

こんなにしゃべる子だっけ?というくらいずっとしゃべっている。

 

「ちょっと涼しいね」

 

というと、

 

「僕の上着いいよ」と脱ごうとする。

 

「いやいや」と断ると

 

「いいよいいよー」とひつこい。

 

「うわ!ここ(道)は鳩のフンすごいよ」と言うと

 

「とうっ!!俺がお母さんを守る!(フンから・・)」とか。

 

とにかく浮足立っている。

 

 

生まれてから、365日、年がら年中一緒にいるのに、

2人きりってそんなにうれしいんだあ。

 

 

近くの商店街のパン屋さんでサンドイッチを選び、

息子だけに特別にチョコムースのデザートも買って、

公園のベンチに向かった。

 

「デートだからさ、水はシェアしようね」と息子。

 

なんじゃそりゃ?

まいっか。

 

チョコムースも快く分けてくれた。

 

食べ終わると、いつもはこっそりやっていることなのに、

私の前で好きなダンスを踊り出した。

自作の適当なダンス。

 

ビデオに撮ってたら、途中で息子が大笑いした時があって、

「ねえ、僕さっきなんで笑ったと思う?」

「え?わかんない」

「なんでって、おならしたんだよー♪」

 

・・・爆・・・

 

こういうたわいもない会話。

たわいもない時間。

 

でも見たことないくらい、すごくうれしそうな息子を見て、

私まですごくシンプルで幸せな気持ちになってくる。

 

その気持ちは <母である喜び> そんな言葉がぴったり。

 

 

ご飯作るとか、洋服をたたむとか、そういうことより、

 

「ただ母がそこにいて、じぶんという存在を見ていてくれる」

 

ということがものすごいこどものパワーになるんだな。

それを息子に教えてもらった気がした。

 

家だと「お母さん見て!」に、

はいはいと適当な視線を送ったりしがちだからね。

 

※ちなみに・・・

別の2人の日に私の買い物に息子をつき合わせたら、

「こんなのはデートじゃない」とものすごく不機嫌でした(+_+)

他に意識がいってるのが分かるんですね。

 

もちろん、こんなことしょっちゅうやってられない。 

でも、すごーくたまに、

ちょっと子どもが元気ないかな?

もしくは、ちょっと最近荒れているかな?

もしくは、ママ自身がこどもとうまくいってないかな?と感じるときに、 

 

この 伝家の宝刀 <2人きりデート>

 

いいと思います!!

 

母親が手ぶらで、他のことを考えず、

 じぶんだけを見ている、

 じぶんの話を聞いている、

 じぶんと一緒に楽しんでくれる、

 

そんな濃い時間だったら、

たとえ家の中だって、

15分だって、30分だっていいと思う。

 

いい時間にするためには、

母親自身が「やらなきゃならないこと」から解放されてのぞむこと。

 

こどものためと思いきや、

母親のあなた自身も癒されたり、満たされた気持ちを味わえると思います。 

 

今度は週末に男子をパパに預けて、

娘とのジョギングまたいこうっと。

フランス人上司から学んだこと2

めでたく席次も決まり(前回の話↓↓)

tomo-rainbow.hatenablog.com

 

大人4人でいろいろな話をした。

 

今日のメニューについて。

パリ暮らしについて。

フランス人の食の指向について。

彼女の仕事について。

バカンスについて。

 

私は、ディナーのお誘いを受けていながら、

それに応えられていなかったことをお詫びしつつつ、

日本の育児環境についても話した。

 

日本では、

核家族化、長時間労働に加えて、

ベビーシッターさんや、家事ヘルパーさんを雇う文化がないこと。

 

仕事の有無にかかわらず、

家事・育児全般を母親が担っているケースが多いが、

やむを得えない用事があって

一時的に人に預けること(身内など)があったとしても、

 

まさか夫とディナーなど <じぶんの楽しみ> のために

子どもを預けるということは、まあしないんです、と。

 

うん。思えば、 

「子どもがいるから行けないな」

「そこまでして行かなくてもいいか・・」

というのが思考のベース。

「パパのいる週末に美容院だけ行かせてもらうか・・」

が精一杯だったなあ。

 

 

すると、夫の上司のHさんは、

顔をぐぐっと前に近づけ、私の目を見てこう言った。

 

「ともこ、いいかい。

 人生は短い。君は今パリにいるんだ。

 今しなければならないのはパリを楽しむことさ」

 

 

「・・・・」

 

 

 

 

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

 

うっわーーーー

そ、そっかーーーー

うーーん、うん。

そうかもしれない!!

 

前では彼女もそうだそうだとうなずき、

いいこと言ったわmy love♪ とラブラブ光線を交わしている。

 

いやー。

 

母親は子どもを置いてまで息抜きしちゃいけない、

なんて誰かが言ったのだろうか。

 

夫?

母親?

子どもたち?

世間の目?

 

いやいや。

はっきりとは誰にも言われていない。

 

自分で自分に

「母親なんだから、そんなことするもんじゃない」と

言い聞かせてきたってことか。

そういうことをするのは、欲張りだし、罪なのだと。

 

単純に普段、育児を一人で背負いすぎて、

急に預けること自体が心配、ってこともあったりする。

 

 

Hさんの熱い言葉を聞いて、

私は力がみなぎって視界が開けていく感じがした。

 

「母親になっても堂々と楽しむ」

 

その権利をもらったかのような明るい気持ち。

とりあえずワクワクしてくる!

 

でもやっぱりザ日本人ママの私は、

授乳してる間はちょっとね・・とかつっこんでもみてる。

ん?でも昼ならいいかあ!

 

育児生活10年。

もっと自由に考えてもいいのかな。

そんなに自分を縛らなくていいのかな。

 

それには信頼できる人を見つけることが何より必要だ。

興奮さめやらぬまま、私たちはビストロを出た。